↑は、中国広東省某市の、新たに造成された工業団地の工場(群)の建屋です。写真は凡そ20数年前のものです。要するに、
自由貿易港の香港に近い広東省各地には、↑の様な工場群がゴマンとつくられ外国企業の進出をまち構いていたのです。労働集約型の日本の電子産業はソレとばかり飛びついたから、日本の空洞化現象が起きて当然です。現在の日本各地には野生のイノシシ(アーバンイノシシ)が、街を徘徊してるようですが、掴まえる為には「檻」が必要だろう。その檻の中には、おびき寄せる為の餌が必要です。これと全く同じで、日本企業は押すな押すなで押しかけてしまったのです。当時の中国には暮らしに困る若い男女が、これもゴマンと居たから人手不足等は有りません。
給料は時間給にして2元/Hだった。(注:1.0元=14〜15円)
現在の中国はアメリカと並ぶ経済大国で、日本に来て高価な買い物が出来る懐に成ったのですが、当時を知る私には考えられません。
尚、工業団整備(インフラ)には日本の資金やノウハウ等使われたようです。霞が関等の官庁街を歩けば、中国人(スパイ?)等がウヨウヨしてて、石を投げればスパイに当たると言われたのです。又、中国の上海地区(華中)への進出は、広東省の成功を知った後です。広州の白雲飛行場から、上海の浦東空港には何度も往復してたが、上空から河を眺めると「河は蛇行してる」のがハッキリと分かります。
↑は、広東省某都市部の工業団地内の二車線の広い道路です。この道路には「露店」が軒を並べています。
日用雑貨品や飲食店や果物等いろいろ売っています。休日や夜などは、若い男女工員が押すな押すなで歩行が困難な程です。工場で働く若い男女工員(外来工、打工)の寮には二段ベット一部屋に四個(畳一枚が専有場所)有って、合計で12人が寝る事が出来ます。現在では、その様な寮は時代遅れで一人一部屋だと、中国の友人が教えてくれました。
↑の写真には、現在建築中の建物の足場が見えます。足場は竹で編むのです。縛るのはビニール製の黒い紐です。日本人から見ると危険ですが、職人さんは身軽に登り移動するのです。
尚、これ等の建築職人は、広東省以外の省からの出稼ぎ労働者だと言う。
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