2011/12/29 | 投稿者: らっち

 本当にいろいろあったこの1年。きちんと振り返ると相当長い文章を書かざるを得なくなるので、簡単に振り返ります。

 まず、国家レベルでの最大の事件は何と言っても東日本大震災ですね。これはもう、堺屋太一氏などが言う通り、「第3の敗戦」と言うに相当する事態です。
 正直、これまで通りのやり方では、日本に未来はないでしょうね。「復興」ではなく、「新しい日本」を造るつもりでないと、この国は衰退する一方になることになるでしょう。
 ただ、たちが悪いのが、過去2回の敗戦と違って、「新しい日本」の姿が見えないのが厳しい。
 過去2回の敗戦時には、新たな方向性は見えていた。第1回の敗戦(明治維新前)なら、富国強兵や殖産興業。第2の敗戦(太平洋戦争)なら、民主国家や経済大国。
 今回の敗戦がやっかいなのは、そういう方向性が見えないこと。ヨーロッパもアメリカも破たんしてしまいそうな中、新たなモデルすら見つけられないこと。そういう意味では、過去2回の敗戦よりもしんどい時代が到来したかもしれませんね。
 「がんばろう日本」なんて言うけれど、国家は破たん寸前。国民は疲弊している。そんな中、ただただ「頑張ろう」なんて言っても、誰ももう頑張れません。この国、本当にどうなるのでしょうね…

 あと、個人的な大事件だったのは、スペイン演奏旅行。
 私自身、渡欧は今回で3回目だったのですが、過去2回よりもはるかにインパクトが残った渡欧でした。
 底抜けに明るく、おおらかで、バイタリティに溢れ、自信に充ち溢れているスペイン人。それと比較して、日本人の何とも小さいこと…。みんなどことなくひ弱で、表情が乏しくて、目が死んでいて、小さく小さく、仲間内だけで仲良くしている…。
 
 「なんでこうなっちゃったのかなぁ…」と色々考えました。一つ思ったのが、日本人、これまで真面目に頑張りすぎて来たのですよ。
 いや、資源に乏しく、国土もせまい日本で暮らしていくには、頑張らざるを得なかったのかもしれませんね…。
 例えば、農業で言うならこれですよ。まず日本。
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(井仁の棚田)

 小さな小さなこの国では、ここまで工夫して田んぼを作らなければ生活できませんでした。美しい風景ではあるけれど、ここまでの苦労を考えると…。ちなみに、スペインはこれですよ。
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 いくらでも土地はある。だからみんなおおらかに生きていけるんですね。

 そして、今年の問題で言えば、エネルギー問題。日本で、「原発どうする?」「原発がなけりゃ経済まわらないぜ」「でも、原発は何かあったら国の存続自体が危うくなるぜ」なんて言っている中、スペインはこれですよ。
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 広大な土地があって、そのくせ人口が少ない。正直、「ずるいよ、スペイン…」という感じです。
 日本なんて、この小さな国土、しかも山地が多い土地に、世界で5本の指に入る人口密度を抱えているんですけどね…。

 結局、土地がなくてエネルギーも乏しい日本は、とにかく一生懸命頑張って、工夫して、協力して生きて来ざるを得なかったのでしょうね…。だから日本人は、「助け合い」とか「道徳」とか「勤勉」を大事にする。それはそれで素晴らしいのかもしれないが、これは裏を返すと「出る杭は打たれる」「足を引っ張り合う」「独創性が育たない」「せこせこし過ぎる」「真面目すぎて豊かさがない」ということになる。正直、「スペイン、ずるいな…」と思う反面、「日本って、国土は狭いし、地震大国だし、そんなに多くの人が住むべき国じゃないのかもしれないな…」と思ってしまいます。そう考えると、今の少子化も必然的なものなのかな…とすら思えてきます。

 私、最近、イソップ童話の「アリとキリギリス」のお話が大嫌いになりました。
 あの話、確かにキリギリスの末路は悲惨かもしれない(まあ、国によって結末は色々あるみたいですが)。でも、じゃあ「アリは幸せだったか?」と聞かれたら、疑問符が付く。むしろ、冬に困ったとしても、好き勝手に生きていったキリギリスの方が幸せだったかもしれない。
 そう考えると、この童話、「勝手に価値観押しつけるなよ」と思ってしまいますね。
 しかも、この童話では、アリはそれなりに報われたから良かったものの、現実はどうか。
 日本人を見てみよう。アリのようにあくせく働く日本人。でもその結果、みんな元気がなくて、表情が乏しくて、目が死んでいて、小さく小さく、仲間内だけで仲良くするという、小さな小さな人間になってしまっている。中には、うつ病になったりして、冬を迎える前に悲惨な思いをしてしまう人もたくさんいる。。。
 それでも、冬が到来したときに不自由なく生活できるならまだいい。「冬」というのは、人生で言うと「退職後」に当てはめられるでしょか。現実問題として、日本人の退職後はどうか。年金は破たんしかけていて、それ以前に日本経済自体がもう潰れてしまいそうじゃないか。
 結局、せこせこ働いてきた日本(=アリ)も、おおらかに生きて来たスペイン(=キリギリス)も、国家としては結局破たん寸前にまで追い込まれてしまっているのですよ。
 まったく馬鹿馬鹿しい。どうせ同じ結末を迎えるならば、キリギリスのような生き方の方がずっと良い。スペインの方が、よほど人間らしい生活をしている。私なら、そもそも、「冬に餓死するよ」と言われても、キリギリスのような生き方の方に憧れますね。

 私の人生、これまでどちらかと言うとアリのような人生でした。もう、アリは終わりで良いでしょう。これからは、出来る限り、「キリギリス」を意識して生きていきたいと思います。
(念のため言っておきますが、「キリギリスのように生きる」=「怠ける」ではないですよ。「自分のために生きる」とか「好きな事をやっていく」という感じでしょうか。。。ただ、その「好きな事」が何かすら分からなくなってきていると言う現実もあるのですけどね…。「広島のまちづくり」にもう興味がなくなってしまった私。ああ、やっぱりまたヨーロッパに行きたい…)
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2011/12/25 | 投稿者: らっち

 クリスマスイブを含む3連休が終わりました。
 粉雪がチラチラと舞い、カップルなどは、ロマンチックな楽しいクリスマスを過ごすことが出来たのではないでしょうか?
 そんなロマンチックなものとはまるっきり無縁になってしまっている私。
 そんな私がどんな3連休を過ごしたかと言うと…。
 最初の2日間は、とにかく休みました。やらなければならないことは最小限度のことだけやって、とにかく休む! 寝る! 新曲の譜読みも、仕事でやっておきたかった作業もとりあえず放置! 12月に入って溜まっていた疲れをとにかく取りました。この2日間は、1日平均10時間以上寝ましたね…。こんなのは久しぶりです。
 そんな3連休、最後の25日だけはちょっとクリスマスらしい過ごし方をしました。
 世界平和記念聖堂に行って、知人が出たコンサートを聴いてきました。
 「セシリア・ミュージック・アカデミー」というところが主催したチャリティコンサートで、ヘンデルのメサイアが演奏されたコンサートでした。
 実は、12月24日とか25日を、世界平和記念聖堂で過ごすのは初めての体験。
 24日は毎年クリスマスミサが行われているのですが、寒いし、夜中に出るのも面倒だし、ということで、これまで足を運ぶことはありませんでした。
 ところが、実際に行ってみると、これが非常に良い! いい雰囲気出ています。写真でご紹介。
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 8月のスペイン演奏旅行以降、今一つふっ切れないものを抱えている私。そう言えば、この聖堂に来るのを忘れていましたね…。随分前に言いました(こちら)が、私の原点とも言えるこの教会。改めて訪れてみて、その素晴らしさにやはり感動しました。1日10時間寝ることよりも、ここで音楽を聴くことの方が、私からするとはるかにストレス発散になる。疲れもとれる。今更ながら、「何でこの聖堂を訪れることを忘れていたんだろう…。アホだ…」みたいな感じでした。
 また、正直あまり期待していなかったコンサートも、かなり楽しかった。期待していた以上の演奏を聴かせてもらいました。
 元々、メサイアは私が大好きな曲。とっても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
 では、今日はそのメサイアの魅力をお届しましょう。特に私が「カッコいい!」と思う曲数曲を紹介します。

 まずは初っ端の「序曲」。「これから壮大なドラマが始まるんだぞ〜」という、この緊張感。そして切なさを感じるフーガ。カッコいいぞ〜。


 いきなり飛んで、第2部の終曲「ハレルヤ」。これは誰しもが知っている名曲ですね。「王の中の王!」「主の中の主!」


 これまたカッコいい、トランペットとバスの共演。「トランペットが鳴り響く時、死者は蘇り…」という曲です。その曲のテーマ通り、トランペットがこれでもか! というぐらいカッコ良く鳴り響きます。


 最終曲。長いドラマの感動的なフィナーレです。高らかに、そして敬虔に歌いあげたい曲です。Amen!


 以上、クリスマスと世界平和記念聖堂とメサイアと言う、「これ以上の組み合わせはないんじゃない?」というぐらいの、素晴らしいコラボを体験した、今年のクリスマスでした。いいねぇ。こういう時間、やっぱり楽しいです。

2011/12/19 | 投稿者: らっち

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 20年優勝から遠ざかっている我らが広島カープ。今シーズンも結局5位に終わり、Aクラスからも14年遠ざかってしまっています。
 こういう状況に対し、私が提案した「カープ再建計画」は、こちらですね。昨年の11月21日の記事です。ざっとおさらいしましょう。
@球団名を「広島東洋カープ」から「広島マツダカープ」に変更し、マツダから相当分の広告代をいただく。
A愛媛県を準フランチャイズにしたり、2軍を山口県に密着したチームにすることにより、フランチャイズの拡大を図る。

 ざっと言うと、以上が私のカープ再建計画でした。
 そして、驚いたのが昨日の中国新聞。巨人軍の渡辺会長がこんなことを言っています。
「四国からも動員し、それで四国生まれの選手を育てる」
「僕は元君に「広島東洋」をやめて、「広島マツダカープ」に変えればいいと言う話をした。だけど彼は東洋工業に愛着があるんだよね。マツダもガタガタした時期もあったけど、今はちゃんとしているわけだから、補助金もらって、それで選手は全部マツダの車に乗るとかさ。もう少し商売っ気を出してね。」

 …見事なまでに、私の意見と一緒です。
 「渡辺氏が言ったから」という訳ではないのですが、やはり、現実的な球団改革としては、この2点が現実的なところではないでしょうか。「いっそのこと、もう身売りしてしまえよ」という声もちょくちょく聞きますが、身売りはちょっと大改革過ぎる。大手術過ぎる。手術を失敗すると、命を落とす危険性がある。
 カープの実態として、身売りと言う大手術を行わなければならないまでの状況ではないのですから、現状で出来る改革をしていくべきだ、と私は思います。
 特に、球団名の変更。「広島東洋カープ」を「広島マツダカープ」に変更するだけで、マツダからするとどれだけ広告になることか。
 ユニフォームの胸の部分に堂々と「MAZDA」と書くことが出来るようになるし、現在の帽子の「C」のマークだって、マツダのⓂに変更することだって出来る。球団旗やグッズにマツダのマークやロゴを入れることも出来るし、広告としてはかなり価値があるものになるでしょう。
 なぜ、球団名の変更すら出来ないのでしょうか。渡辺氏によると、「元氏が東洋工業に愛着があるから」とのこと。この話が本当なら、何とも情けない話ですね。
 よく、「企業名が入ると地域色が薄くなるから…」なんて話を聞きますが、マツダとカープに関して言えば、この理屈はあてはまりません。
 そもそも、「広島東洋」の「東洋」がマツダを表わしていることは広島人なら誰しもが知っていること。それが「広島マツダカープ」になったとしても、普通の広島人なら違和感なく受け入れるはずです。
 しかも、そのマツダは広島の会社。「マツダの城下町」とさえ言われるこの街で、そのマツダの名前が球団名に入ったところで、誰も何も思わないのではないでしょうか。サッカーJリーグのサンフレッチェ広島の胸に「DEODEO」と書いてあるのと同じくらい、何も違和感なく受け入れることが出来ると思います。
 ついでに言うと、「広島マツダカープ」になったからと言って、「マツダカープ」と呼ばなければならないなんてこともなくて、愛称はこれまで通り「広島カープ」で良い。これまで「広島東洋カープ」でも、誰ひとり「東洋カープ」なんて呼んでいなかったのですからね。

 もう一つ、渡辺氏が言っている「四国からの動員」ですが、これも何故カープ球団が本気で取り組まないのか、私からすると不思議なところです。
 プロ野球空白地の四国。その四国最大の都市松山には、広島からスーパージェットで1時間でいける。普通に考えて、松山を準フランチャイズにするべきなのは、誰しもが思うことでしょう。
 カープ球団の歴史を見ると、松山を中心に四国での試合開催に割と積極的だった時期もある様子。なぜ今は積極的でないのか。「過去、開催したけど集客がイマイチだったから」というような理由があるのでしょうか。
 もしそうならば、私は反論したい。「四国で試合を開催するだけではなく、四国のファンを増やす努力をしたか?」と。
 地道な営業活動や、マスコミを利用してのPR。また、キャンプの一部を愛媛県で開催したり、地元のセミプロチームとの交流試合を行ったりというような、営業努力をして来たか? そういう努力をすれば、四国、特に愛媛県でのファン開拓は充分可能だと私は思います。
 
 ともあれ、今回中国新聞に掲載された渡辺氏の提言。現実的な改革案として、かなり有効なものだと考えます。本気で強いチームを作りたいならば、これくらいの改革は行って欲しいものだと思います。

おまけ:
 今回の提言について、「けっ、憎き巨人のナベツネが言ったものじゃないか」なんてことを言う人がきっといることでしょう。
 しかし、私は言いたい。誰が言った案であろうが、良い案は良い。悪いものは悪い。誰が言ったかなんて関係ないでしょう、と。
 球界の話に限らず、「好きな人の話は聞くが、嫌いな人の話は聞く耳持たない」なんて感じの人がいますが、そういう人って、人生損していますよね…。「好きな人の話しか聞かない」という人は、結局、排他的な仲良しクラブを作って、仲間内だけで仲良くして満足する、という行動を取ってしまう人が多い。分かりやすい例でいえば、秋葉前広島市長の支援者連中がそうでした。秋葉氏や河野美代子氏は絶対的な存在で、少しでも反論する人はすべて悪。広島五輪も世界平和実現には必要なイベントで、反対する人は「平和への意識が欠けている人」とか、「秋葉市長によって利権を失った「アンチ秋葉」の人」にしないと気が済まない人たち。まあ、可哀そうな人々です。(参考までに、過去の記事その@そのA
 こういう人々みたいになりたくなければ、発言は「誰が言ったか」ではなく、その内容で是非を判断するようにしましょう…。(もっと言うと、簡単に是非を判断するのではなく、多角的な見方をして、自分の考え方を述べるべきですね)

2011/12/15 | 投稿者: らっち

 先日、Fさん(仮名)という方から、こちら経由でメールをいただきました。
 …が、ご自身のメールアドレスを記載されていないため、返信出来ません…。
 申し訳ありませんが、アドレスを教えていただけますでしょうか? よろしくお願いします。

追記:この方からいただいたメールを簡単に、公開できる範囲で公開すると、「「広島の魅力拡大」や「まちづくり」をテーマに、何か参考になる考えはありませんか?」というものでした。
 
 結論から言うと、私が考えられる範囲のものは、私の本家サイト「広島・都市観光の創造」に記載しているものが全てです。
 コストの掛からないもので言うならば、「幟町散策」「オープンカフェ」のページで述べているようなもの。もっと大掛かりな夢を語るならば、「市民球場跡地考」で述べているようなものがメインになります。
 「これ以上のことを語れ」と言われると、私の頭では今のところ思いつきません…。
 参考になる意見が語れなくて申し訳ありません…<(_ _)>

2011/12/3 | 投稿者: らっち

 エリザベトシンガーズの定期演奏会を聴きに行ってきました。
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(これは今回の演奏会の写真ではありません…。いつか中国新聞に掲載された写真です)

 「ん? 前回宣伝していた演奏会のこと?」と思った人。外れです。前回宣伝したのは、「マドリガルシンガーズ」で、今日聴きに行ったのは「エリザベトシンガーズ」です。
 …ややこしいですね。説明しましょう。
 「マドリガルシンガーズ」と言うのは、エリザベトの学生で構成している研究会。まあ、サークルみたいなものと言って良いでしょう。
 で、「エリザベトシンガーズ」というのは、エリザベト音大が作った、プロ(?)の合唱団。メンバーになるには、オーディションを受けて合格しないといけないそうです。
 今回、私が聴きに行ったのは、プロ合唱団の「エリザベトシンガーズ」です。
 「クリスマス特集」と言うことで、基本的に純粋に美しい曲ばかりを取り上げていました。クリスマスキャロルあり、ポリフォニーあり、オルガン演奏ありの、美しい演奏会でした。
 個人的な趣味になりますが、やっぱり、こういう「純粋に美しい曲」っていいですね。素直に楽しい時間が過ごせる。難解な現代音楽とかを聴くと、胃もたれが起こりそうで、「何でわざわざお金払って胃もたれ起さなきゃいけないんだ」という気持ちになりますが(苦笑)、今回の演奏会のように、純粋に美しい曲ばかりを選曲してもらえると、それは幸せな時間を過ごすことが出来る。とても楽しい演奏会でした。
 ただ、毎度のことながら、集客がイマイチですね…。今日の演奏会も、300〜400名程度ではないでしょうか。せっかく頑張っているプロ合唱団なのに、これではちょっと寂しいですね。
 ちょっとPRが足りないのかも知れないな…と思っていたら、今年のRCCの第9。エリザベトシンガーズがゲスト出演するとのこと。良いチャンスです。エリザベトシンガーズの存在を思い切りPRしてもらいたいものだと思います。歌う曲も、アレグリのmiserereなり、モーツァルトのAve verum corpusなり、ヘンデルのハレルヤ(メサイアより)なりと、「誰もが認める美しい曲」がメインとなっているとのこと。良いじゃないですか。是非、カッコよく決めて、エリザベトシンガーズのファンを増やして欲しいものです。

(アレグリのmiserere。この曲を歌うんだな…。ハイCは誰が出すんだろ…。聴きに行けないのがとっても残念…)

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おまけ:美しい曲

 今回の記事の中で、「純粋に美しい曲」なんてことを言いました。私の感覚で言うと、ルネサンス&バロックと言った「古楽」や、クリスマスキャロルと言うものは、「純粋に美しくて、カッコよくて、素晴らしい音楽」だと思っています。
 だから私、常々小中学校での音楽の授業での合唱の取り上げられ方には不満を持っています。「何で面白くもない日本の曲を授業でやるんだよ。歌謡曲をアレンジしたような曲を歌わせているんだよ。だから合唱が廃れるんだ。ヨーロッパに目を向ければ、美しくって、可愛くって、素敵な曲がたくさんあるのに…。ポリフォニーとかやれば、子どもでも合唱好きな子が出てくるだろうに…」って。
 ただ、こういう感覚って、どうやら少数派みたいなのですね…。ポリフォニー、カッコいいと思うんだけどなぁ。この良さって、伝わらないものですかねぇ…。皆さんはどう思いますか? 次の曲とかを聴いて、カッコいい、美しいって、思いませんか?

(パレストリーナの代表作、「教皇マルチェルスのミサ」より。カッコいいと思うんだけどなぁ…)




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