江戸期には「享和の改革」、「寛政の改革」及び「天保の改革」の三大改革を試みている。江戸期の経済は「
石高制社会」とも言って、社会の生産力は総べて「米の生産高」で表し、米こそが経済の大きな基盤だった。概して元禄時代頃より、
年貢として収めた米の残りは、農民の手に少しずつ残るように成って来たと言う。これは米の生産に必要な農機具とか、農業技術が向上した事に起因してるようです。
年貢を収めた残りの米を売って「金銭」に交換した農民は、それをもって必要な物資を買ったから、ここに
貨幣経済(銭の世の中)が誕生したのです。貨幣経済が定着すると一部の商人達に銭が集中し、やがては商人の中にも大名を凌ぐほどの巨大な商人が誕生したのです。
この大商人の誕生は、幕藩体制に大きな矛盾を暴露させたようです。やがては、最後の天保の改革(水野忠邦)が始まったのですが、幕府の金蔵には金が無く、予算を組むべく手立て等は失っていたのです。後は
坂を転がり落ちる様に幕末を迎える分けです。但し、この天保の時期には天候不順で、凶作(食う物が不足したから人心が不安定)が続き「水野忠邦」は運が悪かった面も有るようです。
さて天保の改革とは、地方の行政にもその手は及んだから、天領の地(代官が派遣された)、藩領、旗本領(江戸周辺に錯綜してた)、寺社領等を問わず、行政改革に取り組んだようです。本気で取り組まねば、幕藩体制は根元から朽ち果てるから、暢気で気楽な殿様(旗本は地頭と呼ばれた)とて、本腰を入れなければ成りません。実際には幕藩体制と貨幣経済には大きな矛盾が有るし、しかも文化文政期はナゼか庶民の中にも「
享楽的な世相」が見られたから、改革の実を上げるのは無理だったのです。
さて、この様な江戸時代末期の状況と平成の現在の状況は「
似てなくも無く」、民主党政権が命題とする「税の一体改革」等も、所詮は金蔵には銭が無いから、庶民から税を巻上げて国家予算の穴埋めを意図するわけでしょう。本来ならば施政者が自ら「
身を切るべきで」それが実行実現されなければ、平成の改革等は、
必ず掛け声だけで失敗するに決まっています。ここで江戸期の大商人に比肩すると言うならば、福島原発事故を起こした東電と通産省の原子力行政官僚と言う事が出来るだろう。
東電の過去の姿は地域の一社独占企業で有って、競争の無い「
ぬるま湯体制」に成っていたから、好き勝手のし放題で、国家の中に国家を形成したような按配だったのです。人間様が制御不可能な「
悪魔の火」を手にして弄び、莫大な資産を手に入れたのです。その内容はWEB等で検索すれば確認する事が出来るだろう。東電と言う怪物を解体し、
電力を真に国民の手に取り戻してこそ、平成の改革の一助にはなるだろう。東北太平洋沖地震と津波と原発事故で「
打ちひしがれた」東北民の復興が無ければ、平成の改革等は無理に決まっています。
尚、日本全国に有る悪魔の原発は無用なのだが、
廃炉までの過程に於いては、万一に備えてバックアップ用電源として、太陽光発電とか風力発電等を必ず備える必要が有るだろう。過日、鹿島灘の工業地帯を見学したら、そこには非常用電源として風力発電の有る事を知りました。
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