2016/8/28

6時間で・・・  旅行・観光

花火競技会の翌日は、私なりに予定を立てていたのですが・・・ 天気が下り坂だという天気予報に唆されて・・・ 朝8時前に秋田県横手市を出発し、長者原SA、安達太良SAでトイレ休憩し、
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昼飯は、那須高原SAで「十文字鶏の唐揚げ定食」を食べてみましたが、普通に唐揚げで特段のインパクトは無く、コスパは悪いかも・・・
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このあとは埼玉県央部までノンストップで、14時前に帰宅しました。
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2016/8/27

大曲の花火  旅行・観光

今年で90回目を迎える「大曲の花火」として知られる全国花火競技大会が開催される大曲は、かみさんの実家がある横手市の隣町大仙市にあり、秋田新幹線の最寄駅があることから、

鉄道利用で帰省する度に使うので、それなりに知っている町なのですが、人口約4万人弱の大仙市大曲地区に花火大会の日にはおよそ80万人が見物に訪れると言われます。

大曲の花火競技大会は日本煙火協会が後援し、また内閣総理大臣賞が与えられる花火大会として最も権威ある大会として位置づけられています。

花火をつくった本人が自らの手で打ち上げる真の競技大会と言われており、つまりは日本一の花火競技会という位置づけになるわけです。

競技は17時半から開始される昼花火の部と、19時から開始される夜花火の部に分かれ、夜花火の部のほうが規模が大きいとのこと。

何度も義父母に誘われていましたが今迄機会に恵まれまれず、ようやく今回見られますが大会は雨天でも決行され、開場の河川敷が増水等により使えない等の被害が出ない限り開催されるのだとか・・・

夜半過ぎまで音を立てて降っていた昨日の雨の状況ではどうなる事かと思っていましたが、朝8時前から強い日差しが降り注ぎ、横手は夏日に戻りました。

そして15時頃に出発し、会場にほど近い臨時駐車場に車を停めて、20分程かけて会場へ向かいます。 この日は、稼ぎ時だからでしょうか・・・ 会場近くに「ババヘラアイス」が4つも出ていました。
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何とか無事に観覧場所も確保出来ましたが、遮るものの無い炎天下、用意の良い人達はテントやタープ等持参で日差しを防いでいます。
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私は折り畳み傘をカメラの三脚に噛ませて日差しを凌いでいましたが、暑さからは逃げきれません。 本を読んで気を紛らわせていましたが、2時間もすると飽きてしまいました。
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それでも17時半になり、昼花火(煙の色と形で表現)が始まって間もなく陽が山の稜線に隠れて、急に気温が下がり始めました。
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会場の放送では、昼花火の競技が残っているのは、国内では大曲だけになってしまったらしいです。
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貴重なものだとは思いますが、やっぱり面白味には欠けますね。
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そうこうしている間に夕闇が深まって、いよいよ夜花火の開始です。 花火を撮影するのは初めての経験です。 不慣れなことから、今一つ迫力を伝えきれないのは御勘弁下さい。
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競技は1チーム(社)、最初に10号玉 芯入割物の部1発と、
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10号玉 自由玉の部1発(画像、違ったかな・・・?)。
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そして、創造花火の部に分かれて行われます。
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要は技術点を競う(披露する)2発と芸術性を競う2分以内の煙技(演技)で争われます。

この技術点を競う2発が特に素晴らしい。
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これがあるから・・・というより、この為に掛けてきたという気迫というか、真剣さが伝わってくるようで美しさもさることながら、すごく感動しました。 画像ではどれがどれだか判らなくてスミマセン。
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とにかく言えることは、打上数で規模を競い合っている花火大会とは別格と判る位、娯楽性は追及していない。
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競技会といえる所以ではないでしょうか。
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とにかく、世界最高と言われる日本の花火の中でも別格であることは間違いない。
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リオ・オリンピックでも花火は多用されましたが、あんなものじゃないところを見せつけて欲しいと思うのは私だけでしょうか。
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リピーターになる人が出るのは当然だと思う位、神聖(真剣)で格式ある花火競技会でした。
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これは、百聞は一見に如かずという言葉がふさわしい大会だと思います。
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帰り道、昼間いたババヘラアイスのおば(ぁ)ちゃん達が夜までブラック企業に働かされているのを目にして、思わずババヘラアイスを買ってしまいました。

この後、この日だけ0時半迄営業している温泉に行ったら大混雑でしたが、汗を流せてサッパリしました。
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2016/8/27


横手の実家周辺では、リンゴの栽培が盛んですが、
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てっきり全てリンゴがなっていると思ったら、
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洋梨?が・・・
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しかもリンゴのように赤くなっています。
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赤い洋梨は初めて見ました。 調べてみたら「レッドバートレット」という種類らしいです。 しらなかったなぁ・・・

お昼は、折角なので「横手焼きそば」をたべに、少し早めに出掛けましたが、大曲の花火大会に集まって来た人達でしょう・・・有名店は既に長蛇の列。 何件か回ってみましたが、ことごとく行列していたので・・・
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「朝菊」という小料理屋ですが、横手焼きそばも出すらしいので入りました。 おばちゃんが一人で切り盛りしているお店で、昼時なのに先客一名のみ。 横手焼きそばを大盛で注文。
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出て来たのは、もっさりした麺に薄い味付けの焼きそばでした。 うーん、今日は日が悪かったのでしょう・・・
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2016/8/26

麺屋 くさび -鶏の章-」  ラーメンその他

早めの昼時、盛岡市北部のみたけにある「麺屋 くさび -鶏の章-」へ一番乗りしました。
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券売機でおすすめの「全部のせ鶏そば」を選択し、麺硬めで注文。
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サービスで食べ放題のゆで玉子を頂きながら待っていると、程なく着丼。
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のっているのは、バラ豚チャーシュー5枚、煮玉子、クルトン、コラーゲンゼリー、ねぎ、あさつき、カイワレ、柚子皮です。

麺は、普通に柔らかめのもっさりした中ヨレ麺、スープは脂分の多い塩で、ちょっとインパクトに欠ける感じでした。
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2016/8/26

盛岡城  旅行・観光

1590(天正18)年7月、秀吉の奥州遠征の際に浅野長政と共に先鋒を務めた盛岡藩初代藩主南部信直が豊臣秀吉によって本領を安堵されます。
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翌1591(天正19)年に九戸政実の乱を鎮圧すると、新たに和賀・稗貫・志和の三郡を加増され、旧領と合わせて合計10万石を領します。
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南部信直は三戸から北上川・雫石川・中津川が合流する浸食段丘上の岩手郡不来方(こずかた)に居城の移転を決定し、1597(慶長2)年に嫡子利直を総奉行(そうぶぎょう)に据え、浅野長政の助言を得て築城を始めたと伝えられます。
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信直が朝鮮出兵により九州名護屋まで出陣したために築城工事は遅れ、信直はその完成を見る事なく1599(慶長4)年に福岡城にて没します。 利直は不来方という名を嫌い「盛り上がり栄える岡」の意味を込めて盛岡城と改称します。
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1633(寛永10)年に三代南部重直が入城して以来南部氏の居城となり、以来江戸時代を通じ盛岡藩の中心として栄えます。 明治の廃藩置県後、1872(明治5)年に陸軍省所管となり、城内建物は殆ど取り壊されました。
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