鉄道コム

2007/2/22  1:20

惜別、455系(東北篇)  その他電車
こんばんわ。
毎月恒例の鉄道雑誌発売週間となりましたが、気になる情報として東北線仙台を中心とする車輌置き換えに関するニュースが飛び込んでまいりました。何が気になるのかといいますと、私の母親の実家が東北ですので、何かとこの455系急行に乗る機会が多かったからに他なりません。「憧れ」と言うほどのものでなくて、実用的にこの車輌に乗車していましたし、デザイン的にも湘南色と違って「田舎に帰る長距離急行列車」のイメージがあり、愛着があったと言うことだと思います。

そんな彼らが、新車の投入により平成19年度中には姿を消してしまうというものです。おそらく、19年度中と言っても、置き換えに必要な車輌がそんなに多いものではありませんので、19年度も早いうちだろうということは想像に難くありません。

彼らの記録はあまり多くはありませんが、惜別の意をこめてその活躍のシーンをアップいたします。


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昭和56年1月5日 東北本線 白坂〜豊原 上り急行「まつしま・ばんだい」

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昭和56年1月5日 東北本線 豊原〜白坂 下り急行「まつしま・ばんだい」
この頃は既にビュッフェの連結は無く、グリーン車の帯も消されてしまっています。急行列車の風格が落ちてしまった頃でもありましたが、それでも堂々12両を連ねて走る姿は、現在の特急よりも重みがあって見えました。

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昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町〜翁島 上り急行「ばんだい」
日中線を訪れた帰りに寄った初めての磐越西線での撮影。当時はこの線も特急「あいづ」急行「ばんだい」「いいで」「あがの」「いなわしろ」など多数の優等列車運転されていました。身軽な6両編成の急行「ばんだい」も、郡山から「まつしま」「あずま」「いわて」などと併結され、12両になって上野を目指しました。


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平成12年7月7日 磐越西線 広田〜東長原 仙山色455系
東北新幹線の上野開業により急行運用が無くなった同系は仙台・福島・郡山を中心とした広範囲のローカル運用に着くようになりました。この塗色は本来仙山線用のものでしたが、銀色の電車の投入により仙台地区から追われ、磐越西線にまで姿を見せるようになりました。


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平成12年2月6日 磐越西線 広田〜東長原 磐西色455系
お馴染み磐越西線色の455系です。私個人的にはオリジナル塗装の方が好きですので、これはいただけません。しかし、同系にとっては、地味な普通列車の運用でも華やかに生きたいという主張だったのかもしれません。


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昭和62年3月28日 東北本線 東大宮〜蓮田 717系回送
生まれ変わった同僚717系を間に挟み回送するシーン。
「サロンなにわ」だかが関東を通過するという某誌の発表を受けて大勢のファンが待ち構えていたのですが、その時間にピッタリ来たのが彼らでした。その時はガッカリしましたが、今となっては貴重なシーンです。


今月は奇しくもRM誌とピクトリアル誌で455系が取り上げられており、資料的にも絵的にも満足が得られると思いますが、個人的な思いもありましたので、敢えて駄作をアップさせていただきました。

また、455系の他に、417系や717系までもがその運命をともにするということです。このことは個人的に大変残念なことではありますが、165系すら全廃になって久しいくらいですから、ある意味ここまで良く頑張ってきたと労いたい気持ちでいっぱいです。
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2007/2/21  22:00

バスネタ 新宿駅にて(都営・京王)  バスの写真館
こんばんわ。
本当は有給をとって鹿島鉄道の平日写真を撮りに行こうと思っていたのですが、午前中に会議が設定されていたことを忘れていてやむなく出勤。せめてもの抵抗に半休をとりました。まっすぐ家に帰っても勿体無いので、新宿駅前でバスの写真でも撮ろうと、いつもは利用しない西口ロータリーへ行って参りました。
今まで間が空きながらも15年新宿を利用してきましたが、新宿でバスの写真は初めてでした。もっとも、以前は写真を撮るほどバスに興味があったわけではないんですが。
それにしても、初めての場所で撮るバスの写真も新鮮でいいですね。駅に来るバスは各駅ごとに営業所が違ったりするので、新宿駅も普段見かけないバスが来ます。ものの20分くらいの間に満足してしまったので、これで終了。
(私以外にも私の横でバス写真を撮っているおじさんがいました。)


撮影はすべて平成19年2月21日 新宿駅西口バスロータリーにて
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これは品川営業所所属、ブルーリボン日野のHTでしょうか。ブルーリボンは浜松町で見慣れていたのですが、ライト周りの違いでかなり印象が変わります。

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こちらは練馬営業所所属、富士重工製ボディーのようですが、型式は良く判りません。この型も今まで見たことが(記憶が?)ありませんので、新鮮に感じました。


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2枚とも京王電鉄バスの三菱MP218。しばらく前に京王プラザホテルの前で回送車に出くわし、「どこに行けばこのMPが撮れるのか」ググッてみたのですが、全然分からずにあきらめていました。まさかお膝元の新宿に来ているとは・・・灯台下暗し・・・ですね。
しっかし、MP218はカッコいいですねぇ〜。(個人的趣味の問題ですが。)
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2007/2/21  1:50

憧れの車輌たちVol11(クハ481ボンネット型:続篇)  特急型電車(交直流・交流)
今日も更新が遅い時間になってしまいました。

憧れの車輌たち第11弾は、クハ481ボンネット型の続篇です。
第5弾のときにアップしきれなかったボンネット車の画像をアップいたします。

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昭和54年3月 ボンネット型「にちりん」「有明」
中学の卒業旅行と称して当時の鉄道マニア系の友達と九州へ行ったときの写真です。コレは親を泣かしたと思います。
当時の記録があまり残っていないので、どこで撮った写真か曖昧です。(多分、「にちりん」は大分、「有明」は熊本だったような・・・。)
この頃の九州配属車はことごとくヒゲを消されてしまい、大好きだった赤スカート車も間抜けなスタイルに見えてしまってガッカリだった記憶があります。


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昭和55年8月 大阪駅にて 急行「比叡」と並んだボンネット型「雷鳥」
この旅では、ある意味関西方面の貴重な車輌たちを捉えた最後の時だったかもしれません。山陰のキハ82系・キハ181系、関西の581系やボンネット型(主に北陸方面)、153系の急行と新快速、そしてEH10やEF66「とびうお」など、貴重な記録が数本のリバーサルとネガにギッシリ詰まっています。他の列車についても整理でき次第アップする予定です。


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昭和54年?頃 蕨〜西川口にて クハ489 0番台「白山」
前後のコマから昭和53〜54年初頭頃の写真と推測されます。このような特急列車が1時間に片道で4〜5本も走っていたのですから、銀色の電車ばかり走ってくる今日とは面白さが全く違いますね。


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昭和61年9月 撮影場所不詳 両全頭をボンネット型で組成した「白鳥」
この年の6月に運転免許を取得し、中古車を買って早速東北大回り1周の旅に行ったときの写真です。メモが無くなってしまい撮影場所がわからなくなってしまいました。
「白鳥」は、長らく青森車の運用になっていたので、事故でもない限りボンネット車が充当になることはありませんでした。しかし、この頃になると運用が変更(新潟持ち?)になり、「白鳥」にボンネット車が使われるようになりました。もちろん、これを見逃すわけには行きませんでした。

地域によって時期は異なったようですが、貫通型や非貫通型に遅れていたイラストマークがボンネット型にも採用されるようになりました。でも、個人的な好みとしては、イラストマークよりも文字の大きいシンプルなヘッドサインの方が、ボンネット型のスタイル・塗色に似合っていたと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?
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2007/2/20  17:43

蒸気機関車(山口線)  蒸気機関車
今回は蒸気機関車の写真をお届けいたします。第1弾は山口線です。

私は、元々SLに興味があったわけではありませんでした。全国の旧型国電の消滅が報じられ始めた頃、西の方で旧型を撮ったことがなかったので、可部線73系、小野田線クモハ42、瀬ノ八のEF59の撮影と抱き合わせで山口線へ行ったのが、SL撮影の最初になります。昭和57年の10月のことでした。

各地での撮影を終えていざ山口線へ。何も解らないままひたすら撮影場所を求め歩きました。本数が極端に少ない山口線で、いつもの撮影と違う緊張を感じていたことを思い出します。通過の時間が近づき、山間から激しい汽笛と微かなドラフト音が聞こえてくると、今まで体験したことの無い空気に緊張は極限に達し、カーブから立ち上がってファインダーの中に映った黒い塊と爆煙で、頭の中は真っ白になり、手はふるえてしまいました。
言葉では言い尽くせませんが、初めてのSLはそれほどの感動とショック与えてくれたのでした。

当時、架線のない本線を走るSLはこの山口線だけだったので、まだ旧型国電の撮影が収まりきれないときでなかなか訪れる機会は出来ませんでしたが、それでも毎年1回くらいは出掛けました。
初めてのときはC581、2回目のときはC571+C581の重連、3回目もC581と、何故か確率の悪いC58のときに当たりました。それででしょうか、なんとなくC57よりC58の方が愛着があります。

初めてのときは、あまりにも緊張しすぎて悲惨な写真になってしまい、皆さんにお見せすることは出来ませんので、ご都合主義ですが、自分なりに良いと思っただけご披露させていただきます。

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昭和58年5月15日 山口線 仁保〜篠目間にて C58 1
何故かC58によく当たりました。このあと、C58もあまり長く走ることはできずにC56にバトンタッチ、梅小路機関区で静かに余生を送っています。


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昭和59年8月19日 山口線 宮野〜仁保間にて C57 1
これも私のベストショットです。
訪れた回数も少ないですが、山口線ではあまり納得のいく写真がないため、この程度しかご紹介できなく申し訳ございません。


私の記録では、最後に山口線を訪れたのは昭和61年の11月で、その後青函連絡船や北海道のキハ82系の廃止、D51498復活&磐越西線の冬運転、C623の復活とに駆け回ることになり、山口号の12系茶色化と相まって、山口線とは疎遠になってしまいました。
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2007/2/19  1:35

憧れの車輌たちVol10(クモハ42系)  旧型国電
憧れの車輌たちは、早くも第10弾を迎えました。今まで多数の方にアクセスいただき、大変有難く、そしてうれしく思います。折角今までにたくさんの写真を撮ってきたので、大事にしまっておくのも勿体無いので、出来るだけ多くの方にご覧いただき、また楽しんでいただければと思います。これからも、出来る限り続けていけるよう頑張っていきますので、皆様よろしくお願いいたします。

お願いなのですが、私ごと当ブログをランキングに登録しておりますが、出来るだけ沢山の方にご覧いただければと思いますので、お手数ですが「鉄道ブログ」のバナー(ボタン)をクリックしていただけるようお願いいたします。これは個人の利益とかそういうものではなく、只ここに「私のブログ」があることをできるだけ多くの方に知っていただき、見ていただきたいためのものですので、わがままなお願いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。

第10弾は、「クモハ42系」です。
私が旧型国電に興味を持ち始めたのは、高校生になる頃からだと思います。戦前型の電気機関車が退役して行く中で、同時に旧型国電が数を減らしつつあることを鉄道雑誌を買うようになってから知り始めたからかもしれません。首都圏でも、高崎(両毛線・信越線)や川崎(南武線・鶴見線)で旧型を見ることが出来ましたが、いずれも急速に淘汰され始めた頃でした。

ちょうどこの頃に見た鉄道雑誌に飯田線や身延線、大糸線の旧国が終盤を迎える記事があり、そこで見た「クモハ42系」に非常に惹かれることになりました。
「クモハ42」は、2ドアで側面にズラリと並ぶ小窓、前頭にパンタグラフを振りかざし、貫通幌枠をそなえ引き締まった前面に、戦前のスターの面影を見ました。
また、これとは対象に合いの子流電「クモハ53」は、戦前型とは思えぬ流美なスタイル、パンタグラフを後部に移しスッキリした前面、ウインドシル・ヘッダーの無い広窓が並ぶ側面にも、かつて関西急行として活躍したスターであったことを十分に語れる存在と思えました。


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昭和58年4月17日 豊橋にて 165系と並ぶ「クモハ43013」
飯田線で最後まで残った「クモハ43」。出力をアップした同型のクモハ53もいましたので、2ドア車に出逢う機会は多くありました。「クモハ42」が既にいなかったので、片運でも同型が心の拠り所であったといえます。ちなみに、このとき既に80系が全廃になっており、すべて165系に置き換えられてしまいました。


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昭和57年10月5日 小野田線本山支線 長門本山にて 折返し待機の「クモハ42005」
飯田線の「クモハ42」亡き後、最後まで同車が残った小野田線にて。個人の趣味ですが、私はスカ色で前面に貫通幌受けが付いた姿が好きだったため、小野田線の同車には物足りなさを感じていました。同車が最後の戦前型営業車として残るとは思いもよりませんでした。


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昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて 「クモハ53007」
実車を見て改めて惚れてしまいました。併結4連を組み滅多に見せない前頭部。このときに初めてこの前面を拝むことが出来ました。ホントにカッコいいです。
しかし、その後の活躍は長くは続かず、飯田線の旧型全廃を前に引退してしまいました。運用離脱後は浜松工場の留置線で、その前面を私たちに見せて「最後のお別れ」を告げていました。


私はトータルで旧型国電が好きでしたが、特にこの2型式には思い入れがありました。しかし、時すでに遅し、流電「クモハ52系」とともに「クモハ42型」は廃車となっておりました。また、「クモハ53007」も前頭側を併結面にされていたため、堂々と先頭に立つことは滅多にありませんでした。
そんな中、最後まで残った「クモハ43」や「クモハ53008」が先頭に立って元気に走ってくれたので、これを励みに飯田線に通うことが出来たのだと思います。

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2007/2/18  15:35

憧れの車輌たちVol9(キハ82系:北海道篇その2)  特急型気動車
憧れ車輌たち第9弾は、キハ82系(北海道篇)の続きとなります。

※前回の北海道篇その1の写真説明で、撮影年月・撮影区間に誤りがありました。スライドを整理していて勘違いに気付きましたので、同記事についても一部修正させていただきました。


撮影は、全て昭和56年3月です。
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落合〜新得間にて 「おおぞら」
零下10度を下回る中、この「おおぞら」を待ち続けました。

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落合〜新得間にて 「おおぞら」
 まだ石勝線が開通していない頃で、すべての「おおぞら」は滝川・富良野を経由していました。


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大麻〜厚別間にて 「おおとり」

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大麻〜厚別間にて キハ82900番台を最後部に連結した「おおぞら」
先頭を撮影しそこなった列車ですが、最後尾の窓数の違いに気付き、慌てて撮りました。
考えてみれば、この頃は動体視力も反応も良かったんですね。


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新旭川〜南永山(不詳) 「オホーツク」
撮影場所がイマイチ記憶にありません。旭川か新旭川だと思います。
良く見ると判るのですが、キロ80(グリーン車)を2両連結しています。昔から北海道は旅客の需要に応じて柔軟に増解結をおこなっており、きめ細かなサービス精神が覗われました。


北海道篇は、このキハ82系以外にも多数の写真・資料がありますので、おってご紹介させていただきたいと思います。お楽しみに。
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2007/2/17  20:45

ローカルな風景 第2回 国鉄「川越線」  ローカルな風景
ローカルな風景第2回は、国鉄「川越線」です。

川越線は、八高線と並んで埼玉県内で電化の遅れていた路線です。川越附近では、東武鉄道や西武鉄道が早くから電化・複線化されていたのに対し、東北新幹線上野開業・埼京線との直通運転が始まるまで、単線非電化のままでした。
もう直ぐ電化工事が始まる(既に始まっていた?)という頃、近場でもあったので友人と撮影に行ったときの写真です。あまりキハ30系には興味があったわけではありませんが、その中でもステンレス車の900番台だけは好きでした。


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昭和59年7月27日 川越線 南古谷〜指扇 荒川橋梁築堤を走るキハ30系4連
架線柱も建っていないときでしたので、大変スッキリしています。

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昭和59年7月27日 川越線 南古谷〜指扇 荒川橋梁を行くキハ30系4連
昭和59年というとつい最近のような気がしてしまいますが、もう23年も前のことなんですね。鉄橋以外の障害物がない風景は、205系10連が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。


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 大宮駅にて キハ35900 首都圏色塗装前
メモを取っていないころなので曖昧ですが、前後のネガから推測すると昭和52年末〜53年初めくらいの時期のようです。
キハ35900番代は、国鉄初のステンレス製気動車として製作され、房総地区に投入されました。房総各線の電化により大宮機関区に転属となり、川越線・八高線で活躍していました。しばらくは無塗装でしたが、晩年は首都圏色(タラコ色)に塗られ、個性の一つを奪われた感じがします。
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2007/2/17  2:58

憧れの車輌たちVol8(キハ82系:北海道篇その1)  特急型気動車
今日は、憧れの車輌たちに戻りまして、第8弾はキハ82系の北海道篇です。

関東では早いうちにキハ82系が撤退したため、実物を見る機会はほとんどありませんでした。最初にキハ80系として見たのは、キハ81を先頭に走っていた「いなほ」で、編成中間にキハ82が連結されていたことが記憶にあります。今から考えれば、あれはキロ80改造のキハ82900番台だったのですね。そして昭和49年8月、大阪で「はまかぜ」「かもめ」、天王寺で「くろしお」を見ました。さらに、中学生になって友達の田舎に行かせてもらったとき、名古屋で「ひだ」を、中学の卒業旅行で九州へ行ったとき「にちりん」を見ています。

中学生までは当然にして旅行(ましてや撮影旅行)など頻繁に出来るほど自由な時代ではありませんでしたが、数少ない機会の中でも、必ずと言っていいほど「キハ82」はいてくれた気がします。

高校生になってから、行動範囲も広がり、写真機材もそろい始め、益々撮影に出掛ける機会が出来る中で、ふと考えてみれば、キハ82系が一番活躍していた北海道には行ったことがないことに気付きます。当時、新幹線も直通の列車も無い時代であり、九州よりも「遠い」所であったことに他ならなかったからだと思います。高校1年の春休みに友人と一大決心のもと、北海道へと旅立ちました。

目的としてはキハ82系の撮影だけではなく、ローカル線の旅や、御崎(室蘭本線)のてつげんコークスのSL、そして流氷の見学などいろいろありましたが、ここでは当時撮影したキハ82だけを取り上げてアップしたいと思います。北海道篇は列車数が多いので2〜3回に分けて、関西・九州篇などもおってご紹介させていただく予定です。

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昭和55年3月 札幌駅にて キハ82「おおぞら」
札幌駅はかなり前に高架化され、当時の面影は全くなくなりました。
駅撮りは低年齢層のファンの撮り方のように思っていましたが、時代が過ぎるとこのような単純なアングルでも、立派に歴史を語る写真になれるということがわかってきました。


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昭和55年3月 張碓〜銭函間にて キハ82「北海」
当時、唯一「山線」経由の優等列車。当時は函館〜旭川を結んでいました。
このあたりは急傾斜で雑木も多いためなかなか近づくことが出来ません。このときは雪がかなり積もっていたため、何とかこの崖を降りることが出来ました。


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昭和56年3月 厚別〜白石間にて キハ82「おおぞら」
当時、函館〜(札幌)〜釧路を3往復の「おおぞら」が結んでいました。
気動車はやはり非電化区間がふさわしいのですが、行程の都合もあり、やむを得ず手軽なところで撮ってしまいました。しかし、フルスピードで走る区間のため、猛然と雪煙を上げながら走る特急は、ファインダーの中でも感動しました。


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昭和56年3月 厚別〜白石間にて キハ82「おおとり」
道内で最後までキハ82系で走った定期特急で、函館〜網走間を廃止になるまで走り続けました。
上の写真と同区間ですが、直前に青空が広がり、ベストショットとなりました。


この旅によって冬の北海道の虜になってしまい、昭和55年3月・昭和56年3月と2年連続訪れています。また次の機会にこの続き、そしてローカル篇などもご紹介できればと考えております。
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2007/2/16  1:30

ローカルな風景 第1回 国鉄「清水港線」  ローカルな風景
今日は少し気分を変えて、「ローカルな風景」と題しまして、懐かしい又は今なお現役の鉄道、路線、車輌等をご紹介していきたいと思います。

第1回目は、国鉄「清水港線」です。
国鉄「清水港線」は、東海道本線清水駅と三保を結んでいた臨港鉄道的性格のような路線です。貨物は1日数本の運行があったものの、旅客列車は朝の下りと夕方の上りのたった1往復しかありませんでした。普通のローカル線でも朝・夕・晩と3往復が設定されるのが通例ですが、1往復のみという路線は全国的にも例がなかったのではないでしょうか。

当時、廃止ローカル線をわざわざ訪れるといった旅はあまりしない方でしたが、同線は旅客列車が混合(ミキスト)であり、さらに、団体(さよなら清水港線)で沼ザ(静岡局お座敷車輌「いこい」)が入線するということで、2日の滞在で都合1往復余分に撮影ができると利があって訪れたわけです。

※撮影は、すべて昭和59年3月22〜23日です。
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団体お座敷列車は、三保駅へ前日の送り込みとなり、なんと、DD13型の重連となりました。清水駅から三保駅まで、このときは徒歩で移動しました。


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終着の三保駅。もう直ぐ廃線とあって、かなり多くのファンの方がいました。
1往復の発着ながら、有人駅でありそれなりの駅舎を持っていました。


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駅待合室の発着時刻表。本当に1本しかありません。


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三保発のお座敷列車は、3月23日の早朝でした。有名な巴川口駅近くの可動橋。


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清水港線は、原則としてDD13型のみが運用されていましたが、3月23日の下り三保行きはなんとDE10型が運用されました。これには待っていた私もびっくり。

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三保駅の乗車券・入場券、車内補充券。


私が清水港線を訪れたのは、これが最初で最後となりました。混合列車の走る貴重な路線でしたが、この1週間後の昭和59年3月31日をもって、清水港線は廃止されました。
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2007/2/15  1:57

憧れの車輌たちVol7(583系:関西篇)  特急型電車(交直流・交流)
憧れの車輌たち第7弾は、583系関西篇です。

厳密に言うと581系と言ったほうが良いかもしれません。私が見慣れた東北特急では、既にクハ581型は関西へと移り、583系で統一されていました。いわゆる「月光形」は、クハ581を指すものだと理解しておりますので、その点では名古屋以西でないと見れなかったことになります。
乗務員扉後方にある機械室は、クハ583型には無い重厚さを感じますし、開放型のタイホンと開閉型(東北仕様)のコラボも魅力の一つだと思います。
関東に住んでいるファンからすれば、581系の「みどり」「つばめ」「はと」「月光」「きりしま」といった関西の特急は誰しもが憧れの的だったのではないでしょうか。(私くらいの年代の話ですが・・・。)

第2弾で名古屋の「しらさぎ」はアップしていますが、今回はさらに西へ下り、大阪附近での写真をアップいたします。


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昭和49年8月 大阪駅にて 新大阪から到着した「しおじ」
子供の頃「しおじ」の意味が解りませんでしたが、とにかくカッコいいなぁと思いました。当時、581系は1往復のみの運転でした。


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昭和57年10月6日 新大阪駅に到着した「明星2号」
「明星」は、大阪口における寝台電車の老舗と言える存在で、4往復設定当時は全列車に581・583系が運用されていました。その後、鹿児島本線「あかつき」の統合により、客車列車、併結列車などバラエティーに富んだ列車へと発展していきました。
写真の列車は、山口線の撮影の帰路に乗ってきたものです。グリーン車に乗っていたのですが、乗客は私一人だけ。車掌さんの計らいで、寝台を使わせていただきました。


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昭和55年8月 長岡京〜山崎間にて 581系「雷鳥」
※昭和56年5月発刊 主婦と生活社「特急デジタル時刻表」掲載写真

「雷鳥」は元々481系で運転を開始し、485系列で統制の取れたL特急でしたが、寝台特急電車の廃止により捻出した車輌で、昼間特急である「雷鳥」に充てるようになりました。


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昭和55年8月 大阪駅にて 富山に向け出発を待つ「雷鳥」


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昭和55年8月 山崎〜長岡京間にて 581系「彗星」
これは向日町への回送列車でしょうか。撮れたのはラッキーだったのですが、少し暗かったので、残念ながらブレてしまいました。581系「彗星」の写真はこれ1枚しかないため、私にとって大事な1枚です。


昭和49年に初めて行った大阪で、「明星」や「きりしま」といった581系の写真を撮ってはいるのですが、説明を要するような写りでなんとも残念な結果でした。
もう少し早く生まれていれば、もっとマシな写真を撮れただろうし、「つばめ」「はと」「月光」などの写真を撮れたんだなぁなんて思ってた時期がありました。
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