出典:東京新聞、12月15日(日)朝刊から
福島第一原発の過酷事故によって放射能雲が発生し、折からの東北東の風雨雪によって福島県浜通り地方は、ほぼ壊滅の状態に瀕している。壊滅とは人間の住めない「
人でなしの国」と言う事で、人間が住めなければ「神も仏もヘチマ」も存在できません。原発は悪魔の申し子で、それを推進した者の罪は深く、裁判で裁かれるべきです。原発は「
金の成る木」で有って、その果実を目指すのが原発推進派では有るだろう。エネルギー問題を人質にとって、囃したてている裏には莫大な金が動いているのです。その金は電気料金と税金をクスネテ(エネルギー庁で発覚)いるだろう。原発が安いと言うのは人騙しの悪計であって、事故後の福島県を正面から観れば悲惨が理解できるのです。
原発が安全だと強弁するのなら「東京湾」に造れば良いだろう。福島県なら良くて、東京湾が駄目だと言うなら、それは論理の破綻でしょう。
上図は、石原環境大臣が示した「中間貯蔵施設」だと言う。中間貯蔵施設と言うのは、除染で出た仮置場の放射能ゴミ(10万ベクレル/1Kg超)を30年間に渡り貯蔵保管するものです。膨大な敷地を必要とし、それを管理する施設とか研究所、減容化施設、分別施設等々から構成されます。30年間貯蔵保管した以後は、福島県外から持ち出す約束だと言うが、そんな約束等は簡単に反故にされ、
永久に「核の墓場」として使われるだろう。核の墓場と成る敷地は双葉郡内で、それは原発で潤った町が背負う十字架では有るのです。後出し「ジャンケン」の様だが、それは原発の町として繁栄した報いでも有るのです。こんな狭い災害大国日本列島に、50基もの原子炉を造れば、やがては過酷事故が起きて、先祖伝来の土地を失い離れるのは、覚悟の上なのだろう。悲惨なのは過酷事故でトバッチリを食った、周辺住民では有るだろう。原発はコリゴリだと叫んでも、こぼれた盆は水は再び元に戻りません。
戦後60数余年、日本は大きな自然災害(阪神淡路震災は有ったが)も無く比較的安定していたのです。それが日本人を油断させたのでしょうか。但し、反省するチャンスは何度も有った筈でしょう。特に原発事故と言うなら、チエルノブイリとかスリーマイル島等の好例が有ったのです。それらの大きな原因は、
ハード面では無くソフト面で有って、いずれも「操作ミス」によって起きたのです。今度の福島第一原発事故も、過酷に成った大きな理由はソフト面に有るだろうと睨んでいる。
上図の出典は東京新聞の12月15日朝刊のものですが、京都大学が完成した「セシウム除去設備」だと言う。被爆地の土壌にはセシウムを含んでいるから、この装置に入れてセシウムを除去し、元の田畑に帰す事が出来ると言う。効果が有れば、
政府と東電は無償で被爆地に与えるべきでしょう。
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