鉄道コム

2007/4/15  1:15

ローカルな風景 第15回 (富山港線:モハ73系)  ローカルな風景
今日は、モハ73系「富山港線」をお送りいたします。

富山港線は、交流区間の地域にに存する直流区間の旅客線で、国鉄・JRの中でも仙石線と並んで異色な存在です。国有化の経緯も含め、モハ73系が存在するのも両線は大変似ている存在といえます。(同様に九州の筑肥線と北陸の七尾線もありますが、電化によって直流化された線で、経緯が異なります。)

富山港線へは過去2回訪れたことがありますが、最後に訪れたときの写真をアップいたします。


撮影は、いずれも昭和58年4月15日です。
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富山港線は、クモハ73+クハ79の2連が5組で運用されていましたが、その昔はスカイブルーのクモハ40が1両配置され、注目されていたようです。私が初めて同線を訪れたときは、残念ながら既に廃車されていました。そういった意味では、変化の乏しい路線だったといえるかもしれませんが、広島の可部線と並んで最後まで73系が残った線区としては貴重な存在でした。

その後、475系化を経てついには廃止となりましたが、LRTとなって存続することができた同線は、地元から見放されずに生き残ることができた幸運な路線だったと言えましょう。
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2007/4/15  0:30

リンクを新たに張りました  
こんばんわ。

昨夜はその筋の仲間と一緒に飲んで遅くなってしまいました。職場にはなかなか近くにその筋の人がいないので、普段は趣味のことで発散できる機会がありません。やはり、古くから付き合いのある方たちとの語らいは、普段のストレスをも発散することができ、また、趣味を見直したり、気合を入れることができたりするので、自分にとって大変プラスになります。

その仲間たちと久しぶりに逢ったのが、このブログを立ち上げてからは初めてでしたので、このブログの紹介しておくと共に、あわせて既にブログを立ち上げている方の了解を得てリンクを張らせていただくことにしました。

私のブログ共々、よろしくお願いいたします。

ほりさんの道楽ポンパン徒然草
http://m-hori19630203lions.at.webry.info/
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2007/4/14  8:20

荷物電車(クモユニ74・クモニ83・クモニ143など)  旧型国電
おはようございます。

昨夜は職場の歓送迎会があり、1週間分の疲れもあって更新をせずに寝てしまいました。5時に起きてしまったので、お風呂に入る前に更新しておきます。

今日は荷物電車のスキャニングができましたので、新旧合わせてアップしておきたいと思います。

まずは旧型改造車篇から。

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品川駅にて クモユニ740番台 2連運用

詳しいデータがありませんが、昭和53年頃でしょうか。東海道線では、時刻表に載る荷物列車と113系に併結又は単独2連で運用される荷物電車が走っていました。長距離を走る荷物列車は急行としてダイヤが組まれ、荷物電車は各駅用として湘南電車と併結されたり単独で走ったりしていたようです。一部運用では、153系に併結される運用もありました。

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上野駅にて クモニ83800番台

これも詳しい撮影データがないのですが、上の写真と同じ頃か、やや遅い昭和55年頃かもしれません。上越筋も東海道のような棲み分けで荷物列車が組まれていましたが、急行荷物は夜行の1本のみで、普通列車に併結される場合が多く存在しました。主に上野発長岡行きに運用が組まれていたようです。またこれとは別に、日中にはクモユニ+クモニが6連を組んで走る荷物専用電車が設定されていました。
上越方面の荷物電車は、クモユニ74200番台やクモニ83の一般型の湘南色が走っていましたが、旧型の晩年の頃になると中央本線から転配があったらしく、スカ色の車輌が見受けられるようになりました。特にこのクモニ83800番台は、張り上げ屋根と窓枠のRが美麗で、荷電の中でも一番好きな車輌でした。


次に新性能車篇です。

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南浦和〜蕨間にて 長岡からの普通列車に併結されるクモニ143+クモユ141
これは昭和56年頃でしょうか。旧型車の老朽化が進み、荷物電車にも1M方式の新性能車が導入されるようになりました。運行形態は旧型時代と変わらなかったようですが、製造数があまり多くなかったためか、普通列車との併結にも使用はされましたが、6連の運用は4連に縮小されていたと記憶しています。

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大宮駅にて クモニ143を併結した長岡行き普通列車

上の写真と同じ頃かやや後かもしれません。通常は郵便車のクモユ141とのペア運用がほとんどなのですが、この時はクモニ143が1両のみの併結になっています。今回スキャニングして画像を編集するまで気が付かなかったのですが、良く見ると窓ガラスに「〒」マークが張ってあり、クモユニ代行となっている様子が判ります。もしかすると、旧型車の淘汰により、輌数が足りなくなったかもしれませんね。

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昭和61年10月頃 蕨駅附近にて 身延色クモユニ143+クモニ143

荷物電車の末期の頃。ローカル線での荷物輸送が次々と廃止になり、車齢の若い新製車は荷物需要のある線区に転配されたり、後に事業用車や旅客車に改造されたりしました。身延線に新製配置されたクモユニ143は、新製唯一の郵便荷物合造電車で使い勝手が良かったためか、房総地区及び上越線の荷物電車として活躍しました。しかし、需要がなくなったためか、全盛期に6連だった頃の活況は全く感じられす、たった2連での運用となってしまいました。
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2007/4/13  2:30

憧れの車輌たちVol22 (583系寝台電車:臨時篇)  特急型電車(交直流・交流)
今日は久しぶりに583系をお届けいたします。

昼夜兼用に作られた583系ですが、その特殊な車輌設備から、夜行と昼行で同一区間に運用されることがほとんどで、臨時列車への使用も非常に限定的でした。それはつまり、臨時列車に運用されるとしても、583系を運用する定期特急列車の増発という形態に限られたものといえます。(一部「夕月」のように、新規の列車名を設定したものもありましたが、他の夜行特急と同一区間を走っていたので、特に変わった運転形態ではありません。その点、「しらさぎ」は例外的な設定でしたね。)

しかし、新幹線網が発達し始めると夜行特急が衰退し始め、余剰車輌が発生するようになりました。それからというもの、定期特急では「雷鳥」のように夜行運用が無かった区間にも進出するようになりました。そして、臨時運用にも活発に就くようになり、「シュプール号」などで今までにはなかった上越線や奥羽本線、羽越本線などにも走行するようになりました。

今回は、このような例で活躍した583系のシーンをアップいたします。


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昭和58年8月17日 大宮駅にて 特急「ふるさと」
東北新幹線が大宮始発の暫定開業となりました。この際、在来線「やまびこ」は全廃、「はつかり」は盛岡〜青森のアクセス特急に変わってしまいましたが、乗換え不便の救済策として、上野〜青森間の直通臨時特急「ふるさと」が設定されました。でも、なぜか上りが大宮止まりだったのは理由がわかりません。

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昭和60年1月5日 栗橋〜古河間にて 下り「ふるさと」
光線の関係で後ろ向きの走行写真になってしまいましたが、グリーン車及び食堂車を組み込んだ13両フル編成だったことがわかります。「はくつる」「ゆうづる」と並んで最後のフル編成583系でした。

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平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 「シュプール蔵王」
583系「シュプール」が各地で運転され、上越線への入線、485系との混結運転など様々な話題を振りまきました。この「シュプール」も改軌前の同区間に設定され、板谷峠を越えました。定期列車では設定されなかった区間でした。

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昭和60年 常磐線 神立〜高浜間にて 「エキスポドリーム号」
つくば万博の開催にあたり宿泊施設の確保という施策から、20系客車や583系など余剰寝台車輌を活用し、土浦駅(電車区留置線)でホテルとして使用する運用が組まれました。常磐線では元々「ゆうづる」「みちのく」が走っていましたが、この列車は東大宮操車場から武蔵野線を経由して万博中央まで走るという、当時としては奇抜な策がとられました。編成が逆向きであることで、通常には無い運用であることがわかります。(手前が青森・仙台方)

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平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟〜犀川間にて 臨時寝台特急「あけぼの81号」
そのむかし、「あけぼの51号」といえば14系座席車が定番でしたが、余剰車輌の活用といったところでしょう。

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平成14年9月22日 西川口〜蕨間にて 「リバイバルひばり」
リバイバル列車も各地で運転されましたが、オリジナルの姿をとどめる583系は風前の灯となり、今後は段々難しくなってくるでしょうね。


今でこそ、仙台区の583系が武蔵野線や京葉線、そして房総各線にまで走るようになりましたが、昔ではとても考えられないことでした。考えてみれば、東北筋では、東北本線と常磐線しか走っていなかったのですね。583系は、やはり長大編成が似合いますので、西日本583系のオリジナル塗装化を是非実現して欲しいですね。
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2007/4/12  11:40

東武鉄道 8000系旧塗装車(復活・現役時代)  列車・車輌カタログ(私鉄)
こんばんわ。

今日は、東武鉄道8000系の旧塗装復活車と現役時代の旧塗装車をお届けいたします。

生まれてから東北線沿線に住んでいるので、各私鉄には特段興味があったわけではないのですが、子供の頃遊園地に連れて行ってもらったりしたときに東武電車を見る機会がありました。そんなことで、東武鉄道だけは雰囲気が少しわかっていたような気がします。もちろん、旧塗装車の話ですけど。

そして、平成16年から17年に掛けて、旧塗装の8000系がリバイバル運転されたのは記憶に新しいところですが、友人に誘われて撮影に行ってきました。ネタとしては古いかもしれませんが、ブログを始めたのが最近ですので、懐かしネタとしてご覧ください。


撮影は、すべて平成17年2月11日です。
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朝霞台駅附近にて

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新河岸〜上福岡間にて

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森林公園駅附近にて

復活塗装の割には比較的長く走らせてくれましたので、あまり気が向かなくて行ってなかったのですが、何とか間に合いました。


そしてこれは、小学5年生の頃、武蔵野線を使って探検に行ったときに撮った写真です。東上線の走っている位置を知っていたわけではないのですが、何となく降りたら東武電車があったというような感じです。

撮影は、昭和48年頃。いずれも現「朝霞台」附近にて。
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小学校の頃で、本当に写真がヘタクソですみません。これでもこの頃の写真にしては良く映っている方です。写真は「インスタマチック」というポケットカメラのフィルムを大きくしたような感じのもので、画像は正方形です。いわば、ポケットカメラのフィルムカートリッジの走りといえるでしょう。

昭和48年は、武蔵野線の府中本町〜新松戸が開通したばかりで、乗客も列車本数も少ないローカルな線でした。北朝霞は、未だ東武線の線路とクロスしているだけで、現在の朝霞台駅が完成して乗換えができるようなるまでは、まだ暫く時間が掛かりました。
写真は、今の朝霞台駅のわずか南側辺りにあった踏み切りで撮影したものです。もちろん、朝霞台駅の工事など始まってはいませんが、周囲の状況から複々線に必要なくらいの土地幅を確保してある様子が窺えます。また、この頃8000系はかなりの両数が投入されていたようですが、冷房化された車輌は1台も無かったはずです。
この古臭いイメージのある旧カラーですが、私が初めて東武電車を撮った写真がこれであるということもあって、非常に愛着がありました。しかし、この写真から間もなくすると、クリーム1色の塗装になってしまい、ガッカリしたものでした。本当は、この8000系だけではなく、7300系や7800系の旧塗装車の写真を撮っておきたかったですね。
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2007/4/11  1:37

道産子の気動車  気動車(急行・その他)
こんばんわ。

何故かこのブログの編集画面にアクセスすることができず、大変遅い時間の更新となってしまいました。早く寝たいのに困ったものです。

何も準備ができませんでしたので、コメントも付けられませんが、スキャニング済みの写真から北海道産の気動車の写真をご紹介いたします。各1枚づつの端切れのようですが、それでも偶然捉えることができた、私にとって貴重な写真です。

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昭和55年3月 釧路駅にて 側線に留置されていたキハ12
当時でもキハ10系は全国的に廃車になってしまっていた時代ですので、北海道でも元々少数派のキハ12に逢えるとは思っていませんでした。既に廃車又は廃車前提の休車のようです。キハ10系自体の写真を持ち合わせていないので、私の数少ない10系の資料となっています。


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昭和56年3月 札幌駅にて 普通列車に運用されるキハ21
この車輌も北海道独特の型式で、基本は20系ですが、二重窓やエンジンカバーなど耐寒装備がされています。写真でお判りのとおり、既にキハ40系も導入されていますので、キハ21にとっても晩年の時代の写真ということになります。


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昭和56年3月 函館駅にて 函館口で普通列車に使用されるキハ24
これも内地向けキハ23(キハ45系の両運形)の北海道版で、側窓の形態やドアの形状・位置などの特徴があります。キハ40系誕生までの過渡期に製作された車輌で、生産量数が大変少なく、貴重な車輌でした。今回はアップしておりませんが、札幌圏では片運形のキハ46、函館口ではローカル用としてこのキハ24が配置されていたようです。


北海道といえばキハ22型が一般車として代表されますが、本州でも一部が配置され、また北海道では急行列車にも使用されるなど、完璧な道産子ローカル仕様とは言いづらい点があります。(私見ですけど・・・)
多数が製造され活躍したキハ22と比較して、地味にローカル運用を勤め上げた彼らこそ、真の「道産子気動車」といえるかもしれません。
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2007/4/10  14:55

貨物機の牽く客車列車(さよならED16)  国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

少し20系はお休みすることとして、久しぶりに貨物機の牽く客車列車をお届けしたいと思います。今日は、ED16です。

ED16は戦前生まれで、古くは中央本線(中央東線)で貨物・客車を問わず牽引していたことがあったようですが、阪和線などに一次転出、青梅線・南武線専用として立川機関区に全機が集結してからは、まず客車列車を牽引する機会はありませんでした。

使い勝手の良さで長きに亘り活躍してきたED16ですが、さすがに寄る年波には勝てず、昭和58年3月に最後を迎えることになりました。
通常、貨物機の引退に際して華々しいイベントが行われることは異例とも言えると思いますが、当時最長寿であった同機の注目度は高く、マスコミにも大きく取り上げられました。そして、最後は客車列車の牽引でお別れすることとなりました。

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昭和58年3月20日 ED163牽引 おもしろまじめ号

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昭和58年3月21日 ED163牽引 おもしろまじめ号

当時の日本テレビのキャッチフレーズ「おもしろまじめ」にちなんで運転された「おもしろまじめ号」。「まじめ」といいながらふざけたヘッドマークを付けてくれたと、あきれてしまいました。なので、2日目は大俯瞰で撮ってしまったというわけです。

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昭和58年3月26日 ED1610牽引 さよならED16

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昭和58年3月26日 ED1610牽引 さよならED16

これが本当のラストラン。沿線には大勢のファンが詰め掛けました。おそらく、同機が12系客車を牽いたのはこのときだけではないでしょうか。不釣合いな編成ですが、最後の花道にふさわしい、晴れやかな引退ランでした。そして、ラストランを飾った同機が保存されていることをうれしく思います。
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2007/4/9  0:03

ローカルな風景 第14回 (銚子電鉄:デハ301・501)  ローカルな風景
こんばんわ。

20系とバスばかりでゲップが出そうな方も多いのではないか・・・と思って、久しぶりの電車ネタです。

ローカルな風景の第14回目として銚子電鉄をお届けいたします。
といいましても、銚子電鉄の写真を撮りに行ったことは今もってないのですが、ミステリー列車を追跡して行ったら銚子駅についてしまい、そのミステリー列車の写真を撮っていたら銚子電鉄の車輌が横切ったので写真を撮っただけのことなのです。

ですので、銚子電鉄の駅などの「ローカルな風景」的要素は何もありませんが、車輌に着目していただき、このカテゴリーとさせていただきます。

撮影は、昭和55年5月5日いずれも銚子駅にて。
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デハ301+501のコンビ

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デハ501にズームアップ

銚子電鉄には興味がありながらも、気が付いた頃には旧型車の運行がなくなってしまい、訪れる機会を逸してしまいました。その間、この写真を撮ったことすら気にもしていなかったのですが、トミーテックの鉄道コレクションでズバリ同車が発売されたことを期に思い出し、「まさかあの時撮った写真てこの型式だっけ?」と思いつつスライドを確認すると、模型そのままの編成が写っていたのでビックリしてしまいました。しかも、デハ301パンタグラフではなくヒューゲルの姿で写っていたのでなおビックリ!気が付かなかった・・・。

その後もスライドのまま眠っておりましたが、今年このブログを始めたことをきっかけに、死蔵しているスライドやネガから何とか生き返らそうと、数々の写真をプリントしている次第です。そして、約27年振りにやっとこの両車に陽が当たりました。
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2007/4/8  22:20

憧れの車輌たちVol21 (20系寝台:あけぼの・ゆうづるU)  ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。

今朝ほどに引き続き、20系寝台客車「あけぼの」「ゆうづる」の続きをお届けいたします。

今回は、いつもの悪質な画像に輪を掛けて悪質な構図・画質です。温かい目で見てやってください。

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昭和51年頃 西川口〜蕨間にて マニ20を使用した「ゆうづる」
上野に到着後、尾久に推進で引き上げた列車は機関車をつなぎ替え、東大宮操車場に回送されます。マニ20は20系初代の電源車で貴重な存在でしたが、生産量数も少なかったため、あまりお目に掛かることはできませんでした。ブレブレですみません・・・。

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昭和51年頃 東大宮操車場にて 583系「ゆうづる」と並び一服中のカニ21「ゆうづる」
当時、特急列車街道であった東北・上信越筋では、尾久客車区の留置線だけでは容量が足りず、常磐線の特急・急行車輌であっても東大宮へやってきました。

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上と同日 東大宮操車場にて 洗浄線に入る20系あけぼの編成
実は、20系で一番大好きな車輌がこのカニ22です。まだ上野駅といえども夜間出歩くことが許されなかった当時では、なかなか写真を撮ることもできませんでした。間近で見る同車は迫力満点。できれば、機関車が繋がっていなければ。でも高崎第二機関区のEF58と手を繋ぐ「あけぼの」はユニークですね。


自分では写真がほとんどないカニ22ですので、近年関水金属社からカニ22が発売されたときは本当にうれしかったですね。実車は、尾久客車区晩年の頃、「北陸」や「北星」に運用されることがありましたが、残念ながらキャッチできませんでした。もっと写真を撮りたかった型式でした。
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2007/4/8  12:43

バスネタ 国際興業バス 全部いすゞキュービック2  バスの写真館
こんにちわ。

今朝ほどのトラブルでほとんど寝れていないのですが、昼寝をする前にアップいたしまうす。
今日は、昨日の国際興業キュービックバスの続きです。

撮影は、すべて平成18年11月4日です。
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赤羽駅西口 9022 赤羽営業所所属 96年式

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赤羽駅東口 9023 赤羽営業所所属 96年式

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赤羽駅西口 9024 赤羽営業所所属 96年式

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赤羽駅東口 9025 赤羽営業所所属 96年式
以上の4枚は、偶然にも連番となっていました。9025だけ塗装が新色に更新されているのが分かります。他の車輌も更新を受けて存続するのか、他の系列会社へ委譲されるのか、微妙な存在です。アイドリングストップのマーク(行先幕の左右)の付き方が4車ともバラバラなのがユーモラスです。

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蕨駅東口 9097 鳩ヶ谷営業所所属 96年式
このバスは塗装更新済みです。

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赤羽駅西口 3005 赤羽営業所所属 98年式
これは同じキュービックでもノンステップ車です。国際興業では30両が導入されましたが、31両目からは「エルガ」に変わってしまったため、同社の中では少数派となっています。

まだまだいすゞキュービックが多く存在する国際興業バスですが、確実にエルガやエルガミオが勢力を伸ばしており、これから3年くらいの間には相当な変化が見られるのではないかと思われます。
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