出典:東京新聞、6月24日(金)朝刊から(梅雨空、24℃、68%)
福島県双葉郡浪江町は福島第一原発の隣町だから、福島第一原発の過酷事故では周辺市町村としては最も大きな打撃を受けたのです。打撃を受けたと言うのは「
麗しい故郷だが線量が高く帰還出来ない」と言う事です。新聞記事によれば「線量が高い地域を除き、解除目標を来年(平成29年)3月と決めたようです。一部地域で未だ解除されないのは、阿武隈山中の村々のようで、解除されるのは
太平洋沿岸地域のようです。悪魔の原子雲は季節風に乗って阿武隈山中に吹いたから、核の灰が降ったわけです。
注
日本列島各地に有る原発立地市町村では「避難区域」を、20Km圏内とか30Km圏内とかで騒いでいるようですが、
それは過酷事故の起きた風向き(季節風)によって汚染地域は大きく変わるのです。つまり故郷が汚染され「無人の荒野」となるのは、運次第に成るわけです。もしも福島第一原発の過酷事故時に、強い北風が吹いたとすれば、悪魔の原子雲は関東地方(東京)を襲い東京オリンピックの騒ぎでは無かったろう。下手をすれば、日本の首都圏が壊滅する危険も有ったのです。
浪江町には大型船の入る漁港が有って、更には秋鮭漁が名物です。あの3.11時(東北太平洋沿岸大地震)には、津波による大きな被害を受けたのです。追い打ちの様に福島第一原発が爆発し、放射能汚染のために立ち入りが禁止されたから、人命救助もままならずダブルで過酷な被害を受けたわけです。幸いにして太平洋沿岸側は線量も比較的低いから、核の灰を除去して人間の住める場所にようやく復活したのだろう。元の浪江町に戻すのは簡単では無いでしょう。浪江町のHPを覗いたら、
あれもこれもの「遠大な絵に描いた町つくり」のようですが、実際は町民の帰還率は低いようです。あれもこれもの計画では無く帰還出来る者達が「
ゆっくりとして落ち着きの有るスローペースな生活が出来る事」を目指すべきです。学校を中心とした地域社会のコミニケーションの為の場を最初につくるべきです。遠大な計画はその後で良いのです。
さて浪江町の思い出話しを一つ。浪江町の秋鮭漁時は漁師さん達が「葦簀の小屋掛け」をして鮭定食を提供しています。
鮭のイクラをお腹一杯食べられると期待して行ったが、ナントナント小匙一杯程度のイクラが膳の片隅に出てきたのです。北海道で食べたイクラ丼に比較したら、雲泥の差だったのです。以後浪江町には行った事が有りません。
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