2015/9/6

中日  旅行・観光

昨晩未明から降り始めた雨は時折強くなって、夜中に何度か目が覚める程でした。 明るくなり始めた頃には小降りになり、一旦やんで明るくなったのですが、7時頃から再び強く降ってきました、今日一日こんな天気でしょうか・・・

二日目の最初は、海上自衛隊舞鶴基地へ見学に来ましたが、イベント時以外は駐車場も定時にしか開かないと言われて、総監部正門前の邪魔にならない場所に車を停めて30分程待とうと思ったら・・・
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名古屋ナンバーだったせいでしょうか、早めに駐車場へ入れてくれて「見学の受け付けは、10分前まで待って下さい。」と言われました。
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言われた時間通りに受付を済ませて、護衛艦の接岸する桟橋へ向かいました。

海上自衛隊舞鶴基地は別記事にします。

舞浜基地を後にして、舞鶴東ICから舞鶴若狭道に乗り、

小浜にある若狭國一宮の若狭彦神社へやって来ました。
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昼なお暗い参道の燈籠には電球が灯っていました。
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一宮にしては寂れた感じがして、社務所もありません。
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張り紙に神事を含めて全ての社務は、近くにある若狭姫神社で行われているとの記載がありました。
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しかしながら、拝んだ神社以外へ行ってお参りを頂くのは・・・何だか違う気がして・・・姫神社の前は通りましたが寄りませんでした。

小浜ICから再び舞鶴若狭道へ乗り、北陸道へ合流します。 北陸道は洗車機の中のような猛烈な雨で車が綺麗になるかもと思う位で、速度規制がかかっていました。

途中、南郷SAのレストラン「花はす」で、
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昼食に「小鯛笹漬け茶漬け膳」を食べてみました。
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小鯛笹漬けが美味かったので、土産に買って帰ろうかと思いましたが、日持ちしないようなので残念ですが諦めました。

北陸道の福井北ICで下りて、
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曹洞宗大本山の永平寺へやって来ました。
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永平寺は寺社の敷地内を自由に参観出来ず、
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建物の外側から勝手に写真が撮れなくて、
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参観を申し込み、
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見学を解放されている建物の内部からしか写真撮影が出来ません。
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内部は階段が多く、
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回るのが大変でした。

下山時に永平寺ゆかりの「胡麻豆腐」と
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福井土産の「羽二重餅」を老舗で購入しました。
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小腹が空いたので福井の街中へ出て、
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おやつ代わりに福井のB級グルメでは外せない「ソースカツ丼」を「ヨーロッパ軒 大和田店」で、
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ご飯少なめで食べました。
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甘めのソースが難関でしたが、卓上の練り辛子を山程かけて美味しく頂きました。

この後、近場の温泉に行ったら混んでいて駐車場に車が停められず、更に街中に入り、
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「極楽湯 福井店」で汗を流しました。

再び北陸道に乗り、今夜の宿泊地である尼御前SAに到着しました。
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売店を冷やかしているうちに暗くなったので、
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夕食はSAのフードコートで、
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「ボルガライス」を食べてみました。
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ケチャップライスに薄皮玉子焼きと薄手のカツが乗り、デミグラスソースがかかっています。 うーん、この内容で千円に欠ける価格設定は、コストパフォーマンスが悪いと言うよりは、暴利と言う方がふさわしいと思います。

夜になっても雨風共に強く時折車が揺れる位です。 明日も天気は荒れるみたいですが、二日目が終わりました。
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2015/9/5

田辺城  旅行・観光

1578年(天正6年)織田信長の命により守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧した長岡(藤孝)幽斎は、京に近く交通の要所であった旧丹後守護所の加佐郡八田の地名を田辺と改めて田辺城を築きます。
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1600年(慶長5年)、幽斎の子忠興は石田三成率いる西軍の誘いを退け、徳川家康率いる東軍に加勢します。
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田辺城はすぐさま小野木重勝や前田玄以の子茂勝が率いる西軍の大軍で包囲され、50日にも及ぶ長期戦となったが激闘の末、藤孝は保有する「古今伝授の書」が戦火で喪失するのを懸念し、後陽成天皇に献上。
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後陽成天皇の仲介により攻撃は中止され、田辺城を開城した幽斎は前田茂勝の丹波亀山城で人質となります。
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関ヶ原の戦いの後、細川忠興は豊前国小倉に転封され、京極高知が丹後12万3千石で田辺城に入封するも宮津城へ本拠地を移し、田辺城は一国一城令により破却されました。
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京極高知は次男・高三に田辺藩(舞鶴藩)3万5千石を分割、初代舞鶴藩主となった京極高三により石垣の修復や櫓の再建が図られ、荒廃していた田辺城は再興されます。
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京極氏は3代続いた後に但馬国豊岡藩へ転封となり、代わって入封した牧野氏が明治まで10代継続します。
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2015/9/5

福知山城  旅行・観光

福知山城は源頼朝挙兵の際、功績のあった小笠原長清の末裔とされる福知山地方の国人塩見頼勝が、室町期に八幡山の脇に掻上(かきあげ)城を築城したのが始まりとされています。
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頼勝は後に姓を横山と改め、嫡男信房の代に横山城となります。
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織田信長の命をうけて西進していた明智光秀は丹波国征討戦を開始、これに敵対した赤井直正・波多野秀治連合軍に塩見信房は加担。
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赤井・波多野連合軍は一時明智軍を撃退しますが、赤井直正が1578年(天正6年)3月に病死、波多野秀治の八上城が翌年6月に落城、赤井直正の黒井城も同年8月に落城します。
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光秀が丹波国征討戦に際して気づいた金山城の矢島刑部、朽木久兵衛、加上弥右衛門らに加え、四王天政春、林半四郎らが加わって横山城を攻め、塩見信房と弟塩見信勝は共に防戦しますが自刃します。
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この後、猪ノ崎城の城主塩見利勝は城に火を放ち、落ち延びている途中、林半四郎らにより討ち取られます。 これにより福山地方の国人衆は明智光秀に降伏し福知山平定と成りました。
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明智光秀は丹波国を平定し、横山城を福智山城と改名、近世城郭へ大修築し、城代には藤木権兵衛と明智秀満を置きます。
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1582年(天正10年)6月、本能寺の変で明智秀満は本能寺を襲撃の先鋒となり武功を立てますが、秀満は山崎の戦いで敗北し安土城にて自害。
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福智山城の留守居役となっていた秀満の父光安が豊臣秀吉軍により捕えられ京において処刑されます。
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福知山城は丹波亀山城の豊臣秀勝が城主となり、次いで杉原家次が城主となったが病没、小野木重勝が城主となった。豊臣秀吉の没後、関ヶ原の戦いでは小野木重勝は西軍に属し、東軍の細川幽斎、細川忠興親子の守る田辺城を攻めます。
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この時細川忠興は関東に出陣中であり、留守居役の細川幽斎が和議をとりつけます。 関ヶ原の戦いの後、細川忠興は徳川家康の許しを得て福知山城を攻め、小野木重勝は切腹します。
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関ヶ原の戦いの論功により福知山城には有馬豊氏が入城。 山陰道を押える要衝地にあるこの城を豊氏は近世城郭として大改修を行い、現在の城郭や城下町はこの時代に完成します。
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1620年(元和6年)、豊氏は久留米藩に加増転封。 翌年、亀山城から移封となった岡部長盛が3年で大垣藩に転封する以降は、短期で城主が転々とします。
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1669年(寛文9年)土浦城の朽木稙昌が入城し、幕末に至るまで朽木氏が13代世襲しました。
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2015/9/5

竹田城  旅行・観光

築城時期は不明点が多く、室町時代1431年(永享3年)に丹波国、播磨竹田に山名持豊(宗全)が「安井ノ城」を築き、太田垣光景が初代城主に任じられたようです。
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但馬の山名氏と播磨の赤松氏の争いが度々おこり、1441年(嘉吉元年)6月、6代将軍足利義教が赤松満祐に暗殺され、幕府より宗全に赤松氏追討令が下り、宗全軍は播磨城山城にいる満祐を滅ぼします。

1467年(応仁元年)、細川勝元と山名宗全の争いから応仁の乱が起こり、但馬は細川氏と山名氏の争いの場となります。

応仁の乱後も宗全の孫山名政豊と赤松政則が播磨などを巡り抗争が続き、赤松氏は次第に勢力を盛り返して山名軍を追放することになります。

出雲の戦国大名・尼子氏と同盟していた山名祐豊(誠豊の甥)に対し、毛利元就は織田信長に但馬出兵を求め、これに応じた信長は木下秀吉軍2万を派兵、山名祐豊は堺に亡命するも一千貫を礼銭として信長に献納し但馬復帰を許されます。
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この時竹田城には山名祐豊の重臣太田垣輝延が城主として留まったようです。

1573年(天正元年)、毛利軍が出雲、伯耆、因幡に進軍し尼子軍を破り但馬に迫り、太田垣輝延は毛利軍に降伏、1575年(天正3年)山名祐豊は吉川元春に誓紙を送り芸但同盟が成立します。

しかしながら、丹波の赤鬼こと荻野直正が同年10月に竹田城を占拠すると、山名祐豊は信長に救援を求めます。 信長は明智光秀を送って丹波制圧を開始し、荻野直正は黒井城に撤退します。 やがて信長と毛利氏が対立すると、信長は播磨に羽柴秀吉を派遣します。

1577年(天正5年)、羽柴軍は生野銀山確保を目指し、羽柴秀長が3000兵を率いて但馬に進軍、生野銀山を管轄する竹田城を攻城します。

羽柴秀吉は秀長の武将である桑山重晴を竹田城主に命じます。 桑山重晴は和歌山城に転封、秀吉に投降した龍野城主赤松広秀(斎村政広)が竹田城主となり、赤松広秀により竹田城が現在の形となります。
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赤松広秀は関ヶ原の戦いで西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めますが西軍は敗退。

東軍の亀井茲矩の誘いに応じ鳥取城を落城させるも、徳川家康に城下の大火の責められ鳥取真教寺にて切腹。 竹田城には、家康の命により山名豊国が受取り入城。 その後江戸幕府により竹田城は廃城となります。
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2015/9/5

初日  旅行・観光

立雲峡は、霧の雲海に浮かぶ天空の城として有名な竹田城跡のビューポイントです。 竹田城が見下ろせる展望台まではおよそ45分程の山登りらしいのですが、心臓に負担がかかるので横着をして駐車場から5分の山麓で様子を見ることにしました。
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霧は立ち込めていますが濃くて竹田城の方向すら分かりません。

およそ1時間程いましたが、じっとしていると蚊が寄ってきて煩わしかったので、スクリーン號に携帯の虫除けを取りに行って、戻ってみると・・・朝日を浴びた竹田城が、スッキリと雲海に顔を出しているではないですか! あまりのことにカメラを構えるのを忘れていた十数秒の間に雲間に呑み込まれてしまいました。
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掲載した写真はその後粘ってようやく霞む中におぼろげにに見えた竹田城です。

竹田城は別記事で解説します。

立雲峡を後にし、R9を東進して福知山市の中心部にある福知山城にやって来ました。
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土曜日でしたが駐車場に止まっている車は殆どありませんでした。
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開城?と同時に入って中の博物館?を見てきました。

内部は撮影禁止でしたが、下克上として扱われず、いわば反逆者として処分された明智光秀の城なので、残っているものは殆ど無いので、金を払ってまでみるほどのものではありませんでした。

福知山城は別記事にします。

福知山からR176を通って、天橋立の北端側にある丹後國一宮の籠(この)神社へやって来ました。
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この日は大安吉日だったのでしょうか? 神社内では結婚式が行われていました。
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久々の一宮巡りです。 社務所でお守りを頂きました。

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籠神社の敷地内にある天橋立観光ステーションにて、お昼用にお食事クーポンの1,000円券を購入、後程利用します。
http://www.amanohashidate.jp/coupon/

天橋立北端側からみた景色です。
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天橋立は、想像していたよりもかなりデカイ!というのが第一印象です。 南端側に向かいます。
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車で南端へ向かう途中、天橋立ワイナリーに寄り、辛口の白ワインを買いました。

天橋立のメインとなる南端では、近場の駐車場は満車でしたが、タイミング良く出る車がいて、良い場所に停められました。
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天橋立、正式名称「文珠天橋立公園」へ向かいます。
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橋立に通じる橋が観光船を通すために90度回転している場面に遭遇しました。
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天橋立は殆ど平らな砂浜だけで出来ていましたが、
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幅は結構広く、夏場は海水浴場になるようです。
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その場にいると全体像が見えないので、今回はパスしましたが、
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確かに山の上等から眺めるのが、良いのかもしれません・・・

昼食は天橋立内にある「はしだて茶屋」で、
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先程籠神社で購入したクーポン券を使い「あさり丼」を注文。
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このクーポンを使うと1,100円のあさり丼が100円引きで、コーヒーが付いてきます。

この後、京都丹後鉄道宮豊線の天橋立駅に隣接する「智恵の湯」に寄って汗を流してきました。
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天橋立駅で夜食用に駅弁を購入、
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板氷の詰まったクーラーボックスへ収納します。
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駅前に観光客用のボンネットバスが止まっていました。
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海岸線に沿って走り、西舞鶴へ入って来ました。

明日の天気が良くなさそうなので、明日一番に訪れる予定だった「田辺城」にやって来ました。
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田辺城は、別記事にします。

来た道を少しだけ戻って、今日の宿泊地西舞鶴にある今夜の宿泊地「道の駅 舞鶴港とれとれセンター」に到着。
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この道の駅には観光客用の市場があって、魚介類をその場で捌いたり、焼いたりして食べさせてくれます。
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今日はもう運転しないので、ビールと共に生牡蠣やサザエの壺焼き、
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ご当地物の土海老等を満喫し、
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天橋立駅で購入した鰯と鮭の笹の葉寿司駅弁「天橋立丹後の笹寿し さっさ」を食べました。
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昨晩は徹夜で運転だったので、今日は早く寝ることにします。
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