哲学は現在の社会教育制度下に有っては、人文科学系や社会科学系、自然科学系等の分野に含まれている様です。その大学や研究所の制度や組織の有り方、予算運用とかカリキュラム編成等がその様な分け方をしているのかも知れません。
さて「哲学史」と言うならば、他の学問と比較してみると、かなり特異なものが有るようです。分り易く自然科学で有る物理とか数学等の歴史を考えてみれば、その概念(歴史)には歴然たるものが有って、どうのこうのと論議する余地は無い様です。それらの歴史には、
一歩一歩の着実な成長が有ったのです。例えば、有る日画期的な発明や発見が有ったにせよ、それは過去の積み上げに因ったもので有るからです。その場合には過去の実績が無になる事は無いのです。
電子工学等は既に老人の出番は無くその分野から2年も離れれば、追いつく事は至難の業では有るのですが、アナログからデジタルに変わっても理論的には過去の実績が無になる事は有りません。
一般的に言って、新しいものは古いものへの積み重ねと言っても良いのです。ただ、電子工学を学ぶとは言っても、その歴史の一から学ぶ必要は決して有りません。
しかるに、哲学史の場合にはアリストテレスの昔から、着実な一歩一歩の積み重ねが無く(
つまり発展過程が見られない)例えば、さる一思想家の亜流達が師の原理に従って探求し、何らかの縁取りをして示したに過ぎない様です。哲学史を考えて見ると、哲学者達の意見は個人毎に様々なものが見られるのです。それは恰も哲学の寄せ集めの様にも見えます。
もしも哲学と言うものが真理の追究で有るならば、自然界の中の「真の真理」とはタダ一つなのかも知れません。色々な意見(考え方)が有るとすれば、未だその真理に到達していない証拠かも知れません。これは当たり前の話で有って
、「哲学自体の担い手」は「私自身」なので有り、貴方自身では無いのです。こんな話よりは、老妻の様に地球の誕生とか一億年も生きたと言う恐竜の方が良いかも知れません。
注
「哲学入門」藤本隆志著 東京大学出版会 から大きな示唆を受けた。

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