↑は、中華人民共和国の1994年7月5日(平成24年)に公布された「労働法」です。胸のポケットに入る携帯版で、その大きさはマッチ棒に比較して下さい。当時の首席は江沢民ですが。
彼は1990年に、広東省トンガン市に視察に来たことを覚えています。中国の経済的発展は広東省から始まったのですが、これは自由貿易港の香港が近かったからでしょう。広東省は世界の製造工場とも言われたのですが、それは後年の話で有って既に’80年代から芽生えていたのです。中国各省(主に四川省、江西省、貴州省、広西省、河北省、河南省等)から、
男女の若い工員達が仕事を求め雲霞の如く押し寄せたのです。彼等は自らを「打工」とも呼んでいたようです。当然ですが、それらの工員達を守るべき法律が有りませんので、’94年になって始めて労働法が出来たわけです。
↑は、その労働法の目次です。これと言った目新しものは無く、
日本の「労働基準法」を真似たような簡略の法律でしょう。元々、共産圏に法律等は有っても無きが如しですし、法律は政争相手を陥れて刑に処する時に、適当につくれば良いわけです。これは、現在(2018年)でも変わら無いようです。政治家等は、何処の国でも同じだろう。
↑は、中国広東省トンガン市の某工場街の風景です。中国は国土が広く人口も多いのが最大の特徴で、道路が広いから両側には露店(凡そ何でも売っている)が多く見られたのです。但し、現在は禁止されているようです。
ここで見られる人々は広東省生まれの者は少なく、他省からやって来た者達だろう。
今思えば、中国経済がこの様に展開発展がするとは思いも思わなかった。↑の労働法が出来た当時(’89年)の工員の賃金は、日誌を見ると下記のようです。
女子工員の初任給
1.0時間で2元(当時は日本円で14円)です。
8.0時間では16元(224円)ですから、中国の賃金は如何に安いかと言うのがわかるわけです。実際には必ず残業が4.0時間有りますので、これよりは多くなります。現在の日本では
「働き方改善」等が論議されているようですが、上司からすれば「コツコツと真面目に働く、縁の下の力持ち」がベストな社員だろう。長年の経験では、中国人にはその様な者は一人見なかったと言うのが経験です。
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