2013/8/31 | 投稿者: らっち

 松江で起きた「はだしのゲン」閲覧制限問題。結局、閲覧制限要請を撤回し、今後の取り扱いは各学校に一任することで決着したようですね。
 この決定、好意的に見れば「学校図書のあり方の原理原則に則った決定」とも見えるし、意地悪な見方をすれば「市教委に降りかかった問題を、市教委が判断できず、学校に判断を押し付けた決定」とも見えますね。
 私から見ると、正直、少々不満の残る決定です。「学校の自主性を尊重する」ことは重要ですが、ここまで問題が大きくなった以上、市教委がある程度責任を持って決断すべきだったと思います。
 今回の問題、本来は学校の図書室の問題にすぎない問題なのですが、それを政治的な問題にしてしまったのは市教委の責任です。今更「政治的な問題として取り扱うのをやめ、各学校の自主性に任せる」と言っても、政治的な問題となる火種は残ってしまいました。
 あのチンピラみたいな団体、おそらく今度は学校にクレームつけに行きますよ。どうせ暇を持て余しているような連中です。松江市の小中学校一校一校に、どなりつけるように訪問していきますよ。で、司書教諭がおとなしそうな学校などは、徹底的に狙われ、日常業務に支障をきたすほどの電話攻撃や訪問攻撃をするでしょうよ。ネット上での誹謗中傷とかやるでしょうよ。程度の低い連中のやることなんて、そんなものです。

(こんなのが頻繁に学校に来てごらんなさい。学校現場は通常業務が出来なくなりますよ。通常業務を妨害しておきながら、「子どものために…」なんて言われてもねぇ… 本当に子どものためを考えるなら、草の根的なボランティア活動から始めたらどうでしょうか)

 …こういう状況になっても、市教委は「学校に任せる」などと言うのでしょうか。元々は市教委の失態です。その尻拭いを学校にやらせるようなことがあってはいけない、と私は思います。
 「学校に任せる」のは良い。ただ、放置するのではなく、市教委として、学校を守るべきところは守ってやらないと。例えば、「学校図書館への要望・苦情などは、当該学校の児童生徒及びその保護者に限定する」など、何らかの手を打っておかないと、学校がしんどい思いをすることになりますよ。それくらいは配慮しましょうよ。

 ということで、「はだしのゲン」閲覧制限問題についてでした。今日はもう一つ、地方自治に関連する話として、原発と道州制の話をしたいと思います。

 原発については、推進派と反対派の言っていることが全然違い、一般市民ではとても判断できない部分が多いのですが、一つ、私が以前から思っていることがあります。
 それは、「これって、国全体で方針を決めないといけないことなのか?」ということです。地方やその地元の電力会社で決めてはいけないことなのでしょうか?

 以前、ネット上で「反原発の広島人」と「原発推進派の東京人」が議論しているのをみかけました。その中で、原発推進派の方にこんなコメントがありました、。

「日本は、東京 大阪 名古屋のように非常に過密に密集している。ソーラーなんて街灯くらいしか無理。」
「そもそも地方在住だから、何も気がつかないのではないのかな。天気や風に影響されてはいけないんだよ。安定的に供給しなくては、日本の残された、少ない輸出産業すら危うくなってしまうかもね」


 …この話を信じるならば、3大都市圏では、原発は不可欠なのかもしれない。じゃあ、他の地方は??? 「地方在住だから、何も気がつかない」なんて言うけど、東京のような、世界中を見ても稀な過密都市のことなんか知らんよ。そんなの東京が考えればよいじゃん。地方は地方で考えるよ、と私は思います。おかしいですかね? いちいち国全体で方向性をはっきりさせないといけない理由がよく分かりません。
 
 今後地方分権が進み、道州制の議論も進んでいくであろう中、発電方法にしても、各地方に任せればよい話ではないのでしょうか? それぞれの地域の実情にあった発電方法を考えればよいのではないのでしょうか? 置かれている環境がまるで違う東京と中四国地方。無理に「東京スタンダード」に合わせる必要など、全くないと思います。

2013/8/23 | 投稿者: らっち

 「はだしのゲン」の閲覧制限問題。大きな波紋を呼んでいますね。
 この問題について個人的にどう思うか、はここでは述べません。ここでそれを述べたら、やれ右だの左だの、知ったげに、嬉しげにコメント欄で好き勝手述べる人が出てくるでしょうからね。

 今回は、この問題を通して、地方自治を考えてみます。
 結論から言います。この問題の根本は、「松江市民が、自分の子どもたちにどんな本を読ませたいか。また、どんな本を読ませてはいけないと考えるか」というだけの問題です。それ以上でも以下でもありません。つまり、外野がとやかく言う問題ではない、ということです。あくまでも松江市教委が自らの判断で決断する問題です。
 これは民主主義の根幹に関わる問題です。「ごく一部の市民と多くの部外者で構成された団体から要請があったから閲覧制限した」とか、「その後全国的に反発が大きくなったから撤回した」などという話はあってはならず、あくまでも松江市教委が、学校現場の意見を聞きながら、また児童生徒の反応を確かめながら、そして専門家の意見を聞きながら、松江市の教育の責任者として、決断すべき問題です。

 その意味では、松井広島市長のコメントは、非常に適切なコメントであったと思います。(新聞紙上で見ただけですが)
 松井市長は、「(松江市教委は)子どもの精神発達の段階で完全に害悪を排除しようとすることに、あまりに重きを置きすぎている」と指摘しつつも、「教材として活用する広島市の取り組みを参考にしてほしい」と述べるに留めています。
 これに対し、「どうしてもっと強く批判しないんだ」という声もある様子ですが、それは越権行為。松江市の自治を尊重するならば、「広島市の取り組みを参考にしてほしい」くらいの発言に留めるべきなのです。
 ここで強く松江市教委に抗議するようならば、結局、やっていることは閲覧制限を要請した団体の連中と一緒。自分の価値観を松江市に押し付けているだけです。一体何の権限があって松江市政に口出ししているのか、という話です。市民の声そっちのけで自分たちの主張を通そうとしているだけでしょう? それが如何に傲慢な話か分かりませんか? 自分たちが逆の立場に立ったことを考えたことありますか? 「広島市立の小中学校には○○の本を置け!」とか「いや、置くな!」とか、外部の人に言われたらどう思いますか? 「お前らに言われる筋合いないよ!」と思うでしょ? ここは松江市の自主性を尊重すべきです。

 実際、国もそういう方針ですよね。
 下村博文文部科学相は「教育委員会は発達段階における教育的配慮から、自由な閲覧を避ける権限を持っている」と説明。要請について「教育長の判断は合法的で、文部科学省が指導するものではない」としています。
 つまり、「本を見せるかどうかくらい、自分たちで責任もって考えなさいよ」ということで、これも極めて当たり前の話です。むしろ逆に、国が「この本を見せるべきだ」とか、「この本は見せないべきだ」などと言う方が気持ち悪い。言論統制的なものを感じます。図書室にどんな本を置くかくらい、地元が自分たちで考えればよいのです。それが民主主義です。
 今、地方分権が叫ばれていますが、「図書室にどんな本を置くか」すら自分たちで考えることが出来なくて、何が地方分権でしょう。何が地方の自立でしょう。その意味で、 文部科学相の発言は極めて適切であると思います。

 今後、道州制の議論が活発になっていくであろう中、いい加減、住民側も「地元のことは地元で考える」「他地域の行っていることに干渉しない」「いちいち国に方向付けを求めない」という癖をつけていきましょう。そうでなければ、いつまで経っても地方自治は成長していきませんね。

 最後に念のため、一応、「はだしのゲン」の画像を。私、「はだしのゲン」を読んでからこの記事書いていますからね。ちなみに、このページ部分などは、閲覧制限を要請した団体などからすれば、「問題あるページ」なのかもしれませんね。
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 私自身はこの部分を読んでどう思うか、は、やはりノーコメントとしておきましょう。コメント欄が面倒なことになりそうですからね。
 ただ、「一部が史実に反する」ということで閲覧制限がかかるなら、多くの漫画、小説が制限されなければなりませんね。例えば、漫画で言うならば、手塚治虫氏の「ブッダ」や、横山光輝氏の「三国志」。特に「三国志」には悲惨なシーンも出てくるし、閲覧制限かけないといけませんかね? ただ、そんなこと言っていたら、みんなが歴史に興味を持たなくなってしまい、何よりも危険な「無関心な子が増える」という最悪の事態が待っている様に私は思いますけどね…。

 …こういうことを書くと、「けっ、所詮は左翼かよ」なんて単純に言われそうですね。
 まあ、別に誰にどう思われようが興味はない。私自身、自分が右か左なのか良く分からないのですよ。例えば、先ほど三国志を紹介したので、関連して三国志からご紹介。
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(これは横山光輝氏の三国志ではなく、こちらの三国志)

 このページは、最後、蜀の国が滅亡するシーンですね。皇帝・劉禅は簡単に魏に降伏してしまいます。劉備や孔明があれほどまでに苦労して国を作ったにも関わらず、です。
 で、その時のセリフが考えさせられる。
「権にありし者動かば田畑荒れ、兵が死し、民が…」

 この言葉に、息子は「見下げ果てたる恥知らずめ!」と激怒し、自身は自殺する訳ですが、劉禅のセリフ、いかがでしょうか? 今で言う、典型的な「左翼」の発想だと思いませんか? 私が劉禅の立場なら、最後まで魏と戦い抜きますよ。それが国の責任者としての使命だ、と私は思います。
 そして、仮に魏=中国、蜀=日本と現代に当てはめてみることにしましょう。そうなると、私はやはり日本を守りたい。戦争してでも、国は守りたいと思います。そう考えると、私はいわゆる「左翼」でもないのかな、とも思います。さあ、どうなのでしょうかね…。
 ちなみに、この劉禅の幼名「阿斗」は、中国では「アホ」「愚か者」の代名詞となっているとのこと。もし仮に、この国が中国に無抵抗で乗っ取られることになったら、日本人は「阿斗」扱いされそうですね…。

2013/8/20 | 投稿者: らっち

 最近、ブログの更新が滞っていますね。すいません…
 最近ほとんど街を歩いておらず、ブログネタがないのが最大の原因です。
 じゃあ、街歩きをせずに何をしているのかと言うと…。
 今、一番時間を割いているのは、娘のフットベースボールですね。
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(いつぞやの大会&いつぞやの大会。夏は重要な大会が多いのです…)

 ちなみに、私の区のフットベースボールはレベルが高く、区選抜チームは全国大会で準優勝という成績を収めました。おめでとう!!(うちの娘は選抜チームには選ばれていないのですけどね…。ついでに言うと、「全国大会」とは言いますが、まだまだマイナーなスポーツで、統一ルールでプレーしている地域はまだまだ少なく、このページを見ても分かる通り、西日本の一部に限定された全国大会と言う感じです。とは言え、準優勝とは立派なものだ。おめでとー!!)

 で、そんなフットベースの合間にも、色々と遊んではいます。
(いつか行った海。江田島・能美の海と福山・内海の海)
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(野球にも行ったし、花火にも行ったぞ)
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(あとは地元の祭りに行ったり、映画を観たり…)
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 ということで、「街」とは関係ないような遊びばかりしています。て言うか、暑すぎて街を歩く気にはなりませんよね…。
 とは言え、そんなことを言っていたのでは、このブログの存在意義が薄れてしまいます。次週以降は、ぼちぼち街の話題を取り上げていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
(今日の記事、写真は汚いし、大して内容もない記事ですね…。すいません。そろそろ頑張りますので、よろしくお願いします。夏はどうしても街遊びより、アウトドアがメインになりますよね…)

2013/8/10 | 投稿者: らっち

 広島市では、平成27年(2015年)に迎える被爆70周年という節目の年を、原爆死没者の慰霊と被爆者の援護、被爆体験の継承という被爆都市ヒロシマの役割を再確認し、決意を新たに「平和への思い」を共有するための年とするとともに、これまでのまちづくりの成果を踏まえ、まちづくりの新たな一歩を踏み出す年にしたいと考えているとのことで、この被爆70周年を記念するにふさわしい事業のアイデアを募集している様子です(こちら)。
 皆さん、ぜひ提案してみましょう。8月15日(木)までです。時間があまりありません。ちなみに、私はもう提案しました。内容は… 秘密です。まあ、このあたりがヒントですかね。

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