村(国)を富ますには、先ず人口の増加を図ると言うのは平成の現在でも同じ様です。大都会と言うのは、地方の人口を吸収する力が有って(食って行ける)、若者達を次々に吸引するから、地方は寂れるばかりなのです。
地方に権限を委譲し分散を図り、小さな政府を目指す等は、現在の民主与党は持っていないようです。口を開けば近隣国への謝罪とかお詫びでは「又かよと」相手国もウンザリするに決まっています。自虐的な史観を持っている左巻きの政治家は、日本には不要です。それよりは円高が進んでいる現在、
別荘から飛んで帰り経済の動向に目を光らせ、必要ならば円を浴びせ売るのも方策では有るだろう。トップには休み等はないものです。
さて名代官のと言われた、竹垣三右衛門等は支配地の下野国と常陸国の陣屋を(安房、上総、下総も兼任)を半年年毎に交代しながら、22年間も務めたのです。引退したのは文化11年(1814年)で
既に74歳だったと言う。すべからくトップには休暇は無いのです。それが嫌なら早く座から降りるべきだろう。
イ、人返しと商人の暴利を取り締まる
村内から他郷に出稼ぎした者を引き戻し、廃家の再興を図り、生活困難者には自活する目途が立つまで支援した。又、商人の暴利を取り締まり、農家の安定をはかった。
ロ、民政対策
民政対策として80歳以上の老人、親孝行者、節婦等には賞与(金三両)を与えて、家作、嫁取り等には金三両〜4両を補助したと言う。更に生活弱者の為には(寡婦、孤独者、疾病不具者、精神不安定者等)援助を惜しまなかったと言う。
ニ、諸事倹約
祭礼、婚姻、祝い事等でも諸事倹約を旨とし、華美とか豪奢を禁じた。
ホ、土木工事と植林
用水、堤、用水路整備、灌漑、道路や橋の改修、植林、造林、野火よけ等を積極的に行った。
へ、貯蓄
夜業に「縄をなわさせ」各村毎に集めて売却し、それを貯蓄にまわし災厄時に使用した。この縄をなわさせる夜業は、誰にでも簡単に出来きて、貯蓄出来る良い方法だと言われます。
ト、心学を講じる
「心学」とは石田梅巌が開いたもので、いわば江戸時代の「庶民の哲学」と言うべきものですが、村人に対して講じたと言う。
江戸時代の農民に対しては取る事ばかりが熱心で、与える事をしなかった領主が多かったのですが、この竹垣三右衛門の施政によって農民はどん底から這い上がる事が出来たのです。簡単な事の様でも江戸封建社会(現代でも)では、真似出来る事では有りません。

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