地名としては消滅しましたが、中野には「桃園」と呼ばれる地域があります。
徳川吉宗(8代)が鷹狩りでこの地を気に入り、たくさんの桃を植えさせたのが発祥です。

「囲」というのも旧地名「囲町」の名残で、こちらは吉宗よりももっと前、綱吉(5代)が大量のお犬様を囲っていたことに由来します。
中野って代々将軍様に好き勝手されてきたのね…
さて、現在の桃園通りには新旧のお店が点在。
洋品店、じゃなくて服装店
温室と化したウィンドウ
ドアが斜めについているのも昭和時代を感じさせます。

桃園通りの名誉のために、新しいお店や劇場もあることを書き足しておきましょう。
桃園という名前だけでどこか愛らしい。そしてピンクや赤を使いたくなる。直観的に住みたい造り。

金文字も良いし、ブロックガラスも私の好物。
「園」の字がいい。

昔の勝手なくずし字や「字のカタチ明らかにちがうじゃん!」って思うようなデザイン、堂々としていていいな。
かつては桃園川という川が流れていたよう。今は埋められて遊歩道になっています。川床歩きですね。

中野側から東高円寺まで歩き、青梅街道にぶつかり、今回はここまででUターン。その間に青果店のシャッターなど見たわけです。
何年も前に、青梅街道側から気になって自転車で入り込んだ小道が桃園通りとつながっていたことが分かりました。日頃から古くからありそうな道を嗅ぎつけて行動しているので、こういうことはしばしばあります。
ひとっ風呂浴びると、服装店に明かり。

かつての店主さんがお住まいなのですね。
桃園跨線橋から西を眺める。

まだ非常事態宣言下なので、しばらくはこんな風に、密を避けて近所の散歩を楽しもうと思います。

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