東北太平洋沖地震(3.11)の大震災(+福島第一原発の過酷事故)で、東北太平洋沿岸地域は完膚無きまでに叩きのめされた。特に、地名に「
浜とか浦とか潟」とかの残る地域は、凡そ1万年前に現在の姿に成ったと言う。海に接続された地域は、人間が自然に逆らって人工的に現在の様な人間の住める地域(耕作地)に変えたのです。今度の地震と津波では、それらは
自然の理として、太古の姿に戻ったのです。
福島県南相馬市(旧小高区福浦)の「
井田川浦干拓地」等は、海水の浸入と陥没によって、太古の姿に戻ったと言う。自然と言う力が、人間に勝ったと言っても良いのです。但し、犠牲と被害に遭われた者達に対し、心から御悔やみを申し上げると共に、このブログで貶める意図は全く有りません。故郷を失った無念さは重々承知してますが、要は
太古の姿に返すべきだと言うのが主張です。逆らっても逆らっても、又、太古の姿に戻るだろう。
注
福島第一原発の敷地等は、元は30m程の太平洋に突き出た断崖絶壁で、それを20m程掘り下げたから(残るのは10m余)、自然の理で15m余の津波に襲われたのは自然です。自然を甘く見ては成りません。
さて、この南相馬市小高区(旧小高町)とは、阿武隈山脈から流れる出す小川が、海岸近くで一本の川(前川)となり太平洋に流れているのです。そこには当然のように小さな三角州をつくり、
やがては人間が住み始めます。一方では、山脈から海岸までは低い台地を形成したり、段丘を形成したりしています。人々は、それらの地勢に中に、自分の棲家を見つけ生活を営んでいたわけです。阿武隈山脈(500m級の山々)と太平洋の間には、国道6号線(常磐道、陸前浜街道)が走っているが、西方は山脈で、東は太平洋ですから街道は「フンドシ街道」とも言われます。原始の昔に形成した三角州には集落(旧小高町)が出来ましたが、地盤は軟弱ですから、地震が有れば「
墳砂、液状化現象」が起きて自然です。尚、前川と言うのは、往古には古城(現小高神社)前では無く、町の南側(字岡田辺)を流れていたようです。
注-1
小高区は福島第一原発(大熊町と双葉町に跨る)から20Km圏内に有って、全区域民が避難を余儀なくされ、住民の全ては、隣区の原町区や鹿島区や日本全国各地に避難している。仮住宅に住んで居る者もいれば、親戚縁者を頼って居る者もいるだろう。平成25年1月31日現在での人口は、世帯者数3,555、男性5,576名、女性6,103名だと言う。大雑把に言うなら、この
構成は一所帯に3.2名の小家族しか居ないらしい。
注-2
東電を始めとする「原子力村」がお題目とする安全神話に、もっともトバッチリを食った、割の悪い地域と言っても良いだろう。
電源三法の旨みにも与れず、全域が「避難指示解除準備区域、2012年4月1日から実施」と言う、分けの判らない区域に成っていて、昼間は自宅に戻れても、夜間には仮住宅に戻るのだと言う。これでは鳥のネグラの生活に似ているでは無いのか。
注-3
福島第一原発から20Km圏内の除染と言うのは、国の事業で行うと言うのだが、除染しても、それを一時保管する場所とか、地震で出た瓦礫の処分場が決まらず、現在は手が付いていないと言う。放射能汚染と聞けば蛇笏の如く嫌われるから、
アッチだコッチだとドッチボールの如き騒ぎをしているらしい。誰かが、犠牲的精神を発揮しないと決まらないだろう。
明日に続く
にほんブログ村

1