↑で右方の双峰の山が筑波山です。手前の田園地帯の往古は、広大な細長い沼地で
将門記に出て来る「葦津江(飯沼)」です。江戸時代中期(享保9年)に、幕府の干拓の許可が下りて現在のような田園地帯と成ったのです。
↑は江戸時代の干拓時に沼の中央を掘って、悪水の排水の便を図った「
中掘」です。現在では釣り人の姿が見られます。それにしても春は未だ先のようです。
↑は太陽光発電です。沼の縁は南面ですから太陽光発電に適しているのだろう。近傍には
工業団地も有るから電力を供給してるかも知れません。青いシートは土砂崩れ防止の為らしい。
↑は、この干拓地(飯沼新田)の農家の早咲きの梅です。満開では有りませんが家屋敷にピッタリの風情で咲いています。
ご主人の人柄が忍ばれる良い風景です。
↑は工事中の太陽光発電所です。広さは後楽園球場以上は有るだろう。どの程度の発電量が有るかは知りません。この場所は常総台地に有って
「縄文遺跡」が残る場所かも知れません。縄文人は水辺に住んでいたから、恐らくここには遺跡が残っていると思われるのです。
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