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2007/3/6  1:15

EF59 瀬野八での終焉  国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。
ご心配お掛けいたしましたが、ようやく平常時の体調に戻りつつあるようで、昨日は午後より仕事に就きました。平熱だとこんなに仕事も口もはかどるのかと思うくらい順調に仕事を片付けて参りました。それにしても、昼間の突風と帰りの信号機故障にも参ってしまいましたが。
いくら体調が戻りつつあると言いながらも、「この時間に更新は無いだろうに・・・」と思いながらもパソコンに向かっています。・・・ま、では本題に入ると致します。

皆さんもご存知かとは思いますが、ヤングのために一言説明をさせていただきますと、
西の箱根越えといわれる山陽本線の瀬野〜八本松間では、上り列車に対して長く厳しい勾配となっていて、昔から補機なしでは列車を通すことのできない難所でありました。非電化時代はSL(C52など)が補機の任にあたっていましたが、電化に際して余剰となっていたEF53とEF56をその後任に選抜しました。この両者に自動開放装置など改造を施したものがEF59であります。種車の違いにより大きく2種類に分かれます。(種車の年次により、もう少し多く細分されます。)

私もEF59にはEF56の改造車がいること早い時期から知っていたので、逢いには行きたかったのですが、関東からの距離を考えると、これだけのために逢いに行くことは年齢的にも厳しかった時代になります。しかも、本来であれば、逢えずに終わっていたはずなのですが。

EF59の後ガマとなるべくEF60初期車を改造したEF61200番台が登場したのですが、重連使用だと出力がありすぎて中間貨車を突き上げて脱線させてしまう危険があり、また、単機では1000t未満でないと出力が不足するというジレンマな状況になってしまいました。これにより、一部のEF59が生き長らえることになったわけです。

そして、後にこの問題をクリアすることになるEF67(一次車)が登場するまでの間に、私も行動範囲を広げられる年齢となり、山口線の撮影と兼ねて彼らに逢うという夢が叶ったのです。

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昭和57年10月4日 4重連回送 八本松〜瀬野
この区間では、過密なダイヤを考慮して、複数列車分をまとめて回送する方法をとっていました。

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昭和57年10月4日 重連補機仕業 瀬野〜八本松
日中は思ったより貨物列車の本数が少なく、本仕業を捕らえるのに非常に苦労しました。

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昭和58年2月10日 EF591号機
この時はお休み中の1号機。残念ながら、パンタグラフは上がっていませんでした。

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昭和58年2月10日 EF5921号機
やっと逢えた元EF56一次型の同機。パンタグラフも上がって、しかも単機でいてくれてラッキーでした。でも残念ながらPS22Bはチョット似合わないですね。
EF56二次型改造のEF59もありましたが、一足先に姿を消してしまいました。


私の活動期間においてもギリギリ逢えた感のある彼等ですが、時すでに遅しと言いますか、59・2の貨物大合理化を控え軽量化してしまった貨物列車にEF61200が我が物顔で活躍しており、さらに貨物の本数自体が少ない日中とあって、1駅間を1日掛けて歩いた割には、成果といえるほどEF59を捕らえることはできませんでした。
しかも、昭和58年にはEF67の一次車が使用され始め、貨物合理化を睨んでEF61の201号機を含む数両までもが廃車前提の休車となっている始末。

そんな状況の中でも、彼らがEF54やEF57型といった後輩よりも長く生きることができたのは、きっと幸せだったのではないでしょうか。願わくば、復元して旧客を牽かせ、本線を走らせてやりたかったと思うのは、私だけではないと思います。
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