2015/1/2

救急救命ステント手術  

心筋梗塞始末記3

「千葉県救急医療センター」に到着。
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ストレッチャーで処置室に運び込まれました。 既に対応準備をしてくれていたのでしょう。 医師が5名程(その他看護師等スタッフの人数不明)ズラッと並んで出迎えてくれました。

処置用のベットに移されて、早速酸素マスクを装着され、心電図を取り、レントゲンを撮り、医師から簡単な心筋梗塞の状況説明と経皮的冠動脈形成術(ステント留置)という対応処置方法について説明され、手術やそれに伴うリスク等各種承諾の確認がなされてから衣類を脱がされて術着に着替えさせられました。

この頃から手術のために意識を低下させる薬を飲まされたり、胸が痛くて目を閉じていたりしたので意識と時間の感覚があやふやになってしまうのですが・・・
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ステント手術とは簡単に説明すると右の手首と右足の付け根の動脈からチューブを挿入、心臓の対象箇所まで到達させて網目状の金属の管を閉塞場所に設置するというものです。

足の付け根から入れる管は先端部から電気信号により心臓を規則正しく動かすためのサポート用で、メインの作業は手首から挿入された管を通じて行われます。

左向きに横たわった状態で、心臓まで管を通すというのに局部麻酔で実施されますが、体内を何かが動いているというような感覚はありませんでした。 術中に一度目を開けた時には、目の前に角ばったスピーカーの様なものがあり、どうやらそれが心臓の画像を写すカメラの様なもので、左に横たわった状態の私の正面に幾つもの画像が映し出されたモニターがあり、医師は私の背中側腰の辺りから作業を行っていました。
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ステントの装着場所は、心臓に3本ある主要な動脈のうち、閉塞状態にあった1か所のみで、その他の閉塞しかかっている部分にはバルーンと呼ばれる風船みたいなもので血管を広げるとともにゴミと呼ばれる血栓等を取り除く作業を行いました。 取り除いたゴミを先端部から取り除くためでしょうか、金属のプレートに細い管の様なものをたたきつける様な音が聞こえていました。

また声はすれども姿は見えなかったのですが、バルーンに送り込む圧力の数値を指示する声が違っていたので、メインに執刀してくれた医師は2人いたようです。
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手術にどのくらいの時間がかかったのか、良く分かりませんでしたが、ICU(集中治療室)へ移された時には窓の外には夕闇が訪れていました。 右足は固定されているものの、ベットに固定されているわけではないので、ゆっくりと向きを変えることは出来ますし、腰も浮かせられますし、少しなら頭も持ち上げられます。

暫くして家族の面会が許可されて仕事先から駆けつけたかみさんと両親や弟夫婦と会うことが出来ましたが、未だ呼吸が苦しかったのと、何故か左肩が痛くて、皆に感謝とお詫びを伝えた以外の事はあまり良く覚えていません。 ただ、カーテンで仕切られた私のベットの定位置上にある照明の蛍光灯が一部切れかかってチカチカしていたこともあって、直ぐにICU内に3つある個室に移されました。

この時点の状況は、右足の付け根から挿入された管には心臓サポート用の電極?が繋がれていることから、右足はコルセットの様な拘束具が装着されていて、ベットの右足先部分にその機械が吊り下げられています。 右手と左手にはそれぞれ点滴が挿入され、下腹部には尿を抜き取るドレーンも装着されています。
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胸には幾つかの電極が貼り付けられ、脈拍、呼吸数、血圧等をモニターするための6本位のコードが這っているのと、指先を挟んでいるクリップで酸素量を測っていて、そのモニターがベットの頭部分から右に少し離れたところに設置されています。 鼻と口を覆う形の酸素マスクが装着され、ベットの頭部左からブクブクという音が聞こえて来ます。

心臓が電気により強制的に収縮させられているのは判っていましたが、耳には何処か近いフロアで小型発電機が動いているような音が響いていて、何処で工事をしているのだろう?夕方遅くなったら工事が中断して音が止まるかな?等と思っていたのですが、そのエンジンのような音は心臓サポートの電気を送っている機械の動作音だったようです。

夜8時頃になり胸の痛いのは仕方ないにせよ、左肩の痛みに耐えきれず、鎮痛剤を貰って飲みました。 2時間程して鎮痛剤が効いて肩の痛みが無くなってくると胸の痛みも少しだけ和らぎ、朦朧とする薬の効果も消えてウトウトすることが出来るようになりました。
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2015/1/2

救急車の乗り継ぎ?  

心筋梗塞始末記2

目覚めてはいたものの未だベットに横になっていた母親に、昨晩からの自分自身の症状等を説明し、病院へ連れて行って欲しい旨を伝えました。

荷物を持って階下へ降り、ダイニングにある椅子に座り呼吸を整えている内に、父親も起きてきて、母親が救急車を呼び、弟の家にも連絡を入れます。

救急隊からの連絡では救急車到着まで8分、両親の支度も整い、サイレンが近づいて来たタイミングでジャンバーを羽織り自分で靴を履いて歩いて家を出ます。
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到着した救急車から降りてきた救急隊員から漏れた第一声は「対象者、歩いて来ちゃったよ・・・」でした。

自力で救急車に乗り込んで、背を立てたストレッチャーに座り、心電図や血中酸素濃度を測る間に搬送先を探して連絡を取ってくれますが・・・ 正月2日、通常より難しいのは分かっていましたが、近場の病院から確認していきますが、内科・循環器系の医師がいなかったり、既に救急対応中だったりで、受け入れ先がなかなかみつかりません。

4〜5先に断られた後、入院施設も本格的な手術設備もありませんが、15分程かかるという「千葉市休日救急診療所」で一旦受け入れてくれる事になり、救急車には母親が同乗して、ようやく救急車が走り出しました。

救急車には初めて乗りましたが、前後左右上下の全方位に揺れて、これは外傷のある人等は刺激が多くて大変だろうなと思ってしまうほど乗り心地は悪かったです。

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9時前に休日救急診療所に救急車が到着し、ストレッチャーで治療室前の待機所に運び込まれましたが、自動ドアを挟んだ向こう側の廊下には人が溢れんばかりに立っています。 後で弟に聞いた話では、ここはまさに野戦病院、診察のための問診票を受け取るためだけで長い行列が出来ていて、中には途中で具合が悪くなって倒れる人もいたとか・・・

私も待機所で20分以上待たされた上、治療室内の狭いベットに運び込まれて心電図を撮られた以外は、下手な看護師に針を刺すのを3〜4回も失敗されたあげく、他の看護師に変わってようやく入った点滴以外の処置も無く、カーテンで仕切られてそのまま忘れ去られたような放置状態でどのくらい寝かされていたのか・・・

いい加減「何とかしてよ!」って、思った頃に医師が来て、心筋梗塞の状態がみられるので、一次救急医療を行う、この診療所から二次救急医療を行う輪番制の各大型病院を超えて、最上位の三次救急医療を行う7〜8分離れた救急病院に移送しますとの話がありました。

再び別の救急車へ詰め込まれ、最初の救急車で聞かれたことと全く同じことを最初から聞かれて答えて、ようやく救急車が走り出しました。 今回は右折左折が多くて、その度に大きく振られます。 気のせいでしょうが、最初の移送時よりも長く走っているような気がしました。
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