鉄道コム

2007/3/30  1:30

ローカルな風景 第10回 (同和鉱業小坂鉄道)  ローカルな風景
鉄道コレクションの報告だけでは何なので、1枚ネタですがお届けいたします。

以前の掲載いたしましたが、運転免許を取って初めて東北地方へ遠征したとき、日本海縦貫(羽越・奥羽線)や南部縦貫鉄道の写真を撮ってきたのですが、行程の途中で「同和鉱業小坂鉄道」の線路の近くを走っていたので、列車の来るタイミングを見て、来そうだったので待っていた次第です。

同鉄道が貨物運用中心であることやどのような気動車・機関車が走っているのかも知っていましたし、当初は予定もしていなかったので、何となく撮った形になってしまいました。

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昭和61年9月9日撮影

この旅行の時の撮影地の記録が見つかり、かなりの部分で撮影地が判明したのですが、同和鉱業小坂鉄道だけはメモがなく、結局どのあたりで撮ったのか、判明しませんでした。

皆さんご存知のとおり、同鉄道は細々と旅客営業を行っておりましたが、平成元年に小坂製錬(株)となり、平成6年9月30日をもって旅客営業が廃止されてしまいました。その後同鉄道には訪れておりませんので、この1枚が最初で最後のカットとなりました。
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2007/3/29  0:23

ローカルな風景 第9回 (天北線:急行「天北」)  ローカルな風景
こんばんわ。

このところチョットご無沙汰の「ローカルな風景」シリーズをお届けいたします。
第9回は、今は廃止となってしまった、「天北線」です。

「天北線」は、宗谷本線「音威子府」からオホーツク海側にある「浜頓別」を経由して、宗谷本線の「南稚内」に再び合流する、北海道最北の路線の1つでした。
同線には、急行「天北」という優等列車がかなり古くから定期運転されていましたが、私が乗った普通列車での様子からすれば、長大な路線であるにも拘らず「ローカル」としか表現のしようのない路線でした。
同線は、ただローカルな路線というだけではなく、宗谷本線か天北線がどちらか不通になった場合でも、お互いに迂回ルートとして稚内と名寄・旭川・札幌のアクセスを確保できるという、重要な役割を持っていました。現実、私が昭和55年3月に初めて稚内に行ったとき、猛吹雪で丸24時間以上足止めを喰いましたが、この日(というか翌日なんですけど)の初列車として動いたのが急行「天北」で、宗谷本線経由として運転されました。おそらくこの逆パターンで、急行「宗谷」を天北線経由で運転したこともあったのだろうと思います。

私が同線に乗ったのは、昭和56年に興浜北線に乗るために一部区間に乗ったときと、ここにある写真を撮るために訪れただけの2回のみでした。

では、写真をご覧ください。

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昭和56年3月14日 天北線 浜頓別駅にて
写真のキハ22は天北線ではなく、興浜北線の運用車輌です。この頃は既にキハ40系が導入されていましたが、標準色や首都圏色のキハ22などもまだまだ見ることができました。

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昭和63年6月25日 天北線 曲淵駅にて 時間調整中のキハ22首都圏色車

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昭和63年6月25日 天北線 曲淵駅を通過する上り急行「天北」
腕木式信号がローカルな雰囲気にピッタリですね。

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昭和63年6月25日 天北線 小石〜曲淵間を行く下り急行「天北」
この時はヘッドライトを点灯していなかったのですが、私たち(2人)の存在に気付くと、機関士さんがヘッドライトを点灯してくれました。感謝の気持ちを込め手を振ると、機関士さんも窓から手を出して応えてくれました。

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昭和63年6月26日 天北線 芦野〜猿払を行く上り急行「天北」
撮影2日目。この日はレンタカーで移動しました。前日の徒歩に比べれば天国です。

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昭和63年6月26日 天北線 撮影地不詳
「北海道といえば牧場」というようなイメージがあったので、モーモーちゃんたちをいれてパチリ。実はココをレンタカーで走っていったら、ビックリした牛たちが怒涛の如く逃げて行ってしまい、落ち着くのを待つまで大変だったんです。モーモーちゃんたち、驚かせてゴメンネ!


この撮影の目的は、元々稚内方面の14系客車の急行運用がなくなるということで訪れたのですが、気動車化されてから以降はこの地域を訪れることはなく、結局そうしている間に「天北線」は廃止されてしまいました。
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2007/3/28  1:06

憧れの車輌たちVol18 (三つ目のDD51)  国鉄・JR機関車(ディーゼル)
皆さん、こんばんわ。

このところ仕事が忙しい上、写真のデータ調べなどで寝不足の日々が続いております。何とか楽をしながらブログを更新できればと思っているのですが、自動車による撮影が増えて以降、どの場所で撮ったかすら分からなくなってしまうことが多く、非常に苦労しております。でも、あまりにも不正確な情報を公開するわけにもいけませんので、日々調査に励んでいます。表示に不備や多少の誤りがあるかもしれませんが、どうぞ寛大に受け止めていただきますよう、お願い申し上げます。

では、憧れの車輌たちVol18として、「三つ目のDD51」をお届けいたします。

皆さんご存知だとは思いますが、北海道の自然環境は大変厳しく、特に夜間や冬季における視認性向上を目的として、標準の前部標識(ヘッドライト)に補助灯を増設する工夫が行われていました。全ての車両というわけではありませんが、古くはSLの時代から施行されており、C62を始め数々の蒸機に見られました。国鉄時代の485系1500番台や781系などにもその形態がハッキリと現れています。

DD51型にも同様に、五稜郭区に配置された同型の一部に補助等を増設したカマを見ることができました。しかし、その数は意外と少なく、710、716、741、742、そして、晩年は長岡区に配置されあまりにも有名になった745の各号機の5輌のみでした。
DD51自体は数が多く、特に珍しいわけではありません。しかも、DF50やDD54を淘汰に追い遣った敵役と思われる世代の方もいることでしょう。しかし、車体の長い凸形の洗練したスタイルは、DD13など小型機にはないカッコよさを感じました。特に重連運用やこの「三つ目」には大変魅力を感じていました。

私が興味をもってDD51の写真を撮るようになった頃には、既に800番台未満の車輌が淘汰されてしまった頃でしたので、残念ながらあまり若番車の写真は持ち合わせていません。そして、この「三つ目」もほとんどカットがありませんので、内容的には希薄かもしれませんが、どうぞご覧いただきたいと思います。

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昭和63年2月13日 磐越西線 山都〜喜多方間 12系カヌ座を牽くDD51745

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昭和63年4月10日 磐越西線 山都〜喜多方間 12系カヌ座を牽くDD51745

同機は、磐越西線のカヌ座(上沼垂区配置のお座敷車輌)専用車といえるほど限定的に運用されていました。時に50系客車を牽引したこともあったようですが、団体運用自体が非常に少ない同線では、いつでもお目にかかれるような代物ではありませんでした。12系オリジナル塗装のカヌ座も懐かしいですね。


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昭和58年9月7日 函館本線 大沼公園〜赤井川間 急行「ニセコ」を牽くDD51710

これは、同年に北海道のキハ82系の最後の姿を撮るために、函館本線の大沼から赤井川まで徒歩で撮影してきたときのものです。この時は「三つ目」というのを気にしていなかったのですが、745号機が有名になってきた頃、気になって写真を見ていたら「写っていたのを見つけた」という感じで、非常にラッキーだったと思います。この時は、撮影の全工程が雨という悲惨な状況でしたので、惜しむらくはコントラストの非常に弱い、ねむたい写真になってしまったのが残念でした。

745号機の廃車によりこの「三つ目」は名実ともに姿を消してしまったわけですが、残るDD51には末永く活躍して欲しいと願っています。
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2007/3/27  11:50

貨物機の牽く客車列車(EF15+サロンエクスプレス)  国鉄・JR機関車(直流型)
皆さん、こんばんわ。

今日は昨日に引き続き、「貨物機の牽く客車列車」をお届けします。

総数202輌が製造され、東海道や近畿、首都圏を闊歩していたEF15ですが、昭和60年には全国からほぼ姿を消してしまい、高崎第2機関区に165号と200号の2輌が残るのみとなっていました。両機は、両毛線や吾妻線専用のような運用となってなっていましたが、両線とも既に貨物営業はなくなっており、工臨が主な仕業となっていました。

そんな中、EF15にスポットライトの当たる時が巡ってきました。団体のサロンエクスプレスの入線にあたり、EF15の仕業が組まれたのです。私の記憶では、この時が初めての組み合わせだったと思います。

では、そのときの写真をどうぞ。

撮影は、すべて昭和60年2月9日です。
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吾妻線 長野原〜川原湯間にて (2枚とも:駅名は当時標記)

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吾妻線 小野上〜祖母島間にて

この日はあいにく、雨又はみぞれのようなカメラマンにとって一番うっとうしい天気でした。どうせだったら雪のほうが良かったのですが・・・。それでも、このイベント並みの組み合わせは、ファンを集めるには十分すぎるシチュエーションでした。しかも、もう1台の僚機である200号機も工臨として運転されたため、天気の不良にも拘らず、かなりの人手がありました。

これはオマケです。
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吾妻線 小野上〜祖母島間にて EF15200の牽く工臨。
これは、追っかけで追いつき、サロンエクスプレスを待っていたら、偶然来たので撮りました。(運用があるとは知りませんでした。)

※実物の写真はもう少し明るいのですが、スキャニングの都合で暗くなってしまいすみません。


EF15が牽く客車列車としては、隅田川〜汐留間の荷物列車牽引が有名でしたが、EF16改造前の時代の補機や紀勢線の荷物+貨物の混合などの特殊用途を除いては、まず客車を牽く機会のなかったカマでした。この引退間際になってのサロン牽引の運用は、彼らにとっても良き思い出となったことでしょう。そして、両機引退後は、電化区間にも拘らず、ディーゼル機関車であるDD51が務めるようになりました。
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2007/3/26  1:20

貨物機の牽く客車列車(西武鉄道さよならE851)  列車・車輌カタログ(私鉄)
こんばんわ。

今日も過去の写真を整理していて、大変遅い時間になってしまいました。明日の仕事が心配です。

今日は、整理してあるネタから「さよならE851」をお届けいたします。

西武のE851は、民鉄史上最強の機関車であることは皆さんご存知だと思います。西武鉄道では、セメントや石灰石など重量貨物を中心に多くの貨物列車が走っておりましたが、トラックへの切替による貨物需要の低迷もあり、輸送量は年々減少し、そして全面廃止となってしまいました。

E851の廃止にあたり、貨物機であった同機に最後の花道として企画されたのが、この「さよならE851」のイベントでした。JRから12系客車を借り入れ、団体扱いとして客車を牽かせるという、他の私鉄ではまずお目にかかれない大胆な手法により行われました。イベントを手がけた社員たちも相当な苦労があったようです。(と、私の友人の社員が行っておりました。)

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平成8年5月26日 西武秩父線 東吾野〜吾野間にて

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平成8年5月26日 西武秩父線 吾野駅発車

本イベントは、客車の借り入れに加えて全工程を重連による運転、そして横瀬駅構内で様々な車輌の展示、即売会が行われる等、西武鉄道ファンにとっては最高のイベントだったでしょう。イベント実施にあたっての、社員さんたちの苦労が偲ばれます。
各民鉄における機関車自体が減少し、またJRの客車保有数も減少している状況ですので、今後このようなイベントが行われることはまず無いのではと思われます。そういった意味で、この「さよならE851」のイベントは、鉄道史に残る貴重なイベントとなったのではないでしょうか。
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2007/3/25  1:35

架線試験車 クモヤ191・クモヤ193  その他電車
こんばんわ。

今日は、クモヤ191とクモヤ193をご紹介いたします。

試験車は様々な用途で製作・導入されており、主なものでは軌道試験車、架線試験車、建築限界測定車などがあります。この他にも、脱線試験車や機関車の牽引性能試験車など、極めて特殊な用途のものもあります。これら試験車の世界でも技術革新、高性能化が進み、今では複数の試験を同時に行えるような試験車も誕生し、国鉄時代に生まれたこれら試験車も、残りわずかになってきました。

今回ご紹介する試験車は、架線試験車として誕生した「クモヤ191系」と「クモヤ193系」です。

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昭和52年頃 宇都宮運転所にて クモヤ190−1+クモヤ191−1

クモヤ191は、国鉄初の新性能架線試験車として、昭和47年5月に181系の改造により誕生しました。種車は、クモヤ191−1がサハ180-5、クモヤ190−1がモハシ150−11です。架線試験のほかにも、ATSや踏切回路・信号回路など、様々な電気系の検測が可能な車輌です。外観は当時流行の特急型に準じた高運転台のスタイルですが、前面はフラットになってやや中途半端な感じがします。おそらく種車が中間車のため、台枠との合わせや車体長を考慮した結果でのことでしょう。側面は、181系時代の面影を色濃く残しており、特にモハシ改造のクモヤ190−1は種車と同じセンターのドアやビュッフェの調理室側小窓が残され、外観上の大きな特徴でありました。
この写真は、休車中のEF57に逢いに行ったとき、偶然に宇都宮運転所に来ていたところを捕らえました。(配置は田町電車区)


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昭和60年頃 京浜東北線 与野駅にて (2枚とも) クモヤ193−1+クモヤ192−1

クモヤ193系は、クモヤ191系の後継車として、昭和55年3月に誕生しました。191系とは違い、すべて新製にて製造されています。試験性能的にはわずかな違いですが、モーターが6基(クモヤ192−1の運転台側の台車はトレーラー)であること、ATC区間を走行できることが大きな違いです。運転台は完全にクハ481300番台と同様な形状となり、洗練されたスタイルとなりました。山手線と京浜東北線がATC化されるにあたり、クモヤ191系の老朽化と相まっての登場となりました。配置は田町電車区ですが、ここ数年保留車となったままの状況であり、廃車になるのも時間の問題のようです。

今では、各種試験車の運転情報が「ダイヤ情報」で公表されていますが、昔はこの様な情報や公けにはされていなかったため、なかなか計画的にその姿を捕らえることは難しかったといえます。現在は、その点では楽になりましたね。
私も試験車に興味があり、クモヤ443系やキヤ191といった車輌の写真も撮りたいのですが、なかなか首都圏には姿を見せず、試験も業務の性格上平日の実施となるため、撮影の機会が無く残念です。これらの試験車も「旧型」と呼ばれる時代になってしまい、今や風前の灯といった感じです。近くに走ってくれないですかねぇ〜。
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2007/3/24  19:08

飛行機はいかが? YS−11  その他乗り物写真館
こんばんわ。

今日は天気もあまり良くないし何かどっと疲れているので、どこにも出掛けずに今後のために写真のスキャニングを行っておりました。それでも飽きてきたので、少し手を休めてブログを更新しようと思った次第です。

今回のテーマは飛行機です。ブログを始めて2ヶ月弱ですが、なかなか飛行機をアップする機会が無く、どうしようかと思っていたのですが、自分でも少し気分転換をしたくなったので、何となくアップしてみようかと・・・。

私は元々飛行機嫌いでした。今もできれば乗りたくありません。怖いんですよね、足が地面に着いていないのが。昔は鉄道に比べて航空運賃がべらぼうに高かったので、必然的に鉄道に乗るしかなかったのですが、その影響もあって遠くなら鉄道、コストや機材の量とかを考えて自動車といった選択肢が固定していきました。

こんな私が初めて飛行機に乗ったのは、平成11年7月、35歳になってからでした。仕事の参考にするため伊豆大島に行きたかったのですが、出張を組むことができなかったので、自費で家族連れで行くことになったのです。往路は飛行機が取れずに熱海から高速船で、帰路は飛行機となり、これがわが人生で初搭乗となった次第です。

このころ、大島便全便、三宅便全便及び八丈便1往復にYS−11が使用されていました。全国的にもYS−11が淘汰されつつあり、大島便は大島空港の拡張(滑走路の延長)をもって退役となることを友人から聞かされていました。そんな情報もあって、特に飛行機に乗りたかったわけではないのですが、記念になると思い一大決心がついたわけです。

話が長くなりました。人生わずか1回の撮影ですが、YS−11の勇姿をどうぞ。
撮影は、全て平成11年7月17日です。
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以上4点は、滑走路から駐機場所までの移動シーンです。

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搭乗シーン。間近で見る機体とプロペラの大きさに圧倒されました。
(飛行機に乗るのが初めてなので、こんなに近くで見たことがありませんから、このくらいでも驚きました。。)

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これがプロペラです。(見りゃ分かります。)とにかく大きく感じました。

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機内シーン。スクリーンが無いので、救命胴衣の説明など、すべてスチュワーデス(今はキャビンアテンダントですか・・・)さんの実演です。

これをきっかけに、その後もわずかですが飛行機に乗る機会がありました。確かに、ジェットと比べると加速感など比べ物になりませんが、理屈抜きでYS−11に惚れました。でも、もう乗ることはできませんけど・・・。(あるところにはまだあるんですけどね。)
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2007/3/24  1:15

C623 (復活したマンモス機:昭和63年)  蒸気機関車
皆さん、こんばんわ。

今日は、久しぶりに蒸気機関車篇で、C623をお届けしたいと思います。

昭和57年に初めてSLを撮影して以来、スッカリSLと旧型国電にハマッていたのですが、その後EF58の引退やEF55の復活などがあり、SLからは若干遠ざかっていました。東京〜山口の距離と費用がネックだったこともあります。
そんなとき、国鉄の分割民営化を控え、C62の復活の話が持ち上がっていたことは知っていましたが、いよいよ函館本線に復活登場することになりました。

北海道までの費用は山口の比ではなく、山線という路線・地形の特性から、自動車での上陸又はレンタカーの借用など、そんなに簡単には行くことは出来ませんでした。しかしながらも、国内最大級・最強の蒸気機関車を見ないわけにもいかず、比較的運転日の連続する日を狙って出掛けていくことになります。

たった数回の撮影行ではありますが、追っかけをしたり複数のカメラを使って撮ったりしたので、記録が曖昧になってしまっている部分があるのですが、判る限り表示しましたのでご了承願います。

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平成元年6月27日 函館本線 銀山〜小沢間にて
これは2度目のC62の撮影のときのものです。私の撮ったC62の写真の中でも、一番お気に入りの構図です。

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平成2年9月7日 函館本線 蘭島〜塩谷間にて
山線一番の有名スポットです。煙もサービスで必ず出してくれますし、障害物の無い直線で、誰でも迫力のあるC62を簡単に撮れる場所でした。

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平成2年9月8日 ニセコ〜比羅夫
自分の中では、一番迫力が出せたと思っている1枚です。欲を言えば、煙が立ち昇って欲しかったですね。

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平成2年9月9日 函館本線 小沢〜倶知安
何のことは無い、極限にノーマルな撮り方をしてしまったのですが、地味な景色の中を走るC62にあって、比較的に色のある明るい写真だなぁと思った1枚です。

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平成5年10月10日 函館本線 銀山〜小沢間にて
C62の運転が終了するということで、北海道に行きたがっていた妻を連れて行ってきました。C62の最後の撮影となることは分かっていたので、迫力があってクリアな写真を撮りたかったのですが、季節はずれの大雨(雷雨)にあたってしまい、露出不足の限界ギリギリで撮った写真です。撮影の直前に雨が上がってくれたのがせめてもの救いでした。
そして、この次の日に初めてニセコに乗り、さよならをすることになりました。


本来でしたら、C62は「憧れの車輌たち」として紹介させていただくべきものなのですが、カテゴリーの都合上「蒸気機関車」に分類いたしました。
とにかく、大きさ、煙、迫力、どれをとっても間違いなく日本最強の蒸気機関車であり、同機が復活したときに「生きていてよかった」と実感させられたカマでした。
C11型に比べて維持費が掛かるのは理解できますが、やはり函館本線(山線)にはC62が似合うと思います。いつかまた復活してくれることを切に願います。
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2007/3/23  1:06

銀河鉄道999 (昭和54年:烏山線)  国鉄・JR機関車(ディーゼル)
こんばんわ。

今日は今までと変わったところで、イベント列車を取り上げたいと思います。
列車名は、「銀河鉄道999」。松本零士原作のSFアニメで、「宇宙戦艦ヤマト」に続いて大ヒットとなりました。この人気にあやかったのでしょうか、本物の車輌を使ってイベントが仕立てられました。行先は、烏山線烏山駅に設定されていました。

劇画では、C62型蒸気機関車の牽引でスハ44系タイプの旧型客車が描かれていますが、さすがに当時の状況では無理ですので、12系客車が使われました。

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昭和54年7月22日 宇都宮運転所にて 折返し待機中のEF651007

上野から宇都宮までの直流区間は、EF651007が使用されました。塗装変更などは行われていませんが、メタリックシールで「GALAXY EXPRESS 999」と大きく表現され、勿論ヘッドマークも取り付けられました。


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昭和54年7月22日 烏山線 宝積寺〜下野花岡(?)だったような気がします

宇都宮から終点烏山までは、電化区間も含めてDE10100が牽引にあたりました。
この当時は、DE10がヘッドマークをつけて客車を牽引することは大変珍しかったと思います。

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昭和54年7月22日 烏山線 宝積寺〜下野花岡(?)だったような気がします

上の写真と同じ場所での後追いです。12系は9両編成で、おそらく烏山線に走った列車としては最大級の長さだったのではないでしょうか。

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昭和54年7月22日 烏山線 烏山駅にて 折返しを待つDE10100

終点でどのようなイベントが行われていたか全く記憶にありませんが、駅名板には「アンドロメダ駅」とか書かれ(紙が貼られ?)ていて、イベントへの力の入れ様が伝わってきます。個人的には同氏のアニメが特に好きであるわけではないので、どちらかというと醒めた目で見ておりました。


行先不明のミステリー列車は、戦前にも実施された記録があるようですが、日本国有鉄道になってからは初めてではないでしょうか。その後も「イカルス」や複数の「999」号が運転されるなど、ミステリー列車の先駆けとなったことには違いありません。このような企画は、子供の夢を育てたり、意外な車輌の組み合わせや経路の選択などでファンを魅了させたりという意味で、あって良い「遊び心」だと思います。
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2007/3/22  2:40

憧れの車輌たちVol17 (EH10)  国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日は、久しぶりに憧れシリーズをお届けいたします。第17弾はEH10型直流電気機関車です。

東北・上信越筋に住んでいる私にとっては、東海道線や関西に走っているというだけで憧れの対象となるケースが多くなってしまいます。山陽・山陰・九州方面のブルトレや157系「あまぎ」、大阪・岡山発着の特急列車などがよい例だと思います。

東海道の貨物機については、EF60やEF65,そしてEF66がありましたが、前者2機種は地味であり、EF66は未来的な機関車に感じ取っていました。その中でも一際個性があったのが、このEH10だったという感じです。

EH10は、その名のとおり8軸の動力軸を擁しており、その車体の長さから2台で1両の扱いとなる、当時では唯一の形態でした。(同じようなスタイルでDD50がありましたが、同車はあくまでも2両で背面連結の「重連」運転を原則としているだけです。)

撮影カットは非常に少なく、見映えのする構図、画質ではありませんが、ご紹介させていただきます。

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昭和52年頃 東海道本線 湯河原〜根府川間にて 白糸川橋梁を渡るEH10(2枚とも)
この2枚は、私がEH10を撮ったファーストショットになります。当時、中学2年生ですが、初めて東海道線の走行写真を撮るために、一番有名だった同所を友人と訪れたときのものです。1番の目的はブルトレだったのですが、このときからEH10が好きになりました。

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昭和55年8月 東海道本線 稲沢(?)にて 通過中のEH1031
確か、稲沢だったような気がします。以前からご紹介しております、キハ181系「やくも」撮影行の第1段階目で、大垣夜行から降りて最初のショットでした。

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昭和55年8月 東海道本線 稲沢にて 構内を移動中のEH1031
この日は東海道線の木曽川附近で撮影をしていたのですが、撮影中は何故かEH10がほとんど通らず、駅までの帰り道でEH10重連を見たくらいでした。このままではと思い、稲沢に戻ったときの写真です。偶然にも上の写真と同じカマで、おそらく運用が終わって帰区したところに出くわしたのでしょう。
 
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昭和55年8月 東海道本線 山崎〜長岡京間にて EH106の牽引する貨物列車
山陰での撮影を終え、朝から同区間に張り付いていました。早朝であるため、残念ながらブレております。後に続くトラ90000も、今となっては懐かしい絵ですね。


個人的には、1〜4号機の試作機の写真が撮りたかったのですが、結局写真も撮っていないようですし、見た記憶もありません。もしかしたら、昭和55年の時点で既に廃車になっていたのかもしれません。彼らがもう少し遅くまで残っていてくれたら、もっとマトモな写真が撮れていたのではないかと残念に思います。
幸いにもNゲージにおいて、同機が数種類発売されましたので、将来的には長い貨車を自作のレイアウトの上で走らせ、彼らを復活させてあげたいと考えております。

まだプリントアウトしていない彼らの写真がありそうなので、準備が出来次第またアップしたいと思います。
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