鉄道コム

2007/2/14  1:10

憧れの車輌たちVol6(ED71)  国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
憧れの車輌たち第6弾は、チョット地味かもしれませんが、ED71型交流機関車です。

私の母親の実家が福島の山奥にあり、最寄り駅として東北本線須賀川を利用していました。須賀川は急行停車駅でしたので、小学校入学前から3年生くらいまでは主に急行列車を使用していました。この頃は、交流電機はただ「赤い機関車」くらいしか印象がありませんでした。
小学校4年くらいの遠足からバス酔いをするようになり、さらに帰省時にも急行列車で乗り物酔いをするようになってしまいました。この時、相席していた若いお兄さんが「窓を開けて空気を吸っていれば気持ち悪くなくなるよ。」と教えてくれ、本当にそのとおり酔いが治まったのを覚えています。
しかし、子供心にも「電車好き」が「電車に酔った」ことでプライドが傷つき、あまり乗りたくなくなってしまったのです。それからというもの、積極的に早朝の121列車郡山行きを利用(密閉感が無く、酔うことは無かった)するようになり、そのゆっくりとした行程の中で、ED71とED75を見極めていくこととなりました。

いつもどおり本題に入るまでスゴ〜く長くなりましてすみません。
ここで、ED71の何に惹かれたかというと、洗練されたカッコよさではED75に軍配が上がると思いますが、このタイプの箱型車体に珍しい1灯のライト(当時東北線にはEE60や61は走っていなかった)、まるでスピード感の無い平べったい顔、これでもかと言うくらいギッシリ張り付いたフィルタ(1次型)等、よく判らないけど老兵ながら頑張っているような感じがしたのではないでしょうか。

急行列車に乗っているときは彼らの写真を撮ることはできなかったので、写真が残っているのは結構晩年のものになります。

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昭和52年頃 白河駅にて 側線で退避中のED717 上り貨物列車
おそらく、私が撮った最初のED71。この頃はまだほとんど廃車が出ていなかったのではないでしょうか。

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昭和55年8月14日 金谷川〜南福島間にて(2枚とも)
ダイレクトプリントが余り美しくなくてすみません。上が2次型の47号機、下が1次型の14号機です。この頃は既に廃車が進み、「待っていればいつでも来る」的な感じではなく、この2本を撮影するために随分待たされた記憶があります。

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昭和57年6月21日 (上)福島駅 (下)藤田〜桑折間
上記2枚は、在来線「やまびこ」最終日を狙って出掛けた撮影行。
このとき、通勤時間帯の福島〜藤田を往復する区間列車(上記)や福島〜金谷川間の補機、一部の貨物列車等、ED71の運用はかなり限られ、間もなく運用は消滅することとなりました。

ED71は、東北本線の福島を中心とした極限られた範囲の運用であり、生涯同線を離れることはありませんでした。10数年間も東北本線に乗っていながら、写真をあまり撮っていなかったのを非常に残念に思います。
後輩であるED75ももはや風前の灯状態である今、かつて東北本線を重連、3重連で闊歩していたときの彼らを思い出します。


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2007/2/13  2:19

憧れの車輌たちVol5(クハ481ボンネット型)  特急型電車(交直流・交流)
憧れの車輌たち第5弾は、クハ481&489ボンネット型です。

同士の間では、181系派と485系派と分かれるところではあると思います。
私はどちらかというと、485系派ということですが、どうして?といわれるとどう答えたらよいのか・・・。
車高からなるトータルバランスでの流美さ。顔の帯の有無そしてヒゲ。ヘッドライト(第3灯目)あたりの違いですか。
地元では、東北、上信越とバラエティーに富んだ車輌が走っていましたので、選択肢はいろいろあります。181系では既に屋上ライトを付けている車輌はありませんでしたが、スカートの長い帯なしと帯あり、スカートの短い各種タイホンの形状違い、そして、連結器をむき出しにしたクハ180。(台車とか改造種車の違いによる車体の長短は抜きにします。)一方485系では、形態として181系ほどバラエティーさは無いものの、クハのみならずクロが存在していた点、そして、連結器をむき出しにしたクハ489500番台。
私の好きな点を挙げれば、屋上ライトがある方が前面が引き締まって見えるという点と、ヒゲ(帯)が付いている、車高が高くドッシリ感がある、という点で481系が好き、という感じです。特にクロ481+サロ481という豪華編成にも魅力を感じました。
 ※あくまでも私個人の感覚によるものですから、皆さんの思いを否定するものではありません。

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昭和54年 西川口〜蕨にて クハ481「ひばり」
この頃になると、東北筋におけるボンネット車は仙台運転所に集中配置となり、この「ひばり」のほかに「あいづ」と「ひたち」に限られるようになりました。


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昭和52年頃 上野駅にて クハ489500「あさま」
「あさま」は189系により12連化され、さらに「白山」の間合い運用で489系も使用されていました。この頃は連結器をむき出しにした同車はあまり好きではありませんでしたが、今ではカッコいいと思います。年を重ねることで好みも変わってきますね。


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昭和60年9月5日 万博中央(現ひたち野うしく)〜牛久 クハ481 0「ひたち」
分割民営化を控えたこの頃、九州からの広域配転により初期型0番台が大挙して勝田電車区へやってきました。私、九州時代の特徴であったこのヒゲなしクハ481、大っ嫌いでした。


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平成元年3月12日 大甕〜勝田間にて クハ481 0「ひたち」
この頃になると、九州からやってきたヒゲなしボンネットたちは、元からいる同僚と同じ顔になりました。本当は赤スカート車のヒゲ復活を期待して同列車を撮影に行ったのですが、ヒゲの復活とともに赤スカートもクリーム一色に塗り替えてしまわれたようです。残念・・・。


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昭和49年8月 大阪駅にて  クハ481「みどり」
初めて撮影のために連れて行ってもらった大阪。「はくたか」の赤スカート車に憧れ、約2日間にわたり大阪駅で右往左往しておりましたが、同車に出逢えたのは「これから東京に帰ります」という最後の最後の夜でした。ポケットカメラでオマケに光量不足の中、奇跡的に写っていた1枚です。(ボンネット型の「なは」やキハ82「かもめ」は残念ながら写っていませんでした。)

現在は、数両のクハ489型がかろうじて残っているボンネット型ですが、特急電車の歴史を語る上では欠かせない産物だと思います。これからも「昭和の生き証人」として、末永く元気に走ってもらいと切に願います。

ボンネット型の写真は他にも数多くありますので、スキャニングが出来次第おってUPしたいと思います。どうぞお楽しみに。

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2007/2/12  21:10

はたらくくるま(検診車)  その他乗り物写真館
こんばんわ。

今日は娘の水泳記録会。3連休にも拘らず、どこにも撮影に行けなかったので、ちょっとご機嫌ナナメです。
が、会場となるスポーツセンターの近くに「検診車」がズラリと並ぶ駐車場を発見しました。このように、公道から間近にじっくり撮れる機会も滅多にないので、競技の合間に撮って参りました。

ちなみに、私はトラックマニアではないので、形式等よく解りません。Nゲージのストラクチャーとしてバスコレやトラコレを買うようになって興味を持ち始めましたが、このテの画像というのはいざという時に見つからないということを経験しましたので、何らかの資料になればと思い撮っておくようにしています。
検診車(レントゲン車なども)は、母体がバスであるため、バスコレクションからの改造も楽しめそうですよね。種車選定の資料にもなると思います。
今回の場所はチョット窮屈なところだったので、もう少しサイドから撮りたいところですが・・・。って、わがままですね。

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これはついでに発見したペリカン便の配達車(冷凍)
私、この冷凍の配達車は初めて見ました。
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鉄道の写真館をお楽しみにされていた方には申し訳ございません。
日付が変わる頃に間に合えばUPする予定です。お楽しみに!
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2007/2/12  1:16

憧れの車輌たちVol4(EF57)  国鉄・JR機関車(直流型)
今回は、憧れの車輌たち第4弾と題しまして、「EF57」の画像をお届けいたします。

「鉄道写真デビュー」のときにも若干触れましたが、写真を始めた当初は、茶色いデッキ付の機関車は貨物用との認識があったので、「津軽」や「八甲田」を牽いて上京するEF57形機関車を特にカッコいいとは思いませんでした。それまで<特急型=カッコいい>と思っていましたから。

中学生になり、他の小学校から来た「鉄道趣味を持った新たな同志」から「EF57が廃車になるから撮りに行かないか」と誘われ、これについて行って初めて昔写真に撮った機関車が「EF57」であることを知りました。

上野駅や大宮駅で見た実物大のEF57を見て、その大柄な体とパンタグラフを前一杯にかざす姿に圧倒されました。このときから、EF57の魅力に完全に取り憑かれてしまったのです。しかし、時すでに遅し、早々にEF57の姿を見なくなってしまいました。第一種休車になってしまったのです。同機に対する熱を抑えることが出来なかったため、中学生の身でありながら、親の目を盗んでは宇都宮運転所にEF57に逢いに行きました。

そんな状態が数ヶ月続いた後、突然本線を走る茶色い機関車を目にしました。初めはEF5861?と思いましたが、一瞬の出来事であり良くは判りませんでした。上り「八甲田」の返しは夕方の125列車福島行きになることを知っていたので、放課後に「コレは確認しなくては」という思いでその時を待ちました。現れたのは間違いなく「EF57」でした。復活したのです。(おそらく、急行の20系化のためのEF58P型化改造に伴う機関車の不足によるものではなかったしょうか?)

改めて、彼らを追いかける日常が始まりました。上り「八甲田」を授業中に学校の窓から確認し、EF57であれば夕方から撮影に出掛けるという日が続きました。
しかし、悲しいかな、この頃は性能のよいカメラを持っていなかったので、結局はあまり大した写真を撮れないうち、彼らは再び眠りについてました。宇都宮へ再び逢いに行きましたが、第二種休車となっていました。それは、彼らとの永遠の別れの宣告でした。

先に述べましたように、良い構図、綺麗な写真はまともにありませんが、彼らの最後の活躍を焼き付けた数少ない写真をアップいたします。

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昭和51年 蕨〜西川口間にて 上り臨時急行列車を牽引するEF57
ハーフサイズのカメラで完全にブレています。全て旧客の編成ですが、荷物車が無く急行サボが入っておりますので、臨時の「まつしま」「ばんだい」「ざおう」「みはる」のいずれかではないかと思います。

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昭和51年 栗橋にて 122列車上野行きを牽引するEF577
当時の有名撮影スポットであった栗橋の鉄橋(利根川橋梁)での撮影の帰り、偶然撮影したものです。この写真だけは、唯一ジャスピンでキレイに撮れました。


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昭和51年 蕨〜西川口間にて 上り「津軽2号」を牽引するEF57
これもハーフサイズのカメラで完全にブレていますが、空が青く写っている数少ない写真です。


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昭和51年 蕨駅にて 上り「八甲田」を牽引するEF571
EF57にはもう一つの魅力がありました。それは、同機の中で唯一EF56のスタイルを継承した1号機です。物心ついたとき既にEF56はいませんでしたので、この1号機に対するの思い入れは特に強かった言えます。


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昭和52年 上野〜尾久間にて 下り125列車を牽引するEF571とEF58の重連
上り「八甲田」を牽引してきたEF57は、この125列車で宇都宮へ帰っていきます。
この日は臨時を牽いたEF58の返却回送で重連となりましたが、特に同列車には重連が良く見られ、先頭にEF58が来るとブーイングが起きたものでした。

私の心の中には、これ程思い入れのあった車輌はありませんし、今後も出てくることは無いと思います。次世代への夢を託して走り去った彼らに、改めてエールを送ります。
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2007/2/11  3:13

憧れの車輌たちVol3(修学旅行列車)  その他電車
憧れの車輌たち第3弾は修学旅行用車輌をお届けします。

一言で修学旅行列車と言いましても、新幹線や各種一般車輌を使用するケースも多いため、敢えてここでは「修学旅行用車輌」と致します。

修学旅行用車輌は、電車としては153系をベースとして製作経費を抑えた155系に始まり、臨時急行との併用を前提として製作された159系、165系をベースに抑速ブレーキを備え出力増強を図った167系があり、また、非電化区間用としてキハ28・58をベースとして内装を修学旅行用に仕立てた同系800番台があります。

私個人の思いとしては、各車輌の形態ではなく、他の車輌にはない鮮やかなカラーリングに惹かれたといえます。しかし、国鉄の赤字対策の一つとして行われた塗装の合理化により、グリーン車の識別帯の廃止、一般型気動車の単色(首都圏色=たらこ)化、そして、修学旅行色の廃止という憂き目にあうことになりました。

地元路線でも日光集約臨が設定されていたので、修学旅行列車を目にする機会はたくさんありましたが、あまりにもよく見かける列車であるため、写真も多くは撮りませんでした。今にして思えば、勿体無いことをしたと悔やまれます。

そのような中で、運良く撮影し残っていた写真を紹介いたします。

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昭和52年 宇都宮駅にて 165系「なすの」と並ぶ155系日光集約臨
155系については、室内を2+3列席として一般急行型より座席定員を増やした形態で製作されました。臨時列車等への併用に無理があったため、比較的早い時期に2+2座席化及び標準化改造を受け、その際に湘南色に塗り替えてしまわれたことから、他の3型式とは塗装変更の経緯が異なります。残念ながら、明確に155系と判る修学旅行色の写真はありません。

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昭和54年頃 品川駅にて 臨時急行「伊豆」に使用される167系
167系の修学旅行色末期の頃です。この車輌は、冷房化、シールドビーム化が実施されており、私的にはあまり好きな形態ではなくなっていますが、既に大多数の167系が湘南色に塗り替えられてしまっていたため、塗りたてほどの塗装の綺麗さと相まって、思わずシャッターを切ったものです。

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昭和53年頃 東京駅にて 臨時急行「伊豆」に使用される167系と横須賀線の並び
写真の167系も冷房化は受けていますが、シールドビーム化はされていません。この頃はモノクロ写真を多用していたときで、勿体無い写真になってしまいました。


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昭和54年頃 品川駅にて 159系 岡崎・大垣方面集約臨「こまどり」
159系も155系とほぼ似た外観ですが、冒頭のとおり基本コンセプトに違いがあったため、修学旅行用車輌としては最後まで大掛かりな変更を受けることなく、修学旅行臨や急行列車に使用されました。
写真は塗装変更過渡期の頃で、かなりな混成状態となっています。変更作業は、製作輌数の少ない同系の泣き所だったのかもしれません。クハ正面の塗り分けも、155系と比較して個性的になっているのがわかります。

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昭和53年頃 大宮駅にて キハ28800番台 秋田行「おが1号」
大変見苦しいアングルで恐縮ですが、普通列車を待っていて突然やってきたのでこのような構図になってしまいました。
キハ58系の修学旅行車輌は、比較的早いうちにその任を解かれ、他の同系列の急行やローカルにも混用されていました。
気動車は1両毎の機動性が高いため、特に12両編成の急行列車としてしか上野に姿を見せない同系の中において先頭に連結される確率は非常に低く、逢うことはあっても写真を撮ることはなかなかできませんでした。塗装の標準化決定から塗り替え実施までの短い間において、唯一キャッチできた写真です。

今でこそ、各会社や地域、線区毎に特徴のあるカラフルなデザインの車輌が走っていますが、比較的地味(統制の取れたと言った方がよいか?)な国鉄時代の塗装のなかで、修学旅行用車輌は一際鮮やかなカラーリングで、鉄道ファンを楽しませてくれたと言えると思います。
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2007/2/10  14:07

憧れの車輌たちVol2(583系:53年10月改正以前)  特急型電車(交直流・交流)
更新の時間が少し開いてしまい、お待たせいたしました。
憧れの車輌たち第2弾は581・583系篇です

鉄道を好きになって初めて583系を見たときのインパクトは大変すごいものでした。
181系、485系の流美さや急行型電車の実用的なデザインと比べ、建築限界いっぱいの大柄な体と他の特急型にない塗装、そして夜行列車にふさわしい色彩のヘッドマーク文字と、他のどの型よりもカッコよく見えました。

東北方面の583系は「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」「みちのく」「ひばり」とバラエティがあり、特に上野〜大宮間では「ゆうづる」の回送もあったため、「みちのく」以外の列車を見ることができました。

今回は、昭和53年10月ダイヤ改正以前、つまり電車特急のヘッドマークがイラストになる以前の画像をお届けいたします。古い写真なので、画質が悪いものなどもありますのでご了承ください。

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昭和52年頃 上野駅に到着した「みちのく」 
東北新幹線の工事により消滅した20番線での写真です。


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昭和52年頃 宇都宮駅を発車した「ひばり4号」
下り4号と上り10号の1往復のみ間合いで運用されていました。


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昭和53年9月 大宮駅停車中の「ひばり4号」
583系「ひばり」は、この53年10月改正により485系の運用に変更されたため、本来であればイラストのヘッドマークは存在しないはずですが、全国の電車特急の切替工事が必要なため、数ヶ月前から順次切り替わっていきました。そして、この「ひばり」にも確か1ヶ月前くらいからイラストヘッドマークを備えた車輌が運用に入りだし、わずかな期間その姿を見ることができました。


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昭和52年3月 名古屋駅で発車を待つ581系「しらさぎ」
当時は「金星」の間合い運用で「しらさぎ」にも581・583系が運用されていました。確か「しらさぎ」でも同系のデザインヘッドマークを見た記憶がほとんど無いので、「ひばり」と同じく53年10月改正で消滅したのではないでしょうか。

583系につきましては、53年10月改正後の東北方面、関西方面篇も予定しておりますので、どうぞお楽しみに! 
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2007/2/9  1:10

憧れの車輌たちVol1 (キハ181系)  特急型気動車
今回は「憧れの車輌たち」と題して、私がむかし憧れていた車輌たちを写真で紹介させていただきます。

第1弾は「キハ181系」です。

初投稿でご紹介のとおり、「キハ181系」は最も好きだった車輌のうちのひとつです。
「つばさ」の電車化後、西へと遠く旅立っていたキハ181にまた転機が訪れようとしていました。「やくも」の電車化です。
高校生になり行動力がついてきた私は、友人を伴って他の目的と合わせて西へと出掛けていきました。今の年齢ではマネ出来ませんが、3泊4日で、帰りの名古屋〜東京を除き普通列車のみ、車中泊のみの強攻策でした。

3日目にたどり着いたのは山陰本線の「揖屋」です。普通夜行の「山陰」の車窓からロケハンし、カーブが多く障害物も少なそうだったので、途中下車しました。
ここで数本の「やくも」とキハ80系の「まつかぜ」「はまかぜ」などを撮影しました。
そのうちの1枚が次の写真です。
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昭和55年8月 山陰本線 揖屋〜荒島

キハ181系の「つばさ」「しなの」亡き後、食堂車を含む8両又は11両編成の堂々とした姿は、年齢的にも「つばさ」を撮影することが出来なかった私に改めて同車の「格好良さ」を認識させてくれました。


出雲市で返しの「山陰」を待つまでの間は、駅での撮影も存分に行いました。
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昭和55年8月 山陰本線 出雲市駅にて 西日を受け出発を待つ「やくも」

時は変わり、SLやEF58の撮影に夢中になっていた頃、数年続けて山口線を訪れました。撮影の準備中は、必ずといっていいほどキハ181系「おき」が来てくれました。
食堂車の無い身軽な編成は、黄金時代を見ていた私にとって物足りなさは否めませんが、それでも同系最晩年の3両編成デザインマーク入りに比べれば、5〜6両編成文字マークの姿は、かろうじて「特急」の面目を保っていたのではないかと思います。
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昭和58年5月 山口線 仁保〜篠目


住んでいる地域の問題が大ですが、キハ181系を写真に収める機会の少なかった私にとって、SLの撮影のためとはいいながらも、結果的にこの「おき」が1番多く撮ったキハ181系となりました。

風前の灯ともいえる同系ですが、最後は国鉄色に戻して、「しなの」や「つばさ」としてもう一度輝いて欲しい。なんて思います。
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2007/2/8  15:50

鉄道写真デビュー  鉄道以外の写真ネタ
皆さんこんばんは。
今日は、私の鉄道写真デビューのお話をさせていただきます。

小学校2年生の時、クラスメートで鉄道好きな男子が隣の席にいた影響で、鉄道に興味を持ち始めました。
といっても、あまり鉄道のことを知らなかった私にとっては「電車」そのものも良く知りませんでした。どのようにして鉄道にのめり込んでいったのかも、実を言うとあまり記憶がありません。

ただ、家にあった旅行好きの祖父が持っていた全国地図を見ながら、駅名を覚えていったことだけはハッキリ記憶しています。ノートに駅の路線図を書きながら駅名を書いていましたね。京浜東北線、山手線、赤羽線・・・という感じで、都心からどんどん広がっていった記憶があります。
しかも、漢字で駅名を覚えていったので、当時成績はそれほど良くなかったのですが、漢字だけは誰よりも良く知り、書けていたと思います。

そのうち、放課後になると、近所の東北本線の線路へ電車を良く見に行くようになりました。特に、鉄橋(といっても10m位しかないガーター橋)の下にもぐり、轟音を聞くのが好きでした。
当時は、ここに遊びに行くと決まって「キハ81いなほ」がやってきました。他の特急列車とは違い、無骨で汚れた車輌が特に印象に残っています。(といっても、まだ「ディーゼル車」であることも区別できなかったと思いますが・・・。)

このような状況が1年以上続き、どうしても写真が撮りたくなっていき、いつの頃かカメラを手に線路脇に立つようになりました。(多分、小学校3年生も終わり位の頃でしょうか?)

最初のフィルム2〜3本位は何が写っているか判らない写真ですので、皆さんにお見せできるものではありませんが、やっと写っている物体が判明できるようになったのが、小学校4年生位のときの写真です。

それでもまだお見せするのが恥ずかしいのですが、今となっては貴重な写真ばかりです。構図の悪さとか、画質の悪さは我慢していただいた上で、ご覧いただければと思います。
カメラは「サクラパック」という、固定焦点、固定絞り、バネシャッターの当時一番安い「写せる」カメラです。【全て昭和48年頃の撮影です。】

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157系「白根」 この変わったスタイルの「特急列車」には大変興味がありました。
しかも臨時にしか走らないので、時刻表で運転日を調べて撮りに行きました。

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481系「はくたか」 ボンネット型の特急列車は他にもたくさん走っていましたが、スカートを赤く塗ったボンネット車は初めて見た時から「格好いいな〜」と思いました。
当時には関西方面の配置しかなかった頃ですので、金沢車(だと思います)が関東に姿を見せる唯一の60Hz車で、「はくたか」は大変貴重な列車だったわけですね。(画像では判り難いですが、ヘッドマークはロール式装備です。)

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EF57牽引の上り「津軽1号」
この頃は、茶色い車体でデッキつきの機関車は「貨物機」のようで、格好良さを全く感じませんでした。このあと中学生になって大フィーバー(古っ!)になるとも知らずに。

当時は写真があまりにも高価であり、枚数を撮っていない上に非常に写りも悪いものですので、デビュー作はこの程度のUPとさせていただきます。
企画をいろいろ練っておりますので、また次のUPをお楽しみに。
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2007/2/7  16:20

鹿島鉄道(だけどまたまた関鉄バス)  バスの写真館
鹿島鉄道に行ったら、取り敢えず撮っておきたい関鉄バス。

ということで、鉄道よりもバスの方が濃いといった声も聞こえますが、バスもこれで暫くお休みとなる予定です。

今回のかしてつ撮影では、何故かどこの駅に行ってもバスに遭いませんでした。今までは大抵の主要駅には昼寝してたんですが。
なので、今回は終点の鉾田で見つけたバスネタを。

1枚目はなんと鉾田→東京の中距離?路線バスです。今まで何回かこの駅に来ていますが、初めて見ました。今日JTBの時刻表を何気なく見ていたら、定期便であるんですね。
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2枚目は最近ハマッている三菱エアロスターです。でも前面窓の形状がMP218と違いますね。良く分からないのがクヤシイデス。
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いすゞキュービックの2台並びもあったのですが、それはまたの機会に。

次回からは、30年以上タイムスリップした昭和40年代後半頃の画像をお届けしたいと思っております。※ただし、小学生が撮った写真ですし、元写真の劣化もあるので、過剰な期待はしないでくださいね。では・・・
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2007/2/6  23:56

鹿島鉄道カシノリイベント(平成19年1月27日)  写真撮影
今回で1月分の行動記録の最後になります。
また鹿島鉄道です。

今回の撮影は、やっとお仲間との調整がついて、久し振りに複数で行動いたしました。
同行された方が鹿島鉄道に詳しい方なので、まだ未開拓の撮影地に案内していただき、大変有意義なものでありました。

1月27日は「カシノリ」イベントの日と丁度重なりました。いつもは単行(朝1往復のみ重連)で運転されている鹿島鉄道に、レールバスの3重連が走るというものです。
といっても、3重連が主たる目的ではなく、1本の列車にレールバスを3両も使うことによって、他の運用が回らなくなり、「結果として旧型車が出てくる」を期待してのことです。前回の報告にも記しましたが、私は通称金太郎塗りの実車が走っているのを見たことがないので、ここが一番のポイントになります。

4時起きで現地に7時過ぎに到着。朝から運用の確認を始めましたが、何事も無いようにレールバスが単行で走っています。1本運用に入った旧型車も602で、相変わらずの運という感じですが。まあ、3重連が走り出せば動きがあるだろうということで、取り敢えず撮影を始めました。

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【朝日を浴びて602が行く】

そして、3重連が動き出しました。かなりのお客さんが乗っています。
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ちなみに、イベント運転は1往復のみですが、折り返しまでの1運用も3重連で運転されましたので、実質は2往復走っています。(ただし、間合いの1往復は先頭1両のみが客扱いで、残り2両は〆切)

3重連の運転開始後、期待に胸膨らませ次の列車を待ちましたが、来たのはなんと601。エー!なんでよ〜。

午前中は600型以外の旧型車を見ることはなかったのですが、折角の機会なので撮影を続けました。
そしたら・・・来ました。やっと来てくれました。金太郎ちゃん登場です。これが来るなら中判カメラセッティングしておくんだった。
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ということで、やっとカメラに収めることができました。おまけにもう一往復走ってくれたので、何とか良い絵を撮ることができました。

鹿島鉄道廃止まであと何回撮りに行けるかわかりませんが、緑金太郎を何とか手中に収めたいと、そのタイミングを覗っております。
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