白話(バイホア)とは白のインクで作文する事でも有りませんし、内容が空疎な駄文と言う事でも有りません。白話とは話言葉で書いた文章と言う事で、言文一致で書かれた文を指すのです。これは簡単の様ですが、例えば、中国の「詩経」等は儒家の聖典で有って、中国第一の古典ですが、読んでも確かとは解り難いのです。
1949年(昭和24年)4月の「大公報」には「胡適への公開状」と言うものが有って、これは胡適に対する、革命派の挑戦状でも有った様です。何故なら、胡適は(1891年〜1962年)これ以後に米国及び台湾に亡命し余生を送ったのである。胡適こそは近代中国文学の父とも言うべき人で有ったのです。胡適は米国のコーネル大学とコロンビア大学を卒業した者で有るが、1919年に「文学改良芻議スウギ」を発表して中国文学革命の狼煙を上げたので有る。
彼は「国語的文学、文学的革命」を1918年に発表したのですが、ここで国語とは白話文を指しているのです。彼は言う「
文学革命とは、中国に一種の国語的文学を創造する事を指していて、国語文学が有って初めて文学的国語が生まれる」と説いたので有る。
例えば「陶淵明」の詩が現在でも読まれのは、白話文だから読み易く、更には水滸伝、西遊記、儒林外史、紅楼夢等も白話で書かれているからだと言うのです。胡適の指摘は続き、これらは生きた文章で「活文学」なのだと言う。それに対して中国2千年来の文人の文は「死文学」だと言うのです。これは至極最もな事で有って、話言葉で文章を書くと言う事は重要な事では有るのです。
胡適が提唱した文学革命は、「五四新文化運動」と言われるのですが、後には盟友で有った「陳独秀」がマルクス主義に走ると、これと袂を分けて国民政府(台湾)の下に走るので有る。モタモタしていれば結局は「反革命者」として抹殺される運命で有ったかも知れないのです。中国4千年だかの歴史に於いては、とかく文を書くと言う仕事は命がけでも有った様です。なお現在の中国語文は新聞を始め教科書等も白話になっています。
注
経験した限りでは、中国人は「能筆、達筆」等が尊ばれる様です。達筆のあまり内容が読めなく理解出来ないものがママ有るし、文法的にも首を傾げる事も時々は見られます。意識して達筆に書く者が居るのには困ります。最近では「我ワタシ」を「俺」等に置き換えた文も見られます。メールでお聞きしたら「俺」は四川省の地方語で有るそうです。

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