この鳥獣人物戯画(部分図)は、中国人小姐達に人気を博したもので、私の解説も良かったかも知れないと秘かに思っている。
日本の絵巻を言葉どうりに言えば、絵を描いた巻物と言う意味で有って、古代から中世にかけて数多く作られている。但し、絵巻とか絵巻物と言う言葉は未だ使用されて無く、例えば、有名な「源氏物語絵巻」等は、単に源治物語絵とか源治絵等と呼ばれた様です。絵巻物と呼んだのは後代になってからの様です。
恐らく○○絵と言う呼び方では、そこに描かれている主題が中心で有り、その絵がどの様な形式で有るのかとか、時代的な背景等には関心が無かったせいかも知れない。
この絵の場所は秋の野原で有ろう。右側上辺に秋草が見えていて、時間は午後で有ろう。もしかして夕暮れ時かも知れない。日頃威張っているウサギとカエルの相撲で有るが、勝ったカエルは口を広く開けて、大きな声で勝ち名乗りを上げている様です。カエルの手足には躍動感が有り、これ以上の勝ちポーズは無いだろう。
一方で負けたウサギの方は、日頃の自慢の鼻を折れたのですが「イヤー参った参った」とばかりに、おどけ顔で「笑顔」も見えるのです。これを描いた作者の「暖かい心」が見えるのです。これは世界に誇れる日本のご自慢の絵だと思うのです。
この絵の様な絵巻物を専門家は「戯画、風刺画」と分類するらしいが、この高山寺印の有る鳥獣人物戯画は、戯画としての最高傑作かと思われる。裏読みをすれば、恐らくカエルは日頃の弱者を示し、ウサギは日頃威張っている強者を示すものかも知れない。勝ったカエルの得意満面のポーズがそれを良く表している。作者は鳥獣を借りて、その時代相を表したのだろう。
また有名な風刺画としては更に「天狗草子」が有って、これはその時代(13世紀の東寺)の大寺がその寺格を誇り、みな傲漫で有り外道に陥っているので、それを風刺して7種の天狗に例えたと言われるのです。
注
作者は、鳥羽僧正覚猷(1053年〜1140年)とも言われる様ですが、筆法から見れば同一人物で描いたものでは無いと言われる。甲、乙、丙、丁巻が有って、甲乙巻は平安時代に描かれ、丙丁巻は鎌倉時代になってから描かれた様です。高山寺印の上下二ヶ所の部分は張り合わされた事を示します。

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