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2007/3/9  3:02

カヤ24(24系24型電源車)  ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。
昨夜はいつになく早くに帰ってきてから、今後のブログ作成のためにスキャニング作業を行っておりましたが、食事後、不覚にも寝てしまいました。目が覚めたらもう日付も変わっていて、急いで風呂に入ってパソコンに向かった次第です。

今日は24系寝台車の電源車である「カヤ24」をお届けいたします。

誕生のいきさつはご存知かと思いますが、軽く説明させていただきますと、高度成長期に入りアコモデーション的に見劣りがするようになった20系寝台車を将来的に置き換えるために製造されたのが、分散電源方式の14系寝台車でした。本州対九州向け寝台列車では、行き先が2方向に分かれる列車が多数設定されていたため、電源車を分散して搭載することにより、分割・併合の利便性が大幅に向上いたしました。
しかし、14系寝台車が軌道に乗り始めた矢先、北陸トンネルでの列車火災事故が発生し、多くの犠牲者を出しました。このことにより、安全対策として火災の危険のある電源装置(発電機)を20系同様の集中方式に改める方策が採られました。ここに24系寝台車登場することになりました。

カヤ24は、24系寝台車の電源車として、昭和48年9月に10両が竣工しています。竣工当初は「マヤ24」を名乗っておりました。これは、当車が電源専用車であったため、車輌重量が「カ」級に満たなかったことによります。当時はまだ小荷物の需要があり、長距離速達の小荷物輸送に寝台特急が利用されている時代でした。そこで、マヤ24の業務室に荷物室を設置する改造を施したことにより、荷物荷重と合わせて「マ」級を超えたため、「カヤ24」に改められることになりました。

カヤ24の特徴といえば、荷室が設けられなかったために車体が短く、24系24型の標準である「白帯」合わせられたため、途中から増備されたカニ24とかなり印象が異なります。また、運用においては、カニ24誕生時には共通運用が組まれたため、その後登場する24系25型と組むこともあり、銀帯編成に1両だけ白帯車のような編成美を崩すような現象も日常的にありました。しかし、これが返って彼の存在をアピールするには好都合であったとも言えるでしょう。

では、私が所有する数少ない写真をアップいたします。

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昭和50年頃 東京駅にて 浜田から東京へ到着した「出雲」
製造当初は全車が向日町運転所に配置された「カヤ24」ですが、新幹線博多開業により比較的早期に異動が始まっていたようです。東京口のブルトレでは、この「出雲」以外には使用されているのを目撃したことはありません。(後に「銀河」には良く使われたようですが。)


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昭和54年頃 東北本線大宮駅にて 東大宮操車場へ回送される「ゆうづる」
確か昭和53年10月改正のときだと思いましたが、何両かのカヤ24が青森運転所へ転属して、この「ゆうづる」にも使用されることになりました。しかし、一部共通運用であった「あけぼの」に使用されているところを見た記憶がありません。(あったのかもしれませんが・・・。)


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昭和61年9月8日 羽越本線 撮影場所不詳 カヤ24を最後部に青森へ向かう「日本海」
24系25型に連結された白帯のカヤ24は、やはり非常に目立ちます。


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平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟〜犀川間にて 下り「日本海」
全編成が写っていませんが、24系白帯車で統一された編成美を誇る「日本海」。JR化後は、日本一大きい「JR」マークを掲げていました。私的にはいただけませんが・・・。


24系24型も2段寝台化されると、JR化後は25型と区別無く混結されるようになったり、晩年は「カニ24」や24系25型の白帯車が発生し混成するなど、なかなか白帯車で統一された綺麗な編成を見ることができなくなってきました。
また、ブルトレの電源車という性格上、機関車の次位や最後部の連結ということから、走行写真に切り替えてからあまり意識して撮る機会もなくなっていました。しかも、絶対少数派でありながらカニ24と共通運用であるなど、意識して撮影に望まないと捕らえるのが難しい車輌であったと思います。もう撮ることのできない彼らですが、できれば、もう少しじっくりと撮りたい貴重な車輌でありました。 
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