出典;毎日グラフ(別冊、1億人の昭和50年史)
↑は、先の大戦中(日本は、世界を相手に戦った)に、軍需工場で労働する若い日本人女性です。やってる内容は機械工が教わる、初歩の初歩である「ヤスリがけ」です。この「ヤスリがけ」を卒業しないと、普通は一人前の機械工には成れません。
働いている場所は、恐らく「兵器工場」だろう。ナゼこんな若い娘が機械工場で働くのかと言うなら、答えは至極簡単で「男子の工員を全て戦争に狩りだしたから」です。前に戻って言うが「ヤスリがけ」は簡単では無く、余程に習得しなければ、ロクな製品には成りません。もしも兵器を作ったとすれば、極端な話が銃の球が出ないで不発でしょう。戦争には、負けるに決まっていたのです。
大戦前に福島県南相馬市(旧原ノ町)には、海軍の飛行場(但し、ラジオも無かった)が急遽出来たのです。付近の尋常小学校生徒は草むしりとか、グラインダーの綱引き等に狩りだされたのです。
言えたきゃ無いが「子供には玩具の飛行機だって飛ばせ無い」のです。昭和18年9月に成ると「国内必勝動労対策」として、出改札係、車掌、理髪師等々の17種目の職種については「男子の就労を禁止し」軍需産業に振り向け、未婚の女性に変わったのです。更には19年に成ると満12歳以上〜40歳までの女性を「女子勤労挺身隊」として全て軍需産業に動員したのです。戦闘員が少ないから、戦争に負けて当然でしょう。ハッキリと言って「戦争は馬鹿か気が狂った者」しか出来ません。現代っ子は知らないだろうが、こんな馬鹿な事をした日本人が居る事を、絶対に忘れては成りません。二度と戦争は御免蒙るのです。特に女性の皆さんは、夫やお子さんを戦争に出しては成りません。
明治維新以後の日本はアジア諸国に先駆けて文明開化し、欧米諸国と肩を並べました。然しながら、それは背伸びしたのです。如何せん!我々は極東の島国で資源が不足してたのです。
特に石油資源が「0」に近く、これでは飛行機が飛ばせません。戦争では、これが致命的に成ったのです。開化が遅れた隣国の朝鮮半島を併呑し、更には中国大陸を席巻し、アジアを伺うロシア帝国に備えたのです。大戦での結果は↑の如く「女子供達の総動員では勝ち目は無くボロ負け」でした。米国に原爆を二度も落とされ、大きな犠牲を払ったのです。
然しながら、日本人は戦後の焼け跡から不死鳥の様に立ち上がったのです。特に朝鮮半島での南北に分かれた朝鮮戦争では、地の利が良く漁夫の利を得たのです。特に大きかったのは「米国に品質管理を学んだ事」でしょうか。
以後は新石器時代(トランジスター)を迎え、電子製品を世界中に売りまくったのです。我々世代には良い時代でした。我が世の春を謳歌してる時に、何故か韓国人が会社見学に来た事が有ります。思えば、これ以後から日本の製造業は韓国、台湾、香港等に進出が始まったのです。中国への進出はそれより遅れて始まったのです。労働集約型の製造業は、国土から溢れる程の人口(15億人居る)を抱えた中国だから、人件費が極端に安い(1/12ヶ月)中国へシフトしたのは自然です。
続
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