↑は毛沢東軍(紅軍、、現中国共産党)が井岡山(江西省)から長征の果てに隠れ籠った陝西省の延安です。延安とは黄河高原に有って「
水一升よりは油一升の方が廉い」土地と言われます。要するに水が極端に不足している土地柄です。山紫水明の日本とは比較にならないから、瑞穂の国の日本人とは、生きる術も大きく異なるのです。これを念頭に現在の中国共産党を考える必要が有るのです。温室で育った、
日本のお坊ちゃん育ちの左向巻き学者連は、一度延安を訪問しては如何でしょうか。現在では、延安まで鉄道が走っています。
さて現在の中国は一党独裁国家で共産主義路線です。自由とか平等は有りませんし選挙権も有りません。
中南海の意のままの政治体制ですから、歴史の改変捏造等は勝手気儘に出来るわけです。有ろう事か、9月3日に「抗日勝利パレード」を行うと言うのです。ナニを証拠で勝ったと言うのだろうか。日本の真の歴史学者や政治家は、歩調を合わせ断固反対を唱えるべきです。黙っていれば子子孫孫まで悔いを残すだろう。
日本軍が戦った相手は国民党(現台湾、、蒋介石軍)で有って、共産党軍(毛沢東軍)では有りません。
しかも日中戦争と言うのは、日本軍の完勝で終わったのです。勿論ですが、勝ったとは言っても、日本も大きな犠牲(50万以上の戦死者)を払いました。人間が人間を殺し合う戦争は、二度と起こしては成りませんね。然しながら、現在の中国共産党は着々と軍拡を進めています。情報によれば、「
我国の領土は辺境の地で有ろうとも必ず武力で取り戻す」と言うのです。辺境とは何処を指すのかと聞いたら「
尖閣諸島」だと言うのです。我国も軍備しなければ成りません。
さて日中戦争時に我軍は共産党軍(毛沢東軍、、紅軍)と正面切って戦った事は無かったのですが、
林彪(後の国家主席)の率いるゲリラ部隊に待ち伏せに有って200人もの戦死者を出したのです。毛沢東軍はこの勝利を大袈裟に吹聴し3000人を殺戮し、武器弾薬を奪い大勝利と喧伝したのです。日本の戦史では、これを「平型関」の戦いと言われます。実際の平型関の戦いは日本軍と蒋介石軍との戦いで、最終的に勝ったのは日本軍です。日本軍は丸腰の補給部隊を(自動車部隊と輜重隊)で有って、全員殺戮され身ぐるみを奪われ何度も銃剣で刺されて死んだと言う。
林彪部隊には女性も混じっていて、死体からは衣服は勿論の事所持品(腕時計等)も全て奪っていったと言われます。盗む勿れと言うのは、毛沢東軍の守るべき事項だったようですが、これ等は後年の共産党の偽作だと言う。
日中戦争当時に現共産党軍が顔を出すのは、この平型関の戦いのゲリラ戦のみで、これ以外は顔出しません。尚、この平型関の戦いは昭和12年(1937)11月に起き、場所は山西省平型で山国です。大雑把に言うなら、
北魏が都を建てた大同(平城)が有名です。この平型関の戦い以後日本軍と国民党軍の戦いは峻烈を極め、上海で戦い南京(首都)も陥れたのです。然しながら、日本軍が敗けたと言う記録は見つかりません。
日中戦争時は、現在の中国共産党軍とは戦った事も無く、
抗日勝利記念パレード等は噴飯物です。
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