日本の歴史に於いて、天皇が前面に出て来ると大騒動が起きて、国民は塗炭の苦しみを味わう様です。例えば、自ら前面に躍り出た「後醍醐天皇」の建武の中興(1334年)や明治維新や先の大戦もそうで有ろう。勿論、天皇制を利用し国民を悪魔の道に誘い込む不埒な者も多いのです。
先の大戦等は、結局は軍閥、財閥等の金儲けの為に利用されたに過ぎ無いのです。結果から見れば、国内はもとより大陸や南洋諸島に於いて、多くの尊い命が失われたのです。失った生命は、神仏に祈っても、再び戻って来ることは決して有りません。
但し、日本国民の一人として現在の天皇制や君が代、日の丸を否定する者では有りません。愛国心とは、海外に於いて日の丸を見た時に湧き上がってくる様です。貨物船が日の丸を掲げて入港する姿には思わず感激致します。ガンバレよと叫んでしまうのは、私一人では無いだろう。
さて、茨城県の幕末は狂気の沙汰としか思いません。この遠因は「勝海舟」が言うように、テレビでお馴染みの水戸藩第二代藩主「水戸黄門光圀」の大日本史編纂から始まったと言っても良いだろう。やがては、九代藩主「斉昭」の誕生によって「尊皇攘夷」に着火し全国的に燃え広がったのです。結果は多くの国民の血が流れたのです。
国家の為に血を流すと言うの正義であって、正しい道なのでしょうか。多くの血が流れ過ぎ不幸を招来し、正義だとはとても思いません。
水戸藩は御三家の一つだが、他の大名とは大きく異なる点が有るようです。大きな特徴は「
参勤交代の免除」にあって、これが「副将軍」と言う意識が生まれていたようです。この意識は国政への関心と問題意識を生んだと思うのです。水戸黄門の大日本史編纂のなかで、少しずつ醸し出された理論は、やがては「水戸学」に発展したのです。要するに、倒幕の精神的、理論的な支柱になったのです。
注
水戸学は明治維新以後は「
忠君愛国思想」に衣替えし存続し、先の大戦で漸く消滅したのです。テレビ放映の「水戸黄門」とは大きく相違するのです。テレビの黄門様の人気とは、庶民のささやかな政治に対する抵抗かも知れません。
筑波山に蜂起した「水戸天狗党の乱」は、文字通りの血で血を洗う戦いですが、結局は水戸藩内の勢力争いに(天狗派対諸生派の戦いに幕府も巻き込んだ戦い)他藩の尊皇攘夷を標榜する者が巻き込まれたと言うのが真相の様です。他藩から来て常野で野垂れ死にした者や、運良く帰藩しても幕命によって斬罪された者は、こんな筈では無かった叫んでいるかも知れません。
天狗党の終焉は敦賀での処刑(353人斬首刑)で終わったのでは有りません。武田耕雲斎の孫(金次郎)は斬首をのがれ遠島処分されたのですが、明治維新後に許されて水戸の戻って来たのです。彼は復讐鬼となって諸生党の藩士宅に襲い懸ったのです。とことん残酷な方法で切り殺したと言う。その時には最後の将軍「
徳川慶喜」が水戸で謹慎してたのですが、どの様な気持ちで見てたのでしょうか。
筑波山天狗党には
奥州相馬藩士(半杭伴)も参加していたのですが、結果は、余りにもおぞましいのです。再度言うが、国家の為に死ぬ(死ね)と言うのは真実なのでしょうか。
現在の日本は民主党が政権与党ですが、政治とは「金儲けの為」に存在しているものと、心得違えしてる者も一部見られる様です。その様な心得違えする者の為に、命を懸けてはなりません。「現在は幕末とは違うと言う勿れ」基本的には人の心は変わって無いのです。

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