鉄道コム

2007/4/30  22:08

地下鉄東西線の乗入車(103系・301系)  その他電車
こんばんわ。

とうとう3日間のGW前半戦も終わりです。明日、明後日は、後半戦の連休に日程を圧迫されているので、仕事はかなり忙しそうです。

今日は、営団地下鉄(現東京メトロ)東西線で活躍した103系と301系の写真をお送りいたします。
実は、昔から301系の存在は知っており、興味のあった車輌ではありましたが、通勤型の車輌の写真を撮る習慣が無く、また、地下鉄という撮影のし難さもあって、全く撮る機会はありませんでした。しかし、301系の全廃のニュースが流れると、身近に走っていながら1枚の写真も撮っていない悔しさもあって、最後の最後に慌てて撮りに行った次第です。

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平成15年5月3日 東京メトロ東西線 行徳駅にて 301系

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平成15年5月3日 東京メトロ東西線 原木中山駅にて 301系

東西線は地下か高架ですので、基本的に走行写真というのは無理があります。よって、駅撮りになるわけですが、東西線は地下鉄には珍しく、途中追い越し設備があるため、駅によっては余裕のある写真が撮れて助かります。
301系は1枚も撮っていなかったので、「とにかく撮れれば良い。」という思いで撮ってきました。

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平成15年5月3日 東京メトロ東西線 行徳駅にて 103系1000番台

301系と同時に103系も全廃されることになっていたため、もちろん記録の対象となりますが、この日は1200番台は運用に入っていないようでした。休日の日中でもあったため、103系・301系とも上の編成と合わせて1編成づつで、3時間ほど時間を掛けましたが、同じ編成が行ったり来たりしているだけでした。結局、「クモハ1021200番台」を捉えることはできませんでした。

最後にオマケです。
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最悪の画像でスミマセン。ポケットカメラですので、おそらく昭和50年頃に撮った写真ではないかと思います。場所は中野駅の東西線発着ホームですね。営団5000系との並びで、手前の103系は1200番台です。(この頃は、1000番台は千代田線専用でした。)総武緩行線に205系など存在する遥か前の時代ですので、黄帯を巻いています。東西線には黄帯の方があっていると思いますが・・・誤乗防止のため、ですね。
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2007/4/29  23:19

房総の急行電車(その2)  その他電車
こんばんわ。

本日3回目の更新となります。先日アップいたしました房総の急行電車(その1)に続いて(その2)をお届けいたします。
ただし、今日の写真は凄過ぎます。心してご覧ください。

前回アップした写真は昭和54年のもので、53・10改正後においてワンポイントでイラスト入りになったものですが、今回ご覧いただくのは改正以前で、イラストの入っていないシンプルなヘッドマークです。
詳細な記録は無いのですが、買ってあった入場券から昭和51年6月6日に撮影したものと思われます。まだ中学生になったばかりの頃で、ポケットカメラで撮影していますので、構図も然ることながら、画質は最悪です。色調も劣化によるものか、かなり変な色をしていましたので、スキャニング後に色補正を掛けております。

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両国駅にて 165系 「外房」
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両国駅にて 165系 「鹿島」
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錦糸町駅にて 165系 「内房」

画像縮小の相性も悪いらしく、画像が大荒れです。
この頃のヘッドマークはシンプルで好感が持てましたが、既に各方面とも特急網が整備されており、また、快速運転もあったので、わざわざ有料の急行で直角の座席に座る必要も無く、どの列車を見ても相当乗車率が悪いようでした。個人的には、急行が中途半端というより、銚子や鹿島への特急列車の必要性が良くわかりません。
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2007/4/29  15:02

都営バス(いすゞキュービック)  バスの写真館
こんにちわ。

今日は久しぶりにバスネタをお届けいたします。

平成18年末から19年始に掛けて、都営バスの撮影をしてきましたが、そのときにアップしていない画像がありますので、いすゞキュービックに的を絞ってお届けいたします。

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A504(小滝橋営業所)

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A504(小滝橋営業所)
A番台車は近いうちに引退が予定されています。4月14日に用事があって高田馬場へ行ってまいりましたが、そのときは未だA番台車は元気に走っておりました。

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C180(小滝橋営業所)

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D262(小滝橋営業所)

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D294(小滝橋営業所)

D番台車は、キュービックの特徴を残す前面窓とツーステップの組み合わせの最終グループに属します。時間的にはまだ活躍できるものと思いますが、都営バス自体いすゞキュービックは少ないので、お早めに撮影されたほうが良いかもしれません。
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2007/4/29  2:15

103系3000番台(川越線)  その他電車
こんばんわ。

今日は、103系3000番台の写真をお届けいたします。

103系3000番台は、元73系旧型国電の一族であるクハ79600番台とモハ72970番台を新性能(103系)化した車輌です。旧型車の車体のみを更新する事例は多々ありますが、車体をそのままに新性能車に改造する例は、国鉄時代にはほとんど見られません。そういった意味では、国電の歴史上でも貴重な車輌と言えます。しかも、後年には冷房改造も行われていることが、暫定使用ではなくなってしまったことの事情が覗えます。

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平成2年1月14日 川越線 西川越〜的場間にて 3両編成非冷房時代の103系3000番台

昭和60年3月、東北新幹線上野開業・埼京線開通に合わせて、直通運転される川越線も全線電化されることになりました。計画当初、埼京線(仮称「通勤新線」)は、大宮〜川越間及び大宮〜宮原(高崎線)間に乗り入れる予定でしたが、宮原への乗り入れは理由は良く解りませんが頓挫しています。大宮附近には電車区を設置するような用地確保が困難だったことから、川越線への乗り入れは已む無しといったところではないでしょうか。

川越線電化にあたり、埼京線への直通電車は山手線の205系化で捻出した103系10両編成を使用し、大宮〜高麗川の相互発着電車は103系3連を充てることになり、ここで白羽の矢がたったのが、仙石線の新性能化(103系・105系化)で余剰となった旧型車でした。(まさか、103系化されるとは思いもよりませんでしたが・・・。)
改造は、クハ1両はモハ1両と組んで電動ユニット化、もう一方のクハとあわせて3連化され、残ったモハ1両は電装解除の上サハ103系3000番台となり、中央線で使用されることになりました。もちろん、当初は冷房化は実施されていません。

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平成14年5月3日 川越線 笠幡〜的場間にて

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平成14年5月3日 川越線 笠幡〜武蔵高萩間にて

上の2枚の写真は、4連・冷房化された晩年の103系3000です。山手線のE231系化に伴って大量に捻出された205系及び臨海高速鉄道の余剰車の購入により、同線の103系3000番台も置換えられることになりました。

これは私の推測ですが、川越線の区間運用車は、せいぜい10年程度使用し「そのうち余剰となる103系で賄えば良い」程度に思っていたのが、強力な要望によって電化された八高線の需要が意外と伸びてしまい、必要な車輌数が確保できなくなってしまった。結果、209系の新規導入、中央線からの201系乗り入れで対応するがそれでも足りなく、103系の一般型を半自動化等により最小限確保(3500番台化)し、3000番台と容易に連結可能な中央線のサハ1033000番台を呼んで対応した。と、考えております。

推測の域を出ない勝手な想像ですが、同僚と再開し、元の4連で最後の活躍をすることができた同車たちは、大変幸運な車輌たちであったと思います。
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2007/4/28  5:15

小田急SSE 3000系  列車・車輌カタログ(私鉄)
おはようございます。

やっとゴールデンウィークに入りましたね。このブログの運営のために必要な写真や記録の整理を集中的に実施したかったので、どんなに待ち遠しかったことか・・・。昨夜から一睡もせず、徹夜でデータ整理をしています。
更新が滞るのも困りますので、これから風呂に入る前にアップいたします。

今日は、なつかしの小田急電鉄初代ロマンスカーであるSSE車の写真をご紹介いたします。

といいましても、小田急沿線住民ではない私にとって、同電鉄自体が疎遠でありますし、職場旅行といえば箱根、特急に乗れば老朽・陳腐化の激しいNSE車ばかりでした。ですから、興味自体は強くなかったと思います。
それでも「あさぎり」だけは、小田急電鉄の車輌でありながら、国鉄線(JR線)を走る急行列車としての興味があったことは間違いありません。ただ、方向的に全く用事の無い地域を結んでいた列車だったので、写真すら撮ったことはありませんでした。
そんなSSE車ですが、やはり急行の廃止、SSE車の置き換えが発表されては話は別です。前後1ヶ月間、週末毎に撮影の予定が入っていたのですが、強攻策で撮影に行くことと相成りました。


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平成3年1月26日 御殿場線 山北〜足柄間にて(2枚とも)

せっかく最初で最後のSSE「あさぎり」の撮影だったのに、終わってみれば電柱の影は被っているし、イマイチピンが甘いのか良く解らないネボケた仕上がりですし、何のために河原を歩き、崖をよじ登ってここまで行ったのか。でも、帰りはお別れ乗車してきましたし、写真もお釈迦になったわけではないので良しとしましょうか。


もう一つオマケです。
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昭和57年5月頃 小田急本線 登戸附近にて 「えのしま」

私が初めてセミ判(マミヤM6451000S)を導入したときに、試運転として何故かここへ来ています。特に小田急の電車が撮りたかったのかどうか、ハッキリ覚えていません。しかし、写真として残っている以上、私にとって大事な1枚のSSE車の写真であることに間違いありません。
※でも実は、初めて本格的なウエストレベルファインダーの撮影で、実版は大きく傾いてしまいました。スキャニングの際に結構な角度の修正を行っております。世の中便利になったというか、平気でウソがつけてしまいますね。
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2007/4/27  7:11

20系:駅station号(EF651000、EF80)  ブルートレイン:機関車・客車
おはようございます。
昨夜も女房にパソコンを占領されてしまったので、朝から更新しています。

(以下、更新しました。)

昭和56年、高倉健主演の映画「駅station」のキャンペーン企画で、20系の臨時列車が全国を走るというものがありました。後の「オリエント急行」みたいな企画でした。客車は特急運用の終焉を迎えていた20系であり、地域ごとに牽引する機関車が変わりましたので、かなり人気はあったようです。私は当時は高校生でしたので、全国を追いかけるほどの暇も金もありませんでした。よって、関東を走った時にのみ撮影をした次第です。

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昭和56年7月23日 東海道本線 函南駅附近にて EF651000の牽引する「駅号」

夏休み、身延線の旧型国電の撮影の帰りにチョット途中下車して撮影しました。当時は、東海道筋のブルトレがすべてEF651000でしたので、これといって目新しいものではありませんでした。ヘッドーマークが付いた20系寝台列車くらいの感覚でしょうか。

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昭和56年8月30日 常磐線 北小金〜新松戸間にて EF8018の牽く「駅号」

常磐線の直流区間は、客車はEF80、貨物はEF80かEF81という時代ですので、これも目新しいものではないのですが、「ゆうづる」は上野駅早朝の到着なため、EF80の牽くブルトレの走行写真を日中に撮れること自体には魅力がありました。
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2007/4/26  22:21

相模鉄道 型式は???  列車・車輌カタログ(私鉄)
こんばんわ。

今日も早く帰ってこれましたので、この時間に1枚ものですがアップしておきたいと思います。

写真が相模鉄道であることはわかっているのですが、型式等については詳しくありません。私鉄通の友人に見せたら偉く懐かしがっていました。

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写真は、昭和52年の社会科見学で鎌倉へ行くときに横須賀線の窓から撮ったものです。私は国鉄沿線の住民であったことから、あまり私鉄には興味を示していなかったのですが、相模鉄道の外付けディスクブレーキは気になりました。
私が撮った相模鉄道の写真は、たったこの1枚だけです。
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2007/4/26  2:03

貨物機の牽く客車列車(EF6019:新旧3態)  国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

昨夜は古い写真のプリントが大量40枚仕上がったので、スキャニング作業に専念いたしました。42枚で5960円也。モノクロプリントの高いことったら。ダイレクトプリントのほうが安いじゃない。
というわけで、データ整理までしていたらこんな時間になってしまいました。

今日は、貨物機の牽く客車列車の第4回目で、皆さんご存知のEF6019をご紹介いたします。
といっても、単純にEF6019の写真は、皆さんお持ちの方も多いと思いますので、今日はサプライズとして、貨物牽引の現役時代の写真を一緒にご覧いただこうと思います。

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平成14年8月17日 西川口〜蕨間にて EL&SL奥利根号を牽引するEF6019

現在の定番列車ですね。別に注目している列車ではありませんが、何となく撮っておいた写真です。

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平成6年5月31日 上牧〜水上間にて お座敷列車「くつろぎ」を牽引する同機

D51を撮ろうと上り向きに構えていると、何故か逆向きに構えている人たちがいるので、反対側を見たらコイツが突然来ました。上りのD51とほとんどすれ違いになりそうなタイミングでした。でも、この塗装はチョットねぇ〜。現役唯一のEF60なんですから、できればオリジナル色に・・・。

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昭和60年11月4日 高崎線 岡部〜深谷間にて オリジナル塗装の貨物機時代

やっぱりオリジナル色ですよね。一番似合っています。あまりこの手の貨物列車の写真は撮らなかったのですが、偶然撮った中にありました。

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昭和57年5月 蕨〜西川口間にて シールドビーム改造前の同機の牽く貨物列車

貨物の合理化と首都圏のEF15を淘汰するために、大挙東海道から異動してきました。旅客機に比べて地味ではありますが、やはり手付かずのこの姿が一番美しいと思います。これこそ、本当のオリジナルです。


ブログの開設にあたり、手当たり次第に過去のネガをほじくり出して、偶然にも見つけ出しました。1つの電機でこのような数次の移り変わりを押さえていたのは、多分このEF6019だけではないかと思われます。

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2007/4/25  7:10

憧れの車輌たちVol24 (583系:金星)  特急型電車(交直流・交流)
"折角更新準備ができたのに、画像登録の接続ができなくなり、挙句の果てに勝手に終了されてしまいました。このブログはいったい何なんでしょうね。朝からムカツク〜。
と、ムダに時間を使わさせれて不満ですが、取り敢えず画像のアップだけしておきます。
仕事から帰ってきたらまた更新しておきます。"

という事件がありましたが、今日は早く帰ってきたので、補足で説明をさせていただきます。

「金星」は、寝台特急として名古屋〜博多間を581・583系で運転されていましたが、その前身は153系の急行列車で、もちろん運転区間も全く異なる列車でした。
寝台特急化当初は、北陸本線富山行きの特急「しらさぎ」とペアで運用されていましたが、「しらさぎ」は53・10ダイヤ改正により485系化されてしまい、その後「金星」は廃止されるまで夜行専用として運用となっておりました。(確か、博多到着後は「有明」に運用されていたと思いました。)
名古屋から九州へは、多客期に「金星51・52号」も設定されていましたが、何故かこちらは西鹿児島行きとなっておりました。

個人的には、この「金星」が581系で運転されていること、他と違って廃止になるまで名古屋始発を固持していたこと、1往復しか設定されなかったことなどから、特別な思い入れがありました。


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昭和52年3月30日 名古屋駅にて 早朝名古屋に到着した「金星」

中学1年生の終わり、友人らと友人の親戚に遊びに行くついでに名古屋に行ったものです。早朝の上に天気も悪かったので、ストロボを炊いています。(未だ「迷惑」の概念が無かったもので・・・。)これが、彼との初めての出会いです。


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昭和57年10月3日 小郡駅(現新山口駅)にて デザインマークの「金星」

「金星」廃止の一報が入りました。なかなか利用する機会の無い列車でしたが、当時、山口線の撮影に行くようになっておりましたので、早朝到着の利便性も合わせて考慮し、同列車の乗車を選択しました。結局、これが彼との2度目の出会いであり、最後の別れとなってしまいました。

「金星」と共通運用を組んでいた「しらさぎ」も過去にアップしておりますので、こちらをご覧ください。
http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070210/archive
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2007/4/24  6:58

103系(仙石線)  その他電車
おはようございます。

昨夜は女房にパソコンを占領されてしまい、更新を行えませんでしたので、出勤前に取り急ぎ更新いたします。

仙石線へは、まだ72系600番台が残っている頃に写真を撮りに行ったことがあったのですが、103系化の際にラインカラーがスカイブルーとなってしまい、京浜東北線沿線に住む私にとってはあまり面白みがありませんでした。ので、当時の103系を1枚も撮らなかったという快挙を達成しています。(泣)

それから、20年近く経ちましょうか、私が珍しく仙台出張を仰せつかったとき、チャンスと思い石巻線の貨物と仙石線の103系を撮りに行きました。しかし、仙石線は既にほとんどの103系が撤退済みで、なかなか逢うことができませんでした。そして、やっと逢うことができたのが次の写真です。

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平成15年9月19日 仙石線 下馬〜多賀城間にて

石巻線の貨物は複数撮ることができましたが、仙石線の103系はこの1枚だけになってしまいました。しかも、この日は朝から天気が悪く、スッキリしない写真になってしまいガッカリでした。

今月号の鉄道誌で103系の復活が報じられており、以前から囁かれてはおりましたが、東日本で一旦は全廃になった103系の復活は大変喜ばしいことであります。しかし、おそらく工事期間中のみの暫定処置でしょうから、早めに撮影しておきたいところですね。ちなみに、今回の出場車はシングルアームパンタ化されているということで、写真の編成とは若干趣きが異なります。

しかし、最後まで残った103系が低窓車であるとは、なんという因果でしょうか。
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