↑は、「民謡ゴールデン.シリーズ」として発売されたビクター潟激Rードのジャケットです。ちなみにレコードは45回転です。
若かりし頃に、民謡が好きで買い求めたものです。尚、当時は未だCDは無くレコードとテープが全盛でした。
福島県相馬地方と言うのは、福島第一原発の過酷事故で散々な眼に遭い、現在でも未だたち上がれ無い地方です。相馬地方と言うのは、ナゼか民謡の故郷とも喧伝されましたが、理由はわかりません。
西に阿武隈山脈を背負い東は太平洋で、これと言う産業や観光資源も有りません。阿武隈山脈から流れ出る小河川が扇状地を形成し、その狭い平野部に純農村地として存在してます。往古は千葉県我孫子市周辺に御厨を開いた千葉氏(相馬氏)が、鎌倉末期に福島県相馬地方に移住し幕末までこの地を治めました。交通は太平洋に沿った国道6号線が、褌のように一本通じています。
民謡の元々は、汗水たらし働く民衆の労働歌なのだろう。労働の合間に謡う、若い男女の掛唄等も有るようですが、基本的には労働歌と思えばそれほど異存は無いだろう。それがシッカリと民謡として認められたのは、NHKの仙台放送局の功績だったのです。各地方に謡われてた労働歌を掘り起こし、新たに民謡とし確立したのです。更には、相馬民謡として流行った大きな原因には、民謡歌手としての「鈴木正夫」の存在が有ります。今、レコードをかけて聞いて見ると、その若々しく澄んだ美声には驚きます。
↑のジャケットには農家の軒先に「吊るし柿」が見えます。
柿の名は「富山柿」だろう。相馬地方は江戸時代後期の人口増加策として「北陸地方(富山県)」から、一向宗徒を多数呼び寄せたのです。恐らく、彼等が富山柿を運んで来たのだろう。吊るし柿はおやつや贈答品ばかりでは無く、餅と一緒に突き合わせたご馳走だったのです。その美味しさを、現代っ子は味わった事は無かろう。
さて富山柿はその用途が広いから、何処の農家でも5〜6本以上は植えていたのです。
それがナンと言う事か、全て切り倒してしまったと言う。原因はお猿さんです。相馬地方には、その昔はお猿さんは居なかったが、原発で事故で無住家した人家に残された柿の実を目掛けて、お猿さんが山から下って来たと言う。お猿さんと言うのはイタズラ者で乱暴者です。油断してれば家の中まで侵入するのです。食べ物が無ければお猿さん達は山に戻る筈で、これが柿の木(果樹)を切った大きな原因です。原発事故と言うのは、自然界に及ぼす影響が大きいのです。
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