鉄道コム

2008/2/29  2:05

103系「京浜東北線」:こんな字幕もあったんだ?!  その他電車
今日は邪道系のネタです。

行先表示と言えば、字幕式や電照式、最近ではやたら明るい発光ダイオードが出てきました。
デジタル表示のものは、必要なものを瞬時に設定できますので、切替えに時間も掛かりませんし、異動や新規・変更の際に新しい幕を用意する必要が無いなどの利点があり、コスト面から見ても主流になりつつあります。

でも昔は、終点や基点の駅でいわゆる「方向幕」を回転させたときに、普段は見られないようなヘッドマークや行先が出ることがありますので、デジタル式には無い楽しみがありました。

今日ご紹介いたしますのは、今は無き京浜東北線の103系で『え!こんなのがあんの?』みたいなのが出てきましたので、ご覧いただきたいただきたいと思います。

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まずは、スカイブルーの「赤羽線」です。首都圏にお住まいでない方にはピンと来ないかもしれません。
赤羽〜池袋間の線路を指し、現在は埼京線としてスルー運転されておりますが、この区間の正式名称は「赤羽線」であります。もう少し時代を遡ると、この区間は「山手線」でした。
赤羽線は比較的遅くまで101系が運転されており、赤羽駅で新幹線の工事が始まる頃、一気に103系に置換えになりました。山手線のカナリヤ色101系を使用していた由来から、103系導入時においてもカナリヤ色を使用していましたが、車両が足りないためでしょうか、当初はウグイス色編成や先頭車のみウグイス色といった編成が使用されていました。しかし、スカイブルーの「赤羽線」が運転されたという話は聞いたことがありません。
赤羽線の混色編成に関する資料は、過去ログをご参照下さい。
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/111.html


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さて、こちらは「根岸線」の表示です。
京浜東北線に乗っていると、大船行きなどは特に「根岸線廻りの大船行きです。」という車内放送を聴くことが多いと思います。
ご存知のとおり、「京浜東北線」という路線は昔から存在しません。大宮〜東京は東北本線、東京〜横浜(昔は桜木町)は東海道本線、横浜〜磯子経由〜大船を「根岸線」と言います。
もし、行先表示をしないで横浜〜大船を往復する電車があれば、この「根岸線」という表示をする可能性もあったのでしょうが、基本的に横浜始発の京浜東北線というのは聞いたことがありません。とすれば、やはり行先表示をするのが常となるでしょうから、結局は出番がなかったのではないかと思います。

この写真は、赤羽駅折り返しの電車を見ていたときに回転させていたもので、面白くて撮っておいたものです。これを目撃したのが大人になってからでは、おそらく写真にまで撮らなかったと思います。
209系を含めて字幕式が淘汰されまくりの時代。このようなハプニングを楽しめる期間も、もう僅かかもしれませんね。
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2008/2/28  20:12

国鉄型直流電機:EF10(line様からのリンク)  国鉄・JR機関車(直流型)
昨日アップしたEF10の記事に関連して、Fe4メンバーのlineさんから「EF1036」の記事をアップしていただきました。
貴重な写真ですので、このリンクから是非覗いてみて下さい。

http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/157.html
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2008/2/28  1:40

国鉄157系お召編成:クロ157  特急型電車(直流)
今日は、157系お召編成の写真をご紹介いたします。

昭和51年に定期運用が外れてしまった157系。引退が早かっただけに、私的には殆ど記録が残っていませんが、お召電車クロ157を含む編成(クモハ157−1+モハ156−1+クロ157−1+モハ156−2+クモハ157−2)はその後も暫く生き長らえたため、写真を撮る機会がありました。
しかし、年齢も若いときのため、絵的には良いものではありませんが、まあこれしかありませんのでご覧いただきたいと思います。

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以上3枚とも 昭和52年 東北本線 蕨〜西川口間にて

那須の御用邸に陛下(昭和天皇)を送った帰りの回送列車です。お召列車ですから、もちろん新車のようにピカピカです。
クロ157は4枚折り戸が特徴で、当時は他に類を見ない、一般人には憧れのドアです。
形式上は急行形ですが、塗装や当時の用途からすれば特急用と言って良いでしょう。そういう意味では、東海顔低窓の特急車というのも唯一のスタイルとなります。


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以上2枚とも 和53年 東北本線 蕨〜西川口間にて

こちらは翌年の撮影となりますが、どうも中に人が乗っていて陛下もご乗車されているような気がします。何故かといいますと、回送の際にはクロ157の横っ腹についている菊の御紋を外すのですが、このクロ157にはしっかり付いています。ただ、殆ど記憶に無いのですが、このときに警備が沢山いたような気がしないのです。その証拠に、子供達が線路に相当近寄って遊んでいますので、当時のお召警備だと完全に排除されますから、状況的に不自然なんですね。

もう当時の記憶もありませんから、どうでも良い話ではあります。

しかし、ヘッドマークの付いた157系は大変良いスタイルをしていると思うのですが、ヘッドマークを外してしまうと何でこんなおマヌケな顔になってしまうんでしょうね。これは鉄道車両のデザインの中でも七不思議にランクインするのではないでしょうか。
鉄道ファン誌で見たことがありますが、かつては「白根」のヘッドマークを付けたままお召列車が運転されたこともあるようです。

これから間もなく、牽引車が183系となり、さらに185系に代わった際には、クロ157は塗装まで変えられてしまいました。その後のクロ157を撮影した記憶はどうもありません。

157系お召につきましては、Fe4のメンバーでありますシービーさんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%A3%B1%A3%B5%A3%B7%B7%CF&sk=0 でも紹介されていますので、是非ご覧になってみてください。
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2008/2/27  6:50

国鉄型直流電機:EF10(13・30号機)  国鉄・JR機関車(直流型)
昨夜はスキャニング途中にダイヤ改正までの撮影予定をたてようなんて思っていたら、いつの間にか寝てしまいました。気が付いたら5時過ぎ。風呂にに入ってやっと覚醒してきました。

さて、今日も直流電機ネタになってしまうのですが、数少ない旧型電機の写真の中から、これまた数の少ないEF10をご紹介したいと思います。

大正時代までは、国内の電気機関車は基本的に輸入機を使用していましたが、大型旅客機であるEF52から国産を手掛け、昭和1ケタの時代、技術の確信とともにEF53やED16、そしてF形貨物機のEF10と量産が行われました。

当時はまだ量産といっても手作り的製造となりますので、現代のように何百両とまとまって製造することはできませんから、同じ形式でも何年かに亘って生産されるため、同じ形式でも形がかなり違うケースがあります。

EF10は、1次形がEF53と同じリベットのあるヒサシ付きの古いスタイル、2次形はEF56前期と同様半流線形の丸形、3次形〜がEF56後期のRのあるやや角ばった箱形となり、旧型電機EF15までの標準的なスタイルが確立しています。

また、台車は当時一般的な足回りを採用しているほかに、鋳鋼製の変わったスタイルの台車を履いているものも存在します。時期はズレますが、EF58の先台車にも同じ現象がありました。


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昭和51年7月4日 立川機関区にて 一次形 EF1013

ED16の写真を初めて撮りに行ったとき、立川機関区で休んでいたものです。
ホームと留置箇所が余りにも接近しすぎて、全体像を撮ることができませんでした。
ED16とともに、EF53の車体の面影を残す、貴重な形態でした。


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昭和51年頃 東北本線 蕨〜西川口間にて EF1030

号数は不鮮明なのですが、拡大してみると32号機のようでした。←に見えたのですが、金太郎さんのご指摘により、30号機のようです。ので、訂正させていただきました。
EF56の後期形と同じ形状の車体をもつ、一般的なスタイルです。
この車両は鋳鋼製台車を履いており、足回りから独特な雰囲気を醸し出します。

世の中の写真代がやっと安くなってきたのがちょうど昭和51年頃で、それまで写真の枚数があまり撮れなかったことや、茶色い貨物機に興味がまだ行っていなかったので、結果的にEF10の写真は殆ど残っていません。
2枚目の30号機を捉えた時点ではEF10の写真を狙っていましたが、EF12と合わせて既に殆どが首都圏から消えてしまっていた頃で、EF13や15の天下となっておりました。

子供の頃の写真なので、残す記録というものに限界がありますが、あと2年でも違っていれば、もう少し良い形で記録が残せたのではないかと思うと非常に残念です。
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2008/2/26  1:25

さようなら!EF651001「北海ライナー」を牽く雄姿   国鉄・JR機関車(直流型)
私の年代で、北関東在住の鉄からすると、EF65と言われて真っ先に思いつくのは、貨物機でも東海道の花形のブルトレ牽引機でもなく1000番代、いわゆるPF型ではないかと思います。

確かに、東海道本線でヘッドマークを付けて華々しく駆けて行く500番代も魅力ですが、当時のEF57や58に比べて、特急「あけぼの」や「つばさ51号」に優先的に充てられる”特急牽引機”という花形スターは憧れでした。
旧型旅客機のように電機暖房装置(EG)を持たないため、貨物か20系・14系といった特急車両にのみ運用されることから、茶色い客車を牽く機関車よりも圧倒的な”格好良さ”がありました。

そして、さらにその”格好良さ”に輪を掛けたのが、コキ10000形コンテナを20両も引き連れて疾走する札幌行き「北海ライナー」でした。

50両を超える初期PF型でも、運次第でしかあたることの無かった1001号機は憧れ中の憧れであったに他なりません。

宇都宮運転所の英雄として在籍していた1001号機。貨物合理化、国鉄分割民営化の余波を受け、関東から一時期は遠ざかってしまいましたが、いつの間にか舞い戻っていたんですね。しかし、その1001号機もとうとう引退のプレスがされたそうな。残念ですが時代の流れとしか言えません。

東北本線で「あけぼの」牽引と並んで花形運用だった「北海ライナー」を引くシーンをたった2枚ですが押えてありました。
「さようなら」の言葉の代わりに、その功績を称え、ここにその雄姿アップいたします。


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2枚とも 昭和52年頃 東北本線 西川口〜蕨間にて
「北海ライナー」を牽引するEF65 1001号機
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2008/2/25  1:35

165系 変りダネ車両:サハ164  その他電車
この週末は風に悩まされた2日間でした。
気合を入れていた「夢空間」も運休になってしまい、欲求不満となった週末。そしてまた1週間仕事ですか・・・。今度の週末の「夢空間」を目指して、仕方なく頑張ることとしますか。

昨日は非常に沢山のアクセス&ぽちををいただきありがとうございました。
1日のアクセス数としては最高記録でした。これを励みに、古い写真をBanBanスキャニングして、懐かしい写真をご覧いただけるように頑張りたいと思います。
※ただし、古い写真ほど映りや構図が悪くなりますんでご勘弁を!

さて、せっかく沢山のアクセスをいただいたのに、一気にテンションを下げてしまうような地味ネタなのですが、既に全滅して久しい165系の中で、その生産量数の少なさと限られた使用線区から非常に地味な存在でありましたサハ164の数少ない画像をご覧いただきたいと思います。

サハ164は、昭和41年に中央東線急行「アルプス」等の増発に対応するため、ビュフェ車サハシ165に代わる車両として2両のみが誕生いたしました。
形態的には中間付随車のサハ165に似ていますが、車端に売店を設置し、さらに荷捌き用の扉を設置しているため、165系群の中では唯一の3ドア車となっているのが特徴です。
中央東線の急行列車で活躍しましたが、最後までビュフェを営業していた中央東線では列車の統一性を欠くことなどから、新潟区のサハシ165と交換のため転出となり「佐渡」「よねやま」などに使用され、さらにサハシ165の運用離脱とともに活躍の場を失うと大垣区へ移動し、東海道本線の「東海」や間合いの普通列車としても利用されました。

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昭和52年頃 東北本線 蕨〜西川口間にて 急行「よねやま」に運用されるサハ164−2

上野〜直江津間を上越線経由で結ぶ急行「よねやま」は、上野〜新潟間の急行「佐渡」と共通運用でした。サハ164はサハシ165と共通運用で、当時は13両編成の6号車に連結されていました。
画像が荒れて見づらいですが、客窓を挟んで1対になっている扉が客用で、一番左端にある600mmの扉が荷捌き用のものとなります。
遠くから見るとパッと見サハと区別が付き難いのですが、何とも個性的な窓ドア配置となっています。


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昭和54年3月 東京駅にて 普通列車に連結されたサハ164−2

偶然にも同じ−2でした。記憶は定かではありませんが、大垣区の153系が撤退を始めた頃、165系で不足するサハを補うために連結し、東京へ姿を見せるようになったものと思われます。
急行「東海」にも使用されましたが、間合いで運転される静岡行きの普通列車などにもそのまま運用されていたようです。


たった2両のためあまり遭うことができず、写真はどうもコレだけしか見つからないようです。
売店という画期的なアイディアだったにも拘わらず、その構想が少し早過ぎたために時代の波に乗れず、風潮が着いて来た頃には急行列車は衰退してしまいました。さらには、売店を設置したための定員減も災いし、結局は本来の用途の使用もされないまま地味で流転の一生を送り、昭和58年1月12日付で廃車、その一生を終えています。
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2008/2/24  1:05

キハ58系800番代:修学旅行色(こっちが本物じゃ!)  気動車(急行・その他)
別に怒っているわけでも威張っているわけでもありません。ただ言ってみただけ・・・。

JR東日本仙台市支社で、「南三陸」に使っていたキハ58系を何と修学旅行色にしてしまった。もう直ぐ全廃となってしまうキハ58系への最後のはなむけとしてでしょうが、なかなか粋なことをしてくれるな、と感心しちゃいました。

だけど、実物を知っているオジサンからすると、全く不満が無いわけではありません。
車内のアコモは、乗る人の立場を考えればリクライニングくらいなっていても良しとしましょう。ただ、外見で言わせて貰えば、電動サボは要りませんよ。それと、クーラーもあっちゃいけません。修学旅行列車に乗る生徒は、暑いのくらい我慢できなきゃいけないんです。私が「そうしろ!」というのではなく、昭和50年代半ばくらいまではそういうコンセプトだったんです。

じゃ、どんなんだったんだよ!・・・

こんなんだったんです。

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昭和52年頃 東北本線 撮影場所不詳 キハ58800番代 急行列車

多分、宇都宮にEF57を撮りに行ったとき、途中駅での急行退避の際に追い越してくるディーゼル急行を115系の窓からカメラを出して撮影したものです。
駅の雰囲気からすると、白岡とか久喜みたいな感じなんですけどね。列車も今となっては「いいで」「ざおう」だったのか「おが1号」だったのか、全くもって覚えていません。


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昭和52年頃 東北本線 古河〜栗橋間にて キハ28800番代 急行列車

こちらの列車は、コマの前後から判断して下り「いいで」「ざおう」のようです。2両目に800番代が連結されていますが、こちらはキハ28のようですね。
当時使っていた中古キャノンFTbはシャッター幕の走行ムラを良く起し、出来上がった写真を見て泣かされたことが何度もありました。
グリーン車以外は全部非冷房車。同じ時代でも455系急行は全車冷房車でしたから、同じ料金払うのはシャクでしたね。


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昭和52年1月 東北本線 大宮駅にて キハ28800番代を先頭にした急行「おが」(再掲)

こちらは過去ログでご紹介したことのある、秋田行き急行「おが1号」の先頭に連結された800番代車。
昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したのに、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていました。
右側は大宮操車場の北部入換えヤード。今では新幹線のホームがそびえたち、全く面影がなくなってしまいました。


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昭和52年頃 東北本線 西川口〜蕨間にて キハ58800を先頭にした修学旅行列車 

こちらは今までプリントしたことが無かったため、ネガを見たときからずっと急行列車と思っていたのですが、今回スキャニングしてみたら横サボが号車表記以外一切ありません。乗っている乗客をみると、どうも高校生のようですね。おそらく修学旅行の団体貸切列車でしょう。
ただ、登場時の修学旅行列車とは違い一般車と混用されており、キレイな編成ではありません。それでも、先頭に出た800番代を捉えることができたのは、当時としても非常に幸運だったと思います。


800番代は他車と共通運用であるため、構えているときに来てくれるとは限らない神出鬼没な車両。中間には良く入っており、場合によっては2両隣同士なんていうのも見たことがありましたが、当時はいつでも直ぐ写真を撮れるような便利でも安い時代でもなかったんです。今だったら、間違いなくもっとチャンスを掴めていたでしょうね。

復活したキハ58系修学旅行色も、せっかくお化粧直しをして貰ったのですから、故障せずに最後まで頑張ってもらいたいものですね。
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2008/2/23  16:05

「夢空間」どころじゃない!  写真無しの情報など
さっき「夢空間」のオクシナ回を撮りに行ったのですが、どうも様子がおかしい。
10分経っても何も通らない。京浜線も東北・高崎線も、湘南新宿ラインも・・・。
20分・・・30分・・・40分・・・何も通らない。

仕方なく帰ってきて運行情報を調べたら、15時前から首都圏の半分くらいの鉄道が運転見合わせになっていた。殊に、我が地元の線路は壊滅状態orz。

先程京浜東北線が動き出したようだが、北陸方面以外の夜行列車は全面運休ですと。
したらば、東北方面の夜行団体として運行予定の「夢空間」はどうなってしまうのだろうか・・・。団体客はどうする?

17時過ぎくらいにもう1回様子を見に行ってこようか・・・無駄かな・・・。
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2008/2/23  13:40

今日の「夢空間」は大丈夫か?  写真無しの情報など
この頃、花粉症が余りにも酷いので、堪り兼ねて耳鼻科に行ってきました。
薬局に寄った帰り道、ひょんなことから手に入れたコンパクトデジカメの試運転をすべく、蕨駅近くの跨線橋から209系を狙ってみた・・・最悪の結果だった。使えない。
先頭にあわせてシャッターを切ったはずなのに、写っていたのは2両目の真ん中辺り。安いデジカメはこんなにも酷いものとは・・・。絶句した。駅撮りで停車中の列車を撮るくらいしか使えないや・・・。1万円弱、高い買い物してしまったorz。

ところで、DJによると今日のオクシナ回送で「夢空間」が運転されることになっている。
天気予報では、午後から東日本も大荒れの天気になるという。でも、お昼前に耳鼻科に行ったときはなんでもなかったのだが、デジカメの試運転がてらの帰り道、わずか30分の間に天気が急変。ダウンバーストのような突風と真っ黒な雲。

おまけに、今なんか音がすると思って外に出たら、なんと雨まで降ってきた。

「夢空間」通過まであと2〜3時間。撮影する機会が限られているだけに、せめて雨風だけは勘弁して欲しいな。
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2008/2/23  1:35

ロイヤルエンジンEF5861・・・ついに引退ですか・・・  EF58のアルバム
今月号のレールマガジンを見ていたら、JR東日本の中の人が執筆した3月15日ダイヤ改正の記事が載っていたのですが、一般広報的な内容ではなく、かなり鉄道ファン向けの内容が書かれていました。
その中に、今度の改正で引退する機関車が個別に挙げられており、さらに別出しでEF5861お召機の引退について触れられていました。

以前からウワサはされておりましたが、今回は中の人からの正式なコメントとして取り上げられていますので、引退が決定的になりました。E655系が完成したことにより、客車お召の運転の可能性がなくなるということらしいです。

中学生のとき上野駅で初めて見たときから憧れだったロイヤルエンジンEF5861。
その活躍も、ついに秒読みという段階に入ってしまいました。

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昭和60年11月4日 高崎線 岡部〜深谷間にて サロンエクスプレス東京を牽く61号機


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昭和61年2月12日 東北本線 栗橋〜東鷲宮間にて 同じくサロンエクスプレス東京を牽く61号機

全国のEF58が総じて引退したあと、保存的に残されたEF58はイベント列車や注目の臨時列車などに登板し、私たちファンを楽しませてくれました。
あわせて、手を取り合うようにしてベストパートナーを組んでいた元サロンエクスプレス東京の「ゆとり」も同じくして引退。これも何かの因果でしょうか。

一般機が引退してから既に25年以上。61号機も良くここまで頑張ったと思います。
本当にお疲れ様でした。

最後にチョット気になるコメントが書いてありました。
「解体・保存は今のところ未定です・・・。」
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