日本軍の「南京大虐殺」事件が大きくクローズアップされ、日本人の耳目を集めた始めは「東京裁判」で有った。この東京裁判と言うのは、「勝てば官軍、負ければ賊軍」を絵に描いたような裁判で、判決は全て不当ですから「再審」を行い、
真の第二次大戦の経緯を世界に向かって発信すべきなのです。裁判に於いては、法に照らし絶対的に公平を領導出来る裁判長が必要です。然しながら、裁判長(
豪州のウエップ判事が任命された)からして勝者側から選んだから、公平な裁判は期待できないのは当然です。
東京裁判はマッカサー元帥の強力な指導の下で、戦後直ぐに行われた不当裁判で有って、当時の日本人は、
その日に食べる物も事欠く有様で有ったから、裁判等には興味も関心も無かったと、親父から聞いた記憶が有ります。ラジオも新聞も占領下の出来事ですから、日本が「どの様な理由で戦争に進んで行ったのか」等の報道は一切無かったと言う。自虐的で左巻きの声は、高度経済成長が始まった頃から聞かれた様です。今と成っては、その罪は真に大きいのです。
現在の中国(共産主義の中華人民共和国)が、
日本攻撃の手段として使う「デッチ挙げ」の南京大虐殺等は、この東京裁判で確定したと言っても良いのです。裁判ですから当然弁護人が反論したのですが、記録を読んでみても「
アッサリとした淡白な反論」で終わった様です。これは戦後直ぐの裁判ですから、反証する為の証拠集めの時間が無かった、と言う事に有る様です。
さて、やられたらやり返すと言うのは、連鎖に連鎖をよんで益々エスカレートする物です。従って、言えたくは無いが、南京大虐殺を言うなら盧溝橋事件が起きた後に、
中国軍による「通州大虐殺事件」を提起されねば成りません。この大虐殺事件と言うのは、戦闘員への虐殺では無く、民間人に対する大虐殺だった事に大きな特徴が有るのです。南京市は蒋介石軍の首都ですが、圧倒的な日本軍の攻撃力によって、守備軍隊長は戦闘中に逃亡したのです。残された中国軍兵士(便衣に着替え)は、自暴自棄と成って、民衆に乱暴狼藉(強姦)や略奪を働いたのです。
注
通州大虐殺と言うのは、在留の日本人(朝鮮人も含まれていたらしい)の385人の内、幼児を含む223人が虐殺され、特に34人は性別不明にまで惨殺されたのです。この様な虐殺は書くのも読むのもおぞましく、人間が人間を殺す手段としては、日本人の想像を遙かに超えています。鬼にも出来ない残虐です。当時の日本の各新聞には「
恨みは深し」とか「
世紀の残虐、ああ呪いの通州」等の文字が躍ったと言われます。参考記事は、WEBに多数載っていますからご覧下さい。
この通州大虐殺事件は、その後の日本国民と中国大陸に参戦した将兵にとっては、忘れられぬ「どす黒い怒りが澱んだと言って良い」様です。中国人には、異民族に征服された繰り返しの、歴史の雑婚が有って、そこには西方や北方からの「遊牧民族のDNA」が色濃く混じっています。つまり「血の恐れが無く、神を畏れない」と言う事です。それは瑞穂の国の大和民族とは、大きな違えが有るのです。我々日本人が、中華民族を観て理解するときの、最も重要な事なのです。日系企業の早期撤退を則す大きな理由でしょうか。いつ何時、この様な目に遭うかも知れ無いのです。
この通州大虐殺事件と言うのは「東京裁判」でも、披露されたのですが、ウエップ裁判長に「
聞き置くの一言で取り上げられなかった」のです。東京裁判は、再審すべきだと理由がお解かり頂けたでしょう。更に追加して言うなら、
B級とかC級裁判等は全くの不当裁判だったのです。否、勝った側の
私刑でも有ったのです。日本人にとっては無念な出来事でした。
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