2020/11/23
老母宅の中庭に昔小生と親父が調達した流し台があった。
老朽化し使われずにいたが、長女婿の健二君が外へ出してくれたのを機会に解体した。
また、以前根占の廃校になった椅子を妻がもらってきていたものも、老朽化して使いものにならなくなったので、これも解体した。
金属やプラスチックを完全には分離出来ないものもあるが、処理場に持参すれば引き取ってくれるか不明。
以前、完全に分離して持って来いと言われたことがあるため。
その時は、また別な処理方法を検討したい。

< 道の駅おおきの兎 >

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2018/12/22
工事中通行止めになっていたが、ウオーキングや釣りはしても良いとの回答が矢崎建設よりあったため、早速ウオーキング。
道路脇の草が、かなり茂って、通りにくくなっていたので草払いした。
バッテリー式ビーバーを用いて実施。
途中で電気切れとなったが、予備のバッテリーと交換し、無事終了。
これで、他の人達も快適に通行出来る。

< 薩摩富士 >

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2017/9/18
台風18号が午前9時頃鹿児島県枕崎へ上陸した。
上陸時点では錦江町我が家は無風状態で波もなく、静かであった。
11時10分頃、霧島市へ移動した時、ようやく我が家へも西風が吹き出した。
周辺の竹林が揺れ、家庭菜園も少し塩揉みされた。
事前の予報によると、大型で強烈な台風と言われていたが、フタを開けてみると、さほどでも無かった。
まあ、しかし用心して、雨戸を閉め、終日読書して過ごした。
むしろ、鹿児島県よりも、宮崎県や大分県が強風や大雨で被害が発生している。

< 開聞岳 >

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2017/4/20
4月17日、夕方錦江町を襲った突風により、我が家へ通じている光回線が切断されてしまった。
4月20日、ようやく復旧工事が完了し繋がった。
この間、インターネットと電話が全く通じなくなったため、日頃何げなく使っている機能が手持ち無沙汰になってしまった。
現在、政府の音頭で、地方創生の見地から、IT企業を過疎化しつつある地域へ誘致しようと言う動きがあるが、万一、今回のような事故があると、一大問題となる。
バックアップ体制を充分整えておかねば、目的が裏目に出かねない。

< 永遠 >

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2017/3/21
55年前、昭和37年3月20日、小生は15才で中学校を卒業し、就職の為、大阪へ巣立った日でもある。
当時は神川中学校を卒業した同級生の95パーセントは、貧しいため高校へは行けず、そのまま就職した。
現在の中学校を卒業したばかりの子供達を見ていると、幼すぎて、とても単独で都会地へ送り出せそうにもない。
当時の親達は、やむをえぬとは言え、よくぞ、キッパリ踏ん切ったものだ。
小生は、その後、会社で働きながら夜間の高校へ行き、家を建て、結婚し、子供二人を設け、無事成人させ、定年退職し、郷里へ帰り、現在老母の世話をしている。
まあ、なんとか、いい人生であった。
これから、人生終章へ入り、あの世へ旅立つまで、おだやかに暮らせたら幸いだ。

< 鵜の岬 > --- 茨城県

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