湧沢遺跡−宮城県山元町
先日、新聞屋さんから券をもらっていた江戸東京博物館を訪れた。
常設展の付随して「発掘された日本列島2013」というのをやっていた。
その記事が朝日新聞にでている。
展示の中に”湧沢遺跡−宮城県山元町”というのがあった。
はっとした。 山元には震災当時、友人のれいままがいた。
間一髪、津波を免れて九死に一生を得て、家族みんなも助かったが家は被災し、今は京都で暮らしている。
その彼女は、山元町で発掘の仕事をしていた。 出土品の復元作業もやっていただろう。 確か、震災当日も 役場にいてそれをやっていたはずだ。
直接に、この湧沢遺跡の発掘にかかわっていたのかどうかは定かでないけれど、道路復興にからんで遺跡はどんどんみつかって来ているのかもしれない。
復興のためにはある程度で発掘を終了させまとめないといけないようで、調査不十分とならないことを願うのみである。
震災は過ぎ去ってはいないし、復興は端緒についたに過ぎない。
原発事故はなにも後処理がされていない状態なのに、電力会社は皆、再稼働に前のめりだ。
彼らは何を教訓にしたのだろう。直接の死者がでなかったことをもって、後始末の金はどんどん国から引き出せそうなことをもって、もう一回事故が起きてもなんとかなるさ、くらいの認識でいるのではなかろうか。 暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

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