↑は、福
島県南相馬市小高区(旧小高町)出身の鈴木安蔵(明治37年〜昭和58年)の遺影です。この旧小高町と言うのは平将門の後裔を自称してる「
奥州相馬氏の本拠地」で、福島第一原発事故では「20Km圏内に有って、強制的に避難地域」に指定された場所です。現在は解除されてますが、東北太平洋沖地震(3.11)と原子雲が漂ったから、ダブルパンチを蒙り、町民は未だに立ち上げれ無いと言う。
真に「国破れて山河在り」の状態です。往古の賑わいを取り戻すには、容易では無いようです。過日、帰郷したが先ずは「JR常磐線」の開通が急務だろう。
さて
明治期の文明開化とは言っても、国の基本と成るべき「憲法は無く」明治21年に成って漸く「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布されたのです。この欽定憲法はドイツに倣ったもので、日本人による日本人の為の憲法では有りませんでした。馬鹿な戦争をした第二次世界大戦以後は、勝者側のアメリカによる平和憲法(民定憲法)が、昭和21年11月に発布されたのです。憲法は、あくまでのその国の国民に主権が有るべきですが、それは日本と言う国家が大きな犠牲のを代価として手に入れたのです。
主権とは!
国と言うのは領土(土地も空も含め)が有って、そこには国民が住んでいます。
その国をどの様にするのかには様々な意見が有ります。然しながら、最終的には国民が決定するのです。それを「主権」と呼ぶのです。つまり「国体の本義」に語らる国のあり方では無いのです。
自民党の安倍総理は「平和憲法を改正したい」と言うのだが、それは勝者のアメリカ軍に押し付けられたから、と言うのです。然しながら、日本の憲法は明治憲法も昭和憲法も「海外から倣い押し付けられたもので」日本人による日本人の為の憲法は作れませんでした。
例えば、イギリスの様な「マグナカルタ」をつくれる国の歴史では無かったのです。あんな広い中国へ武力侵攻したり、物資の豊かなアメリカとの馬鹿な戦争するのが、その証明でしょう。明治憲法には統帥権と言うものが有って、これを勝手に解釈し「陸軍(陸軍士官学校出身者のみ」が強大な力を持った事」が日本を破滅の道に押しやったのです
。国を守る為には「軍隊が必要ですが」、それを憲法に明記すれば必ず誤った解釈が噴出して、やがては破滅の道を歩むのです。平和憲法を「弄っては成りません」と言うのは、ここに有るのです。
戦前の明治憲法下でも、この様な憲法では無く「国民主権の憲法」を草案したグループが存在し、それは「
憲法研究会」と言われるます。中心メンバーは民間の学者、評論家達で
鈴木安蔵、高野岩三郎、馬場恒吉、杉森考次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信等のメンバーだった。彼等を代表し鈴木安蔵が書き、これが占領軍のアメリカに渡されたのです。
以下、次回に続く
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