2010/8/31
毎日のウオ−キングコ−スに大学を定年退職になった友人がいる。毎日犬にタイヤを引かせながら、波打ち際を散歩している。
小生のウオ−キング帰り道、彼のところに寄り道して、世間話に花が咲く。彼が飼っている犬は、人間の体育部の生徒と同じように、タイヤを引きづって走ったり歩いたりしているため、かなり高齢であるにもかかわらず元気である。
やはり、この犬と同じように人間も基礎体力作りに、多少はハ−ドな運動が必要である。基礎体力があれば、この真夏の気温のかなり高い日でも、へこたれることなく、快適に過ごすことが出来る。
この飼い主の友人は一人暮らしである。定年後海岸通りの見晴らしの良い所へ、家を建て悠々自適である。
但し、一人暮らしで近所つきあいがなく、万一、何かの異変がおこり身体的に困難な状態が発生していても、誰も確認してくれる人もいない。
本日、半分冗談として話題に上ったことであるが、毎日朝から、日めくり式の黄色い旗を掲示しておくように。
当日の日付の黄色い旗が、出ていなければ異常事態とみなして、玄関ドアをたたき、それでも反応が無ければ強制的確認作業もせざるを得ない。
お互いに、納得の上実施したらどうかとの提案をする。彼の答えはまだ10年早い。しかし10年後には、もうろくしあの世へ旅立っていることであろうとのこと。しかし、これからの高齢化社会、笑い事では無くなってくる。


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2010/8/30
鹿屋市打馬1丁目の分譲地「パルタウン城山」を見学に行く。ここは持ち主から一里山不動産が販売委託を受けて取り扱っている。
全部で60区画の内、半数の南側が販売済みであり、残りは南側の1区画を残してあとは北側だけである。
この唯一南側で残っていると思われる区画は、番号18で面積91坪である。土地そのものが、丘の上に有るため見晴らしは良いが、東側と西側に既に平家が建つているため、2階建てを建築すると、東西南北見晴らしが良くなりそうである。
価額は未確認である。明日、当該物件が残っているかどうかと、価額を確認してみたいと思う。
場所的には、リナシテイから徒歩約10分であり、バスセンタ−もあり、買い物や空港へのアクセスも便利な所である。
現在、錦江町で海及び開聞岳や桜島が見えて、大型ス−パ−マ−ケツトまで徒歩10分、バス停まで徒歩3分の土地を不動産会社を通じて交渉中であるが、まだまだかかりそうである。
錦江町にするか、鹿屋市にするか、惑うところである。

< 孫 >

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2010/8/29
早朝午前6時、城ケ崎港の波止へ釣りに行く。午前9時が満潮であったため、潮加減は上り坂でちよっど良いタイミングである。
第1投目で木っ葉グレが釣れる。今日はさい先が良いなと機嫌良く、第2投目を遠投するが、サッパリ当たりが無い。
そうこうしながら、次々と遠投を繰り返す。時々横断歩道や熱帯魚が食いついてくる。狙う本命のグレはサッパリ来ない。
結局最終的には、木っ葉グレ3匹、熱帯魚2匹、横断歩道5匹、他ふぐやベラの小物類。
午前11時に竿を上げて、引き上げる。釣った魚は持ち帰り昼のおかずと、夜の芋焼酎のアテとなる。外道みたいな魚ばかりであるが、自分で釣った魚は美味い。


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2010/8/28
なんとも、はっきりしない天気の一日であった。カラ−ッと晴れていたかと思うと、急に大雨が降り出し、すぐさま晴れ上がつたと思うと、どんより曇り、又晴れ上がる。
このような状態を絶えず繰り返して、落ち着かない天気であった。気温は約33度と真夏並みの暑さで、何かをすると、たちまち汗だくだくになり下着の交換を余儀なくされた。
そんな中で、鹿屋市の住宅展示場レオハウスを見学したのち、バイパス沿いの売り土地探しを行う。
ある所では、分譲地の近くに養豚場があり、連日の暑さで、異臭がただよつていた。あの土地を冬場の臭いのしない日に見学して、夏の異臭を知らずに購入した人は、いまごろ後悔しているのではなかろうか?
やはり、土地探しは周辺の環境も充分調査すべきであることを、改めて認識した。


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2010/8/28
8月27日(金)夕方、妻の友人夫妻と夕食を共にしながら一杯やる。最初はビ−ルで各々350mmL缶一杯分、その後は焼酎に切り替える。
屋久島の「三岳」と言う銘柄の芋焼酎を親戚からもらつていたので、初めて封を切る。けっこうまろやかで美味い。友人夫妻が手作りの各種料理を持参してくれたので、その料理に舌鼓を打ちながら、話もはずむ。
話のなかで、地球上の生物(動物や人間)はどうして出来たのか?と言う話題が出て、万物の神様の創造説、と ダ−ウインの進化論の二つが登場した。
創造説は”万物の神”が目的を持って意途して、人間の頭脳や肺や心臓、肝臓や膵臓、神経の伝達組織等の複雑なメカニズムを作られた。と言うもの。
それに対して、進化論は、ある日宇宙に大爆発がおこり、そのエネルギ−で何かの生物が勝手に出来て、それが環境状況に応じて、各々の動物(人間や牛、馬等)に進化して来たというもの。
この二つの説のいずれを信じるかと言うのが、世界の学会で論議がなされており、進化論がかなり巾を効かせている。
しかし、どう考えても、人間や動物の身体の各々目的を持った複雑なメカニズムが、何かの衝撃により勝手に出来るとは考えられない。又、人間は猿から進化したと教科書には出ているが、猿はどうして出来たのかについては、あいまいである。
宗教を信じる訳ではないが、これは、最初に無の状態から、万物創造の神様が造ったとしか思われない。この記事の読者はどう思われますか?
良かったら、コメント欄に貴殿の意見を記載下さい。

< 都井岬 >

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