鉄道コム

2007/6/30  18:40

はたらくくるま(検診車U)  その他乗り物写真館
1週間遅れのネタなのですが、日曜日にまた娘の水泳記録会があり、戸田スポーツセンターへ行ってきました。
以前もご紹介させていただきましたが、このあたりには健康診断のための検診車が多数駐車しているため、トラック・バスに興味を持ち始めた私にとっては、資料収集のエリアとなっています。
今回は、前回の駐車場が使えなくなってしまったため、離れた場所の有料駐車場を使いました。結果、現地に行くまでにかなりの距離を歩くハメになってしまったのですが、また検診車を見つけてきました。

撮影は、すべて平成19年6月24日です。
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前回と同じ駐車場ですが、今回はカラフルバージョンを発見しました。

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こちらは新たに発見した駐車場。こちらにもややカラフルなバージョンが駐車。
屋根に載せた大きい箱が、バスコレからの改造意欲をそそります。それにしても、後部ドアは中途半端なサイズで、改造の際には泣き所になりそうな悪寒・・・。

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上の2台に比べて対照的に地味〜な検診車。トラック然としていて、いかにもバスが母体ではないように見えます。これはこれで模型的には存在感がありそうです。


最近、古い検診車の「車庫飛ばし」で逮捕者が出たそうな。検診車は中に積載している検診機材も高額でしょうから、チョット排ガス規制に合わないからといって買い換えるのも、病院や検診事業者にはキツいのでしょうな。
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2007/6/30  3:45

鶴見線(73系・クモハ12)  旧型国電
今日は、昨日の予告どおり、旧型国電をお届けしたいと思います。

まずはモハ72系からご覧いただきます。

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昭和53年2月19日 鶴見駅にて 折り返し待機中のクモハ73形

多分ですが、初めて鶴見線を訪れたときの写真です。
今までアルバムに入れたまま何も気にしていなかったのですが、鶴見線で撮ったクモハ73の写真は、この写真のものを除いて全て更新工事施行車でした。もしかしたら台数的に少なかったのでしょうか。同じ頃まで残っていた南武線や横浜線も同様に更新車ばかりでしたので、ライトが屋根上にある限りなく原形に近いクモハ73の未更新車の写真はこれしかないようです。(あっ!マヤ検のクモハ73がありました。)

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昭和54年12月頃 武蔵白石駅にて 更新工事施行済みのクモハ73

こちらは、上の写真よりも後に撮影したものです。更新済みのタイプで、高窓・ライト埋め・客窓のサッシ化が実施されています。
撮影場所は、構内配線の状況から、おそらく武蔵白石ではないかと思われます。

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昭和54年12月頃 浅野駅にて 原形3段窓のクハ79450

こちらは、上の写真と同日に撮影したものです。一見更新後のような整ったスタイルをしていますが、3段窓をはじめ、埋め込み式のヘッドライトも登場時からのものです。どうも、クハ79のこの番台区分が、101系の顔の始祖だったようですね。


こちらは、クモハ12です。

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昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて 折返しを待つ大川支線の主クモハ12

一番上の写真と同じときに撮影したものです。
当時はクモハ12の専用支線でしたので、もちろん武蔵白石が大川支線の基点だった頃です。1面2線の変則島式ホームは17m車1両が停車するのがやっと。このお陰で101系入線後もクモハ12が活躍できたわけですね。もしこの状況がなかったら、クモハ12は即刻解体されていたかもしれません。


次回は、モハ72系の残りと101系をお届けする予定です。
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2007/6/29  21:45

在りし日の103系(鶴見線)  その他電車
今日は、鶴見線の103系時代をお届けいたします。

205系による103系の淘汰が顕著になってきた頃、各線の103系を手当たり次第に撮ってきました。そのときの写真です。

撮影は、すべて平成14年5月5日です。
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国道駅にて
旧型時代も含めて、初めて下車しました。国道駅って、何か昭和30年代の映画に出てくる風景のセットのように感じました。写真は645のリバーサルダイレクトプリントですが、あの頃デジカメを持っていたら駅の写真をたくさん撮っていたことでしょう。

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浅野駅にて
鶴見方面から分岐への進入。複線同士の振分線は、奥羽本線の「赤岩」を思い出します。(周りの風景が違いすぎますけど・・・。)

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浅野駅にて
逆光でチョット厳しい写真になってしまいました。しかし、この芝浦支線のホーム、都会にあるまじきカーブですね。

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安善〜武蔵白石間にて
高圧線柱を兼ねたうっとしい風景。普通なら腹立たしいのですが、鶴見線らいいという風景でしょうか。


鶴見線は、103系が終焉まで残った路線ですが、低窓車のみ残留配置という、ある意味幸運な路線でした。すべてが3両編成運用のためクモハが必要なこと、上り下りで違うタイプの運転台に不都合があったこと、などが考えられると思います。

ブログを最近始めたものですから、懐かしい写真というよりは、ネタ遅れなだけの鶴見線103系になってしまいました。それでも、この写真を撮ってからすでに5年も経つんですね。

おって、101系や73系をお届けする予定です。お楽しみに!
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2007/6/28  1:08

東北本線 スカ色115系「もくせい」?  その他電車
今日も一風変わった臨時列車をお届けいたします。

昭和55年、いつもどおり線路脇で撮影をしていると、背後から電車の音が・・・。
東北線3複線区間の山側(西側)は貨物線で、この時代、臨時列車以外の旅客列車が貨物線を通ることはほとんどありません。ですから、立ち位置に一番近い貨物線に電車が走ってくると、非常に違和感を感じるのです。

背後から聞こえてきたスピードの遅い電車のモーター音に振り返ると、なんとスカ色の115系でした。同車は中央線専用みたいなもので、東北本線ではまず見掛けることのない車両でした。

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昭和55年10月頃 東北本線 西川口〜蕨間にて 115系「もくせい」?

通過中の同列車の中は、どうも幼稚園の団体のように見えます。車両も編成ごと全検上がりのようで、足回りまでピッカピカでした。珍しいので、後追いで写真を撮ってみました。「ん?何か書いてあったな・・・。」

現像から上がってきた写真を見てビックリ!・・・「もくせい」???
ひらがななので、何を意味する「もくせい」なんでしょう?木星のことですかね、やっぱり。でも、夜行列車ではないし、意図がわかりません。

当時は、やっと特急列車にイラストマークが付き始めた頃で、団体列車、しかも普通列車用の電車にヘッドマークを付けるなんて、房総地区ぐらいしか考えられないことでした。

ということで、東北線沿線で目撃した非常に珍しい団体列車をお届けいたしました。
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2007/6/27  22:33

ワサフ8800連結「北星」  ブルートレイン:機関車・客車
今朝アップした回送列車の写真で「ワサフ8800」について掲載いたしましたが、過去に1枚だけワサフ8800を連結した20系「北星」の写真がありますので、大変見苦しい写真ではあるのですが、敢えて投稿いたします。

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昭和50年夏頃 蕨〜西川口間にて EF58牽引「ワサフ8800」を連結した「北星」

写真は、ポケットカメラ、列車の引き足らず、絹目写真と悪条件の揃った画像で、大変見づらく、公開するような写真ではないのですが、これだけしかないため敢えて投稿させていただきました。小学6年生のときだと思いますので、腕前はご勘弁ください。これくらいが精一杯です。
この実車(列車)を見て、模型で再現したいと思ったくらいインパクトのあった列車でしたが、あっという間に連結されなくなってしまいました。何回か荷物列車に連結されているところを目撃したことがありますが、当時は情報もなく、準備して捉えるなど神業でありました。
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2007/6/27  6:45

EF5889牽引回送列車(ワサフ8800+12系)  EF58のアルバム
こんばんは。昨夜は準備をせずに寝てしまいましたので、今朝取り急ぎアップいたします。

今日ご覧いただくのは、ある日走った回送列車です。

当時、国鉄に勤務しており、局報を自由に見ることが出来たので、廃止間近の「EF58」を如何に多くキャッチできるかに掛けていました。
そのEF58運用の中に「ワサフ8800」型の文字を見つけたので、これは撮りに行くしかないと・・・。
「ワサフ8800」は、昭和50年3月の改正において急行からの格上げにより誕生した特急「北星」に連結された新聞輸送用の車両です。ワサフ8000に20系関連の引き通し管などを設備した車両で、ワサフ8000が銀色であるのに対し、「ワサフ8800」は全体が20系と同じブルーに塗装されているのが最大の特徴でした。特急専用として3両のみ製造された車両ですが、「北星」による新聞輸送はすぐに解除されてしまい、特急としての活躍は本当にわずかな期間でした。

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昭和60年3月26日 東北本線 東大宮〜蓮田間にて 回9101レ

急行スジを使った回送列車で、局報からの情報を基に撮影に行きました。牽引機は号機限定がない限り形式までしか分かりませんので、EF5889が牽引してきたのは偶然です。
次位の車両がワサフ8800です。先頭が青森方になりますので、通常は荷物車が上野方に連結されることを考えると、特殊な編成であることがわかります。

そして、その後に12系が連結されていますが、良くご覧ください。
ひょっとしたら全部「オハフ13」ではないですかね。普通の編成では考えられません。おそらく、一関〜青森方面の旧型客車を淘汰するための代替車を送り込むための回送ではないかと。

今日は、珍列車をご紹介いたしました。
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2007/6/26  21:20

在りし日の103系(武蔵野線):101系リンク有  その他電車
今日も引き続き、になってしまいますが、武蔵野線の103系をお届けいたします。

鶴見線や南武線、常磐線、京葉線、そして東西線から103系が今まさに消えてしまう状況にある頃、比較的本数が多く残っていたのが武蔵野線でした。
数が多いと安心して撮らないでいて、いつの間にかなくなってしまう、ということを過去何度も経験しておりますので、ここは敢えて写真を撮りに行くことにしました。比較的家から近くでもあるし、土地勘もありましたので、容易に実行できたと言うところでしょうか。

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平成14年5月12日 東浦和〜東川口間にて 高窓車「南船橋」行

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平成14年5月12日 東浦和〜東川口間にて 低窓車 むさしのドリーム号「東京」行

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平成14年5月12日 三郷〜南越谷間にて 高窓車「府中本町」行

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平成15年5月3日 西船橋駅にて 低窓車「南船橋」行

武蔵野線では、終盤まで低窓・高窓車が走っており、また、ご覧のような自然に囲まれた景色の中を行く103系を撮ることができました。
最後はオレンジ色だけの武蔵野線でしたが、103系化された頃には、オレンジに混じってカナリア・スカイブルー・エメラルドグリーンと多彩な色のまま走っていました。やはり、そうした経過の撮影・記録も大事なぁ〜としみじみ思います。

過去ログから101系武蔵野線のリンクを貼っておきます。
よろしければご覧くださいませ。
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/162.html
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2007/6/25  10:20

在りし日の103系(葛西臨海公園にて)  その他電車
今日は久しぶりに103系ネタをお届けしたいと思います。

題名をどうしようか考えていたのですが。というのも、京葉線の南船橋より東京寄りには、スカイブルーの京葉線と、当時はまだ大量に運用されていたオレンジの武蔵野線が混在していたからです。
ですので、今日は「葛西臨海公園駅」で撮影したときの両者をまとめてアップしたいと思います。

このとき、仕事(イベント)で葛西臨海公園まで参加者を引率し、解散の後まっすぐ帰るのも勿体無かったので、少し撮影をしてから帰ろうと、ホームで103系を待っていました。
東日本管内から103系の全面撤退が顕著になってきた頃でもあり、京葉線に走っているスカイブルーの103系を撮ったことがなかったので、これが1番の目的だったのですが・・・。



撮影は、すべて平成14年10月27日、京葉線葛西臨海公園駅にて。
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下り 武蔵野線 むさしのドリーム号

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上り 武蔵野線 むさしのドリーム号

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上り 武蔵野線 むさしのドリーム号 葛西臨海公園の観覧車と

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下り 京葉線普通列車

京葉線の103系はかなり運用がなくなっていたらしく、この1本しか撮ることができませんでした。

京浜東北線沿線に住む私としては、昔からオリジナルのスカイブルーの103系を見て育ってきましたので、あの異様なスカートを履いている姿に非常に違和感があるのですが、それでも京浜東北線が209系化されて久しかったので、懐かしさが一気にこみ上げてきました。
この写真を撮ってから既に4年半。まさか、103系を引退に追い遣った209系すら引退の危機にあるとは・・・。時代の流れと自分の歳を感じずにはいられません。
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2007/6/24  1:58

ローカルな風景 第21回 (筑波鉄道)  ローカルな風景
今日は、すご〜く久しぶりなのですが、ローカルな風景の第21回目として、筑波鉄道の風景をご覧いただきたいと思います。

以前にもお話させていただいておりますが、旧型国電の終焉とともに、興味の方向は年に1・2度のSL(当時は山口線)や身近ではEF58と、ローカル私鉄などには向いていなかったのですが、撮り鉄の悲しい性で、「廃止になる」とか言われるとあとで後悔したくないもんだから、最初で最後の撮影に行ってしまうんですね。

筑波鉄道もそんなローカル私鉄の一つで、運転免許をもっていなかったこともあり、交通不便な茨城県内の私鉄は敬遠していたと言えましょう。
そして、運転免許を取得して1年半、初めて茨城県方面に出撃することとなりました。

撮影は、すべて昭和62年3月22日 筑波〜常陸小田間にて。
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筑波鉄道のオリジナル車504。モヤに霞む筑波山を横目に、土浦へと道を急ぐ。

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元国鉄キハ30型のキハ301単行。

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筑波駅での交換風景。両方の列車とも廃止を惜別するヘッドマークを付けています。筑波駅は、国鉄からの直通列車が乗り入れていたため、ホームの有効長にかなり余裕があり、停留するための留置線も備えていたようです。

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キハ761。国鉄のキハ20型に類似した外観ですが、元雄別鉄道の車両ということです。

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2連のローカル列車が夕暮れ迫る彼方に向かってひた走る。
元国鉄キハ10型のキハ821。遠くから見ても一見してキハ10系と判る姿が非常にうれしかった記憶があります。その昔、キハ10系に何回か乗ったことがあるにも拘らず、当時あまり興味がなかったために、現役時代の写真を全くといって良いほど撮っていなかったからです。


冒頭に述べたとおり、最初で最後の筑波鉄道となってしまいました。生まれたのが少し早ければ、国鉄からの乗り入れ快速「筑波」や元キハ04も撮りたかったですね。
筑波鉄道の廃止は昭和62年3月31日、折りしも国鉄の最期の日でした。
私も1月の終わり頃には既に国鉄の退職が決まっており、受入れ先の研修を受けるなど退職・転職のための準備をしていた頃で、その1週間前に撮影に行っているなんて、それどころではなかった筈です。おそらく、どうしても筑波鉄道が撮影したかったと言うより、本意ではなく退職しなければならなかった自分の気持ちを紛らわせるため、何かをしていなければ耐えられなかったのかもしれません。
あれからもう20年ですか・・・。
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2007/6/23  14:48

お詫び(コメント拒否設定の解除について)  
いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。

先程何気なく自分のブログを覗いておりましたら、コメント欄が表示されていないことに気が付きました。おそらく、「ひばり」号の編成表(Excelシート)の貼り付けテストを実施した際、表に出さないために全て非表示設定し、6月17日以降の記事のコメント欄が自動的に「非表示」のままになってしまったようです。

この約1週間にコメントをしたかった方がいらっしゃったかもしれません。大変申し訳ございませんでした。

過去記事に対するコメントも大歓迎いたしますので、ご遠慮なく、気軽にコメントをいただきたいと思います。当方へは、コメント送信の際にメールが届くことになっておりますので、古い記事でも確認がちゃんと取れることになっております。古い記事でも安心してご投稿ください。

お詫び申し上げますとともに、今後もよろしくお願いいたします。
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