出典:週刊新潮、9月26日菊咲月増大号から、をスキャナーで借用した。
既にお読みになった読者も多いと思うのだが、週刊新潮の特別読物「
御用学者と呼ばれて、第7弾」原子力の専門学者座談会について、の内容には若干の疑義が有るので
真意を質すものです。
出席者:東京大学岡本教授、東京工業大学澤田哲生助教、北海道大学大学院奈良林直教授
質問ー1
福島第一原発の過酷事故は、立地町の大熊町、双葉町のみならず周辺市町村に多大で深刻な被害を及ぼしているが、この座談会では「
原子力学者としての素直に詫びる言葉が無い」のはナゼだろうか。チェルノブイリを例に出し、チェルノブイリは「死の町」では無いと、強調しているのは解せません。冒頭では、力が到らず「事故を起こしてすみませんでした」と謝罪から始まるべきでしょう。
質問ー2
原発避難民が古里に戻らないのは、戻れば補償金が出ないからと言うのだが、果たしてそうだろうか。除染が終ってなく、帰れるレベルまで下がっていないのが原因でしょう。更には「
原発事故が無ければ、と言って、無念の内に自ら死を選らんだ者は」無言で帰るしかないのです。死者を冒涜しては成りません。安全神話は、原発の御用学者達の戯れの言葉で、虚構の安全神話でしかなかったのです。発展的に言うなら、原子力学者は間接的な殺人者と言って良いだろう。一欠けらの良心を持つならば、原発事故を
防げなかった自らの不明を恥じるべきです。
質問ー3
チェルノブイリの復興は、順調の様に話されているが、もしそれが真実で有るならば、汚染地域に自ら出向き、率先し実践実行しお手本を示すべきだろう。その様な話を聞いた事は有りません。現実的なチェルノブイリは、
限界集落化に近いのでは無いのか。確かに、観光地化の話は有ると聞いています。そんな仕事は私達学者の仕事では無いと言うなら、看板を降ろすべきです。
質問ー4
原発が無ければ、日本はエネルギーに不足し高いガスを輸入しなければ成らず、即「
電気料金の値上げ」に繋がると言うのは、電力会社の肩をもつもので、国民への脅しだろう。代替エネルギーも考慮すべきです。原発は、福島の例でも分かる様に「
悪魔の落とし子」でしょう。
質問ー5
朝日新聞の記事に関しても良く分かりません。但し、原子力学者は、御用学者とかお先棒担ぎだった事は疑いの余地は有りません。何故なら、起きては成らない原発事故が起きたのは、自然災害では無く慢心によって惹き起こしたものなのです。
人間に害を及ぼすものは機械では有りません。又、原発は正しく「
金の成る木」だった事は疑いの余地は有りません。
質問ー6
核種を取り除く「
ALPS」が効果的で有るならば、原子力学者として大きな声で叫ぶべきです。又、自らも協力すべきでしょう。今、日本人が求めているのは、原発の火を早く消し、安全で不安の無い社会の創出だろう。
その他の座談は少し次元が低く(先祖自慢等)、質問の必要は有りませんね。問題は、ナゼこの様な座談会を、週刊新潮が開き載せるかと言う事でしょう。原発の正しい理解の一助とするよりも、原発再稼動の為の世論つくりとか、お先棒担ぎの記事で有ろう。原発被災者の目から見れば、逆撫でされた気持ちだし、一流の原子力学者達の言葉としては、いささか不足するものが見られます。自己弁護も見え隠れしていて可笑しかろう。事故は起きるべくして起きた、人災だと言う事が理解できるのです。
もしも反論が有るのなら、堂々と言って頂きたいものです。
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