出典:岩波写真文庫ー9(福島県)から借用した。
写真の上のものは、いわき市(旧平市)の塩屋崎付近(
灯台と美空ひばりの唄で有名)です。この岬は、江戸時代後期の「東廻り航路」の船乗り達の重要な目印(
日本汐路之記)ともなっていたと言う。明治になると、灯台が造られる所以でしょう。
この辺の地勢は、
阿武隈山脈が太平洋に突き出し30m以上の断崖絶壁をつくりだし、太平洋の打ち寄せる波は荒いのです。従って、漁港等は少なく有っても小規模のものだと言われます。勿来の関は茨城県と福島県の県境に有って、ここから北方は、かっては「みちの奥」とも言われ、それが勿来(
来る勿れ)の地名の起源だと言う。八幡太郎義家の「吹く風を勿来の関と思いども道を背に散る山桜かな(
千載和歌集)」で有名な勿来関辺は、かっては太平洋に突き出た断崖絶壁で有って、その様な山道を馬の背に乗って、桜を愛でたとは思われません。
つまりこの辺の海と言うのは、断崖絶壁に打ち寄せる荒波で有って、津波が襲来すれば断崖を乗り越す程に牙を向けるのです。この様な断崖絶壁(30m以上)を半分以上も掘り下げて、原発を造る等はクレイジーでしょう。餌食に成るのは当然です。しかも、この掘り下げる工事時の岩盤は柔らかく、工事はスムーズだったと言う。今度の東北太平洋沖地震(3.11)では、凡そ15m以上の津波が押し寄せたと言う。安全神話に自ら酔ってしまい、安全対策を怠った「
原発ムラ住民達」の責任は、山より高く海より深いし、責任を逃れる事は出来ません。何度も言うが、サムライの世界なら自らの不明を恥じ、ご先祖様の墓前で腹を切って、世間様にお詫びをしなければ成りません。
尚、写真の打ち寄せる波は大した事は無い様ですが、一旦風雨が荒れ狂うと君子が豹変し、近寄る事は危険です。大波は想像以上のパワーを秘めていますから、近付いては成りません。
下の写真は、双葉郡浪江町の海岸ですが、この辺には断崖絶壁は無く、ご覧の如くの平地です。今度の東北太平洋沖地震(3.11)では、この辺も(
請戸浜漁港)木っ端微塵に打ち砕かれ、更には福島第一原発事故による放射能の為に人は住めません。請戸川には秋鮭が遡上し、簗場には臨時の屋台食堂が並びます。筋子が好きだから、お腹一杯食べられると思ったら、ナンとした事か定食には
スプーン一杯程の量しか有りません。食物の恨みは40余年以上経った今でも忘れません。
この辺一帯は双葉海岸(地方)と言っても良いのですが、これは岩城氏一族の「
楢葉氏」及び「
標葉氏」の領地で有って、この両方の「葉」を採ったものだろう。福島第一原発は大熊町(1〜4号機)と双葉町(5〜6号機)に跨っていて、その大熊町とは旧の熊村と大野村が合併したものです。双葉町は旧は標葉町と言えましたが、読み難い為に昭和30年代に双葉町に改めました。
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