岩淵水門
前々から一度訪れてみたかった岩淵水門に先週の木曜日にいってきました。
環七をバスに乗って赤羽まで行けば、あとは歩いて15分ほどです。
思ったよりずっと近かった。
昔から荒川は洪水をくりかえしていて、明治時代の大洪水をきっかけに荒川放水路の建設が計画されました。
そのとき起用されたのが、青山 士(あきら) という若者。
日本人で唯一、パナマ運河建設に参加して、かの地で土木技術を学んだ人でした。
その彼が指揮してつくったのが岩淵水門。 基礎を20mもほって作ったので関東大震災でもびくともしなかったのだとか。
これが その水門。 赤水門と呼ばれていて、建築遺産になっていますが、いまは役割を終えて市民の憩いの場になっています。
下流にできているのが青水門、これは現役です。
赤水門から見る
つくった青山は内村鑑三に薫陶をうけていて、そのためか、赤水門建設の碑に彼の名前はありません。
そのかわり、
「此ノ工事ノ完成ニアタリ 多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル
我等ノ仲間ヲ記憶セン為ニ 神武天皇紀元二千五百八十年
荒川改修工事ニ従ヘル者ニ依テ」
とあります。
この柱は、過去の最高水位をきろくしたもの。
一番上がカスリーン台風のときのもの、8.6mをこえています。
最近のH11年にも6.3mを記録していて、洪水は過去の話ではないのです。
いざとなれば水没するこのあたりは普段は緑が一杯、子供たちが遊んでいます。
向こう岸は川口、もうキューポラの街の時代ではないですね
水門の近くに治水資料館があります。 ここで詳しくわかります。
そこに行く前に新河岸川というのを渡りますが、これが水門の下流で隅田川に合流します。そこが旧荒川でした。
上流には山も見えます。 昼下がりのんびり過ごすにはとてもいいところです。

1