日中戦争当時の華北地方の村落は(山東省、山西省、河北省、北京市、天津市)、
とても貧しい村落で有ったと言う。村落は概ね100軒内外で有って、その村落の周囲は土塁で囲まれて、匪賊の侵入を防いでいたと言う。家は土で固めたものだが、冬の寒さから守る為に、暖房用の「オンドル」が必ず有ったそうです。村落と村落の距離は、大体が10Km程度以上は離れていて、道路には自転車も自動車も見られず、住民の歩く姿も殆ど見る事は無かったと言う。省の下部には「県」が有って、その県都等も殺風景なもので、県都は10m程度高さの土塁に囲まれて、その中には、県の行政機関とか警察又は軍隊等の駐屯地等も有り、商店等は数軒程度だったらしい。買い物には不自由だと思われるが、「
ガンジー」と呼ばれる市が月に数回開かれていたそうです。ガンジーの意味は、中国人も知らないと言う。
注
中国では、人の多く集まる場所を「
城市」と呼びますが、そこは必ず塁(城壁)で囲まれています。日本の言う「城」とは異なって、集落そのものを囲むのです。田畑等は、城外に耕作するようです。
驚く事は、その様な県都の中でも、比較的大きな県都には「
売春宿」が有ったし、日本軍が駐屯した時は、大いに繁盛したそうです。この宿には、現地人や朝鮮半島から来た者もいて、春を売る者が多く居たそうです。この売春宿を「
ピー屋」と通称したそうですが、そのピー屋の意味は不明で、漢字ではどの様に書くのか、中国の友人も不明だと言う。
軍隊は元気の良い若者の集団だから「
性の処理」には問題が有って、世界中のどの国の軍隊でも悩みの種だった。最近でも沖縄県で、マタマタ米国兵二名による「婦女暴行事件」が有って、大きな問題化していますが、夜間禁止程度で防ぐ事は出来ないだろう。韓国等は、日本軍による強制的な性奴隷としての、「従軍慰安婦」等を取り上げていますが、真実は如何なものでしょうか。
韓国は儒教の国の優等生と言っても良いほどだが、性の問題を公にする等はナカナカ出来ないものです。私は日本軍の性奴隷だったと、名乗って出るには勇気のいる事に違えない。彼女達には、お子さんとかお孫さんは居るに違えないが、日本の様な「
恥文化」では考えられません。
毛沢東が立て篭もった陝西省延安市(
現在鉄道も有って革命の聖地)は、黄河高原の洞窟で、不毛の高原ですから、毛沢東を始めとして性の処理には困ったかも知れません。八路軍兵士の間には、女性を争うイザコザ等は無かったのでしょうか。有っても不思議では有りませんね。
さて華北地方の日中戦争で、主役を果たしたと強調する現在の中国(毛沢東のDNAを引く一党独裁の共産党)は、中華民国で書かれた戦史の「パクリ」で有る事は何度も書いたが、日本軍の駐屯地に積極的に、攻撃を仕掛けた事は無いようです。日本軍の駐屯地に向けて、小銃を散発する事は有ったようです。八路軍の方針は、持てる力の10%を「抗日」に当てると言うから、時々は日本軍の駐屯地付近に出没しては、現地住民を苛めモノを掠め取ったそうです。八路軍が現れたと聞くや否や、日本軍の討伐隊が出動するわけです。然しながら、普通は「蛻の空の村落」で有った様です。但し、日本軍の戦史を読むと、それなりの成果も多々あった様です。
中国の友人によれば、「
間抜けで、好色な日本人兵士」が八路軍に騙されて、全滅するストーリーが見られると言うが、間抜けな日本人と言うのは失礼千万だろう。誰の為によって、今日の中国の繁栄が有るのかは、「胸に手を当て」シッカリと考え反省すべきです。好色な日本人と言うなら当たっていますが、これとて万国共通で有って、日本軍兵士ばかりでは無いだろう。それを言うなら、現在中国の「
カラオケ」等は、どの様に説明するのでしょうか。
下記は「2012、国慶節、支那人の野蛮な行為集」と言うタイトルのブログです。中国を、礼儀作法の国と思うのは、
日本人の錯誤ですが、どうしてこの様な国が生まれたのか奇怪千万な話です。この隣人と付き合うのには、勇気が必要ですね。
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http://sky.ap.teacup.com/dalian4649/347.html
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