出典:随筆文学全集ー8(書斎社昭和2年刊)より(曇天、12℃、68%)
↑は、江戸時代の文政12年に京都及びその周辺で起きた地震で、「理科年表」にも記されています。江戸時代後期に書かれた「地震考」として珍しいものです。著者は「「小島涛山で、その門下生が補筆したものらしい。日本列島は、世界有数の地震で怖いものの筆頭が地震です。然しながら地震が何故起きるかは知らず、地下のプレート同士が「ぶつかり合い岩盤が崩落する」等が分かったのはつい最近だった。私等は「地底に棲むナマズ様の欠伸や活動」によるものが地震だと信じています。
↑の「京都地震、6.5M」の被害は何故か土蔵、築地、高塀等が崩れ落ち怪我人が多く出たらしい。又、余震が永く続き、人々は家の中には寝れず、大寺の境内とか河原に出て夜を過ごしたと言う。揺れは上下振動が多く、死者は京都で約280名程度だったしい。
上記の地震考を書いた理由は「どうして地震が起きるのか」や
過去の地震歴(類聚国史、皇帝紀抄、方丈記等)に触れ、地震発生の原因(経世行義、天経惑問)や地震の前触れ等について書いて有ります。その当時の地震に関する最新のデーターだったのだろう。
最近だが、私が所属してる「郷土史クラブ」では、東北太平洋沖地震(津波)での「前震の有無」論議されています。
地震学者時は「無かったの一点ばりで譲らないが」明らかに前震が有ったのです。前触れは3月5日に岩手県内で始まり、6日には花巻、7日には岩手県沖及び福島県沖、8日は太平洋沿岸一帯、9日〜10日には宮城県沖でM7.3〜M6.8が発生し、やがては3.11の運命の日が来たのです。
結論としては、
来るぞ!来るぞ!と言われる危うい地域で、頻繁に揺れが起きるなら自主的に逃げるのが命を守るベストだろう。地底での、大きな山崩れが始まっているのです。それにしても東京湾の埋め立て地を中心とした地域で、’20年東京オリンピックをやる等はクレージーだろう。金に目が眩んで、危険だと言うのを忘れているのです。
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