写真は中国広東省の地方都市部で働く、若いお嬢さん(既婚者も居る)達です。’90年代頃の写真ですが、彼女達は自らを、少し自嘲気味で
「打工ダーコン」と呼んでいます。広東省にやって来るのは、隣の広西省チワン自治区、四川省、江西省、湖南省、河南省及び黒龍江省等々の様です。黒龍江省は物凄く遠く寒い地方ですが、彼等は日本語を話せる朝鮮族で、主に日系企業の通訳等に従事していると言う。話言葉は、中国全土あまねく
通用する普通語ですが、地元の広東省は「広東語」です。広東省は広東語の本場ですが、打工のお嬢さんの中には、いつの間にか広東省を話せる者もいると言う。中国の普通語と広東語ではまるきり別物ですが、広東省には広東語以外にも「
客家語」と言うものが有って、達者なお嬢さんは、普通語、広東語、客家語の三つを操る豪の者もいるそうです。
彼女達は、省別(出身地)とかのグループを作っていて、普通は
同じ村や町の出身者が多く見られ、姉妹とか従姉妹関係等も多いそうです。遠方から出稼ぎに来てるから、互いが助け合いながら生きているわけです。年齢の確かな事は分かりませんね。ナゼなら身分証明書には偽物(路上で売っている)も多いし、卒業証明書等は殆ど当てに出来ません。困るのは「同姓が多い」事です。何処を向いては「李さん」とか「張さん」では呼ぶの困るわけです。従って、日系企業などでは「工号」を付け、区別してるのですが、彼女達同士では渾名とかで呼んでいるようです。
注
中国友人にメールで問い合わせたが、現在では、身分証明書には偽物が造られない様に、
偽造防止とか背番号が有るそうです。
この様な若いお嬢さん達と予備軍は、中国全土の山奥にはゴマンと居て、次から次に広東省の各地方都市に集まってくるわけです。広東省(公称は7千万人だが、優にその倍は居ただろう)の地盤は人の重みで、地盤沈下するかと思うほどです。交通は、大体が徒歩〜バイク〜公共バスが利用されるのですが、
中国は鉄道網が未発達で、主要な交通機関は網の目の様なバス路線です。バスを乗り継げば、北京へも行く事が出来ます。
写真の左方は彼女達の食堂の様です。食事は朝は「お粥」とか「マントウ」が多いようです。昼と夜は「ご飯」と「肉や野菜の油炒め(
ピーナッツオイル)」等を、カナ盥の小さな飯碗に盛って食べるのです。テーブルは有るのですが、中国人はナゼか立って食べるのが好きだと言う。ちなみに箸は使わず、スプーンで食べるそうです。
宿舎は12畳程度の部屋に三段ベットが左右に2列ずつ有って(
6人×2=12人部屋)、畳み一枚が専用面積(カーテンで仕切っていてプライバシーを守る)です。部屋の奥にはトイレと洗面所と洗濯干場が有って、12人が共同で使うと言う。火を使う事と、電灯と扇風機以外に電気を使う事は禁止されているそうです。これは火災と安全の為ですと教えて頂いた。まさか女性の集団ですから、室内は綺麗だと言う。
肝心の待遇(’90年前半)だが、1.0時間給は約2元で有って、一日の労働時間は10時間だと言う。従って、これを計算すれば1ヶ月の給料は以下の如しだと言う。
2(元)×8(時間)+(2×1.25)×4(時間)=26元で、日本円では390円程に成るだろうか。一ヶ月に約25日勤務するとして、9,750円程に成るだろう。日系企業の中国への進出は、凡そ’80年の前半には始まっていて、その時の初任給は25日働いて200元(
3,000円程度)だったと言われます。中国では給料からの税金や社会保障費等の天引きは有りませんから、全ては手取り額です。日本と比較すれば約1/25程度に成るだろうか。その様な月収入で有っても、次から次に、中国各地から広東省に押し寄せたのです。これを「
盲流」等とも呼んだようです。中国の一般市民は、如何に貧しかったかが分かるだろう。
これらのお嬢さん達に、
礼儀作法を教え、「5S」や「QC」や「IE」を教えて漸く一人前の作業者に育てたのが、日系企業の日本人で有ったのです。教育時に困る事は、例えば、中国語で書かれたQCの解説書は、
北京大学で発行した一冊しかなく、これも入手が困難で有ったのです。更には工業用語の解説本等も皆無で、必要に応じて日本人が新たに造語したのです。
さて中国政府は「お腹一杯に飯が食える様に成ると」、一転して反日教育(江沢民主席)を始めて、それが功を奏して今度の反日デモに繋がった分けです。中国の経済的成功の裏には、中央政府の指導と言うよりは、中国のお嬢さん達がワンサカ居て、彼女達の力に負う事が多いのです。若しも彼女達が居なければ、今日の中国の繁栄は無かったのです。再度言うなら、今日の中国の繁栄は、若いお嬢さん達が礎に成ったので有って、反日デモを煽った「中南海」の力では有りませんね。
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