鉄道コム

2008/2/22  8:05

東武鉄道8000系:秩父直通特急「ちちぶ」  列車・車輌カタログ(私鉄)
今日は久し振りの東武鉄道の写真をアップいたします。

既に東武鉄道の写真は全てアップしたと思っていたのですが、カラーネガからスキャニングによって蘇ってきた1枚の写真があります。

たまたま今月号の鉄道ファン誌に記事が載っていたので、タイムリーにご報告できることになりました、東武東上線から秩父鉄道に直通で乗り入れていた特急「ちちぶ」号です。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年7月31日 撮影場所不明 東武8000系 特急「ちちぶ」

東武東上線から秩父鉄道への直通乗り入れ列車は、西武鉄道からの同様の例として定番だと思っていたのですが、記事によると東武からの乗り入れは平成4年3月に廃止されてしまったらしいですね。

写真は、中学生になったばかりの頃、電車で長瀞辺りに行ったとき、長瀞もしくは途中の交換駅で撮影したものと思われます。

鉄道ファン誌の写真はきれいに写っており、晩年のヘッドマークも大変見易い中ぶりのきれなものが装着されていますが、この写真では列車種別ホルダ(急行とか準急とかの札を入れるホルダ)をそのまま利用した非常に小さいヘッドマークであり、目を細めないと何が書いてあるかも判らないくらいです。

8000系の2代目塗装として誕生した頃のセイジクリームと相まって、観光が栄えた古き良き時代の1コマでした。
3

2008/2/21  1:15

DD51牽引貨物列車:昭和の北海道冬篇その2  国鉄・JR機関車(ディーゼル)
今日は、先般アップいたしました北海道のDD51牽引貨物列車の続編をお届けいたします。
枚数はありませんので恐縮ですが、冬の北海道の雰囲気をお楽しみ下さい。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和63年2月24日 函館本線 石倉〜野田生間にて DD51牽引コンテナ貨物

クリックすると元のサイズで表示します
昭和63年2月24日 函館本線 石倉〜野田生間にて DD51牽引ワム貨物列車

有名撮影地である函館本線の石倉〜野田生間で撮影した写真です。
コントラストが強烈で、スキャニングの表現が良くありませんがご勘弁を。
番号は判る形式写真も良いですが、やはり北海道に行ったら、雄大・壮大な写真が撮りたくなります。今では、DD51は更新車ばかりになってしまいました。古い写真を見ながら、オリジナル塗装のDD51に思いを馳せてみては如何でしょうか・・・。

0

2008/2/20  1:20

貨物で回送した時代 (旧型客車:キハ28)  気動車(急行・その他)
ここで何度かご紹介していますとおり、只今、夜な夜なフィルムからのスキャニング作業を行っております。
フィルムスキャナをいただいてから、スキャニングしたコマ数は350枚を超えました。
職業よりも時間を掛けていそうです(苦笑)。

しかし、良くもまあ撮っていたこと・・・写りが良くなくてプリントしていなかったり、アルバムにさえ入れてもらえなかった列車たちが、トリミングとカラー補正という再生手段によって次々と息を吹き返しております。

そんな中でも、「そういえばこんなの撮ったっけなぁ」という珍しい写真がわんさか出てきます。

当時はいいカメラを使っていなかったので、ブレたり露出が合っていなかったりで見苦しいものですが、なかなか面白い写真だと思いますのでご覧下さい。

まずはこの写真です。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年頃 東北本線 西川口〜蕨間にて EF15の次位に連結された旧型客車

パッと見るとマルで混合列車の様。牽引機は、特徴のあるヒサシ形状からして東京区のEF1530に間違いないでしょう。
次位に連結されているのはスハ43かオハ46、その次はマニ60ではないかと思われます。貨物列車ですのでその後には黒色の2軸貨車が連なっています。
首都圏では、客車の全検等の整備を大宮工場が受け持っており、私が大宮操車場で入換を行っていたときも、稀に隅田川辺りから貨物に連結されてきた荷物車を見ることがありました。
チョット気になるのは、荷物車は荷物駅のある場所から貨物で回送されるケースは良くありますが、旅客車の場合は、客車区から回送客車列車として運転されるのが普通ですので、この写真の場合は工場入場ではなく、他区への転属回送の方が濃厚に感じられます。
さらに、通常このような回送の場合、機関車+貨車+本務車掌車+回送客車+車掌車と組成されますので、機関車の次位に控車なしで連結されているのは珍しく、まさしく「珍編成」と言える貨物列車です。


次はこれです。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年頃 東北本線 西川口〜蕨間にて 編成後部に連結回送されるキハ28

こちらは、貨物列車の後部に連結されたキハ28。前述のセオリーの位置に連結されていますが、最後部に本務緩急車が連結され、控車掌車がありません。
複数の気動車を1度に回送するときは、回送客車列車として機関車が牽引するのですが、稀に1両程度ですと、このような光景を見ることができました。
貨車に乗っていた私としては、最後部のワフ22000もヨダレが落ちそうなくらいレアな貨車(ちなみに、現役時代は乗ったことが無い)ですし、写真では判りづらいですが、キハ28の一番手前のドア部分だけが800番代の修学旅行色に見えるのが非常に興味深いです。一体、何があったのだろうか・・・と考えてしまうような写真です。

このほかにも写真は撮れませんでしたが、貨物の後部連結でウグイス色103系のモハユニットを回送しているシーンを目撃したこともあります。

現在のJRでは、列車の固定化が進んでしまったので、このようにハンパモノを貨物列車に連結して回送する手段なんていうこと自体がなくなってしまいました。

昔は事前に何の情報も入りませんでしたので、偶然にもその場所で張っていた者だけが撮ることができる特権でもありましたし、努力が実を結ぶこともあったのです。
0

2008/2/19  1:15

国鉄 711系 オリジナル塗装  その他電車
今までアップしたことが無いと思うのですが、北海道初の電車として登場した711系交流型電車をご紹介したいと思います。

まだ711系は現役として活躍していると思いますが、今日ご紹介いたしますのは、国鉄色オリジナル塗装の時代の写真です。

初めて写真でみたときは、交直両用型のローズピンクとはまた一線を画す濃い赤色(交流色)で、当時このスタイルではまだ珍しかった小さく鋭い目のシールドビーム。そして、デザイン案の検討とかなされたのか疑問を持ってしまうような大雑把な全面警戒色と、どれをとっても厳つい不気味な電車に見えました。
当時地元で見慣れていた115系や165・455系の目の大きいお茶目な顔とは違った異質の車両に見えました。

写真は、初めて及び2回目の渡道の際に撮影したものです。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和55年3月14日 函館本線 銭函〜張碓間にて 711系 普通列車


クリックすると元のサイズで表示します
昭和55年3月 札幌駅にて  711系 急行「かむい」


クリックすると元のサイズで表示します
昭和56年3月11日 函館本線 白石〜厚別間にて 711系100番代 普通列車

711系には0番代、50番代、100番代があり、詳細は覚えていませんが、外観上では100番代以降が電動サボを装備しているので、側面から容易に区別することができます。また、50番代までが両栓構造(前向きにも後向きにも自在に連結できる)であるのに対し、クハ711−100番代は向きが固定され、反対向きのクハ711は200番代として区別されるようになっています。

車両構造が、極寒地の気候を考慮した内地で言うところの急行形と同じスタイルであるため、普通列車を基本としながらも急行列車にも多用され、「かむい」を初め、札幌〜旭川間をノンストップで結んだ「さちかぜ」でも活躍しました。

何時の頃からか、京成電鉄にも似たファイアーレッドの塗装に変更され、通勤対応試作としてクハ711を3扉に改造したものも誕生しています。
当初は不気味な感じのした711系ですが、こうしてみると、やはり誕生したときのデザインというのは吟味されていたんだろうな、と思えるほど交流色が板に付いている感じがします。

初の交流専用型電車、極寒地対策車としてその地位を確立し、初の交流特急形781系の礎ともなった711系ですが、老朽化と新性能車によるスピード運転格差が災いし、残すところ最終量産車の100番代のみとなってしまったようです。

極寒地で戦ってきた彼らですから、相当ガタが来ていると思われますが、最後のそのときまで力いっぱい走って欲しいと願います。
1

2008/2/18  2:25

さようならの風景:昭和57年11月 「ひばり」よ!永遠に・・・  特急型電車(交直流・交流)
57・11ダイヤ改正の前日における在来線特急「とき」、寝台特急「北星」、そして昨日は房総急行の様子をお伝えして参りました。
しかし、この57・11で一番に湧いたのは、「とき」と並んで「ひばり」であったに違いません。「とき」が翌日から新幹線の愛称として引き続き使用されるのに対し、東北新幹線では「やまびこ」「あおば」という名称で同年6月から既に開業しており、「ひばり」も候補にはあったものの、結局使われることはありませんでした。

一昨日アップいたしました「とき」も、ホームの状況を見ていただいて「ハンパじゃない!」と思われたのではないかと思うのですが、「ひばり」の最終はもっと「ハンパ」ではありませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
2枚とも 昭和57年11月14日 上野駅にて 最終「ひばり」

写真が小さいので判りづらいかも知れませんが、「山手線が通勤ラッシュ帯に運転が見合わせとなり、階段規制をしなければ危険である」と表現できるぐらいの人出です。
特に、最終では車体に装飾がされた関係もあり、順次発車していった「ひばり」よりもファンが集まるのも当然といえるでしょう。

私的にも、母親の実家が福島県であるため、「ひばり」は昔から縁のある特急でした。
その「ひばり」が無くなる日が来るなんて夢にも思わなかったのですが、新幹線博多開業の時に失った「つばめ」「はと」も然り、やはり歴史は繰り返すものだと、寂しさを隠せませんでした。
その後、何度かは「臨時」やリバイバルとして運転されましたが、クハ481ボンネット型が営業線から撤退した現在では、真の「ひばり」の復活は、もう二度と有り得ない・・・そう思っています。時代の流れは厳しいですね。


57・11ダイヤ改正前日の状況を3回に亘ってお送りいたしましたが、飽きが来てしまうと思われますのでこの辺で終わらせていただきます。
また列車ごとのご紹介などできっかけがありましたら個別に記事にさせていただこうと思います。

最後に、さよならではありませんが、翌日からアクセス専用特急となり、上野駅には姿を見せなくなってしまう「はつかり」の画像がありました。車両やマークが無くなる訳ではないので、「上野行き」のサボだけ撮影しておきました。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 上野駅にて 583系「はつかり」 最後の上野行きサボ
1

2008/2/17  2:22

さようならの風景:昭和57年11月 急行全廃の両国駅  その他電車
昨日は、57・11ダイヤ改正の前日における在来線特急「とき」と、ついでに写っていた寝台特急「北星」の様子をお伝えいたしました。
かなり興味を示されたのでしょうか、非常に沢山のアクセスをいただきました。

さて、改正前日である11月14日は夜遅くまで上野駅に張り付いていたわけですが、首都圏でもう1箇所、大きな転機を迎えた場所に行っておりました。
それは、総武本線の急行列車の基点となっていた両国駅です。

東北・上越新幹線の開業とは何の縁もない房総各線ですが、上越新幹線の在来特急「とき」の廃止により大量の183系1000番代が余剰となるため、その車両の行く先となるべく長野区・幕張区への転属によって、急行列車が全廃されることになったわけです。

一昨日の「しおさい」「あやめ」の記事におけるコメントのやり取りでも論議がありましたが、元々乗車率の良くない房総各線の急行列車ですから、タダでさえひっそりとしている両国駅は、上野駅に比べると明らかにファンの数は少なく、さびしい風景でありました。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 165系急行列車

最終日だというのにヘッドマークすら無く、列車名すら記憶がありません。
末期の頃はサボ類の盗難があったらしく、ヘッドマークが付いていない急行列車を良く見かけました。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系1500番代を使用した急行列車

翌日は特急運用を控えているためでしょうか、前日からの送り込みとなる列車は特急用の183系を使用して運転されたようです。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系 鹿島神宮行き横サボ

上の写真の列車のものか定かではないのですが、「鹿島神宮」行きとなっていますので、急行「鹿島」でしょうか?特急「あやめ」のサボは設定されている筈ですが、急行用は用意されていませんので、普通列車用の行先を掲出するという皮肉な措置となってしまいました。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 165系急行と183系急行の並び

深夜と言うほどでもないのに、夜道なみに暗いホーム。急行列車の最後にふさわしい侘びしい風景です。それでも、おそらく普段の数十倍の人たちが集まったと思います。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系 さようなら急行列車の貼紙

ヘッドマークもなく、セレモニーも無い、上野駅の賑わいとは全く異なる両国駅、房総最後の急行列車。せめてもはなむけか、「さようなら急行列車」と書かれた紙がドアに貼られていました。千葉局が用意したものか、ファンが貼ったものなのか、定かではありません。

この日を最後に、153系・165系により運転されていた房総急行は姿を消し、翌日からはその急行の分を特急列車に置換え、房総各線の特急の本数がさらに増えることになります。でも、その増発については、ファンや利用者の間からも疑問の声があったのではないでしょうか。
0

2008/2/16  1:30

さようならの風景:昭和57年11月 181系・183系「とき」  特急型電車(直流)
3月15日のダイヤ改正まであと1ヶ月となりました。

ダイヤ改正といえば、新幹線の新たな開業、新型車両によるスピードアップ、列車接続の改善、増発など、鉄道輸送の未来を見据えた契機であり、利用者にとってはサービスアップの絶好の機会となります。

しかし、これを鉄道ファンの目から見た場合、期待される新型車両が導入される一方で、老朽化した車両・馴染み深い車両が引退し、役目を終えた列車がこの日を境に忽然と消えてしまう、真に寂しい瞬間であります。

私も鉄人生の中で、幾度と無く大きなダイヤ改正を経験し、去り行く列車・車両たちを見送ってきました。とりわけ、「50・3新幹線博多開業」「57・11上越新幹線大宮暫定開業」は、最も印象に残る改正であったと思います。

今回、プリントしていないネガからのスキャニング作業をしていた際、昭和57年11月14日に撮影したものが出て参りました。
いくつかのカテゴリに分かれてしまうのでブツ切りのご紹介となってしまいますが、皆様にもご覧いただければと思いアップいたします。

今日は、その記録の中から、57・11ダイヤ改正直前の在来線特急「とき」に関連する写真をご紹介したいと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」最終日

在来線「とき」としては最終列車ではありませんので、特にハデな飾りつけなどはされていなかったようです。
しかし、日中のみ3往復運転されていた181系「とき」にとっては、この列車が上野駅に来る最後の日となります。もちろん、ファンはそれを知っていますので、ホームには溢れんばかりの人だかりができています。
181系「とき」の廃止は、同時に181系という歴史ある車両の事実上の消滅を意味するものでありました。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」の横サボ(行先札)

特急型としては、キハ80系とこの181系までがホーロー製のサボを使用していました。特急列車は車体色にデザインを合わせたのでしょうか、車体帯と同じような発色の色を使った文字で描かれています。
その後誕生した特急車両は、電動方向幕が採用されており、交換作業の合理化が図られました。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「北星」と並ぶ183系「とき」

上野駅高架ホームに到着した183系1000番代の「とき」。この列車が上り最終だったかどうかまでは覚えていません。
また、その横には、これまたこの日が最終となる寝台特急「北星」が停車しています。
東北の玄関口として長年親しまれた上野駅から、この日を境にして数々の特急列車が消えてしまうこととなります。

僚友たちがお互いに最後の雄姿を飾り、そして暗闇に消えていきました。

翌日からは、「とき」は上越新幹線の特急列車名となり、新たな一歩を踏み出すのでした。
0

2008/2/15  1:18

183系「しおさい」「あやめ」  特急型電車(直流)
最近は毎日の様にフィルムからスキャニングを起していて、かなり寝不足な日が続いております。なかなか中途半端にしかネタが揃わないので、アップする記事についても苦悩の日々といった感じです。

さて、今後ネタがカブってしまうのか不安なところもあるのですが、久し振りに房総特急です。
今日のネタは、183系特急「しおさい」と「あやめ」です。

房総特急では、3番目4番目として誕生した、当時では珍しい短距離特急です。
東京地下駅が開業以来、房総方面各線には快速列車が運転されており、急行ですら乗車率が悪かった時代に、特急列車を運転することに当時は疑問を持っていました。今でさえ、銚子や鹿島神宮程度でしたら快速列車でも十分な距離・所要時間と思われるのですが、成田空港までの特急がこれだけ多数運転されている時代背景を捉えると、距離に関係なく車両グレードの問題なのかな?とも思うわけですが・・・。

そんな「しおさい」「あやめ」が誕生したのは、新幹線が博多まで開業した昭和50年3月のことです。偶然ですが、ちょうどその頃に成田山新勝寺に連れて行かれたことがあり、その存在をいち早く知っていた訳です。ただし、特に思い入れがあるというわけでもないので、あまり写真を撮ったことがありませんが、スキャニングしたものが数枚準備できましたのでご覧いただきたいと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「しおさい」

総武本線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。一部は東京地下駅に入らず、新宿まで足を伸ばす列車も存在しました。この頃はまだ非貫通型の1500番代は誕生していません。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉〜南酒々井間にて 183系「しおさい」

マミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。
この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉〜南酒々井間にて 183系「しおさい」

同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「あやめ」

こちらは、どうも唯一残っているらしい「あやめ」の写真。まだ文字マークの時代です。
ポケットカメラでの撮影で本来はネガカラーですが、プリントにした際にかなり変色して見栄えが悪いため、敢えてモノトーン加工しました。房総特急の中でも一番本数が少なかったからでしょうか、本当に撮影したコマが見つかりません。


現在でも「しおさい」「あやめ」の名称は残っていますが、183系0番代は既に全滅してしまいました。中学〜高校生の頃錦糸町で何回か撮ったくらいで、あまり追いかけることが無かったので、良い写真も残っていません。今になっては、歴史のページに穴をあけてしまったような無念さが残ります。
0

2008/2/14  1:53

大糸線シュプール号:DE10プッシュプル+14系リゾート  国鉄・JR機関車(ディーゼル)
以前、当ログ http://diary.jp.aol.com/marutetsu/571.html で大糸線シュプール号のDE10プッシュプル+20系編をお伝えいたしましたが、今回は同日に撮影した14系リゾート車バージョンをご覧いただきたいと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
平成2年2月15日 大糸線(撮影地不詳) DE101031牽引の14系リゾート車

14系客車の晩年は、定期客車急行や波動用としてオリジナル塗装のまま使われたり、お座敷・欧風客車への改造種車として利用されましたが、関西では普通車のままグレードアップ&展望室設置改造を施工するという異例の措置が採られました。
私も暫く関西方面に行っていなかったので、この時に初めてリゾート車を目撃しました。


クリックすると元のサイズで表示します
平成2年2月16日 大糸線(撮影地不詳) DE10プッシュプル14系リゾート車

大糸線への客車列車によるシュプール号は、折り返し機回しを省略するために、必ずプッシュプルで運転されます。
しかも、前後ともヘッドマークを付けて走るんですね。赤ベースのカマに半分赤の鮮やかな編成は、モノトーンの世界に映えますが、この緑色のヘッドマーク・・・何か浮いてませんかね。

最近、このリゾート車の話題を聞かないような気がするのですが、ヒョットして全廃になってしまったのでしょうか?今や14系座席車も殆ど残らなくなりましたからね。

プッシュプルで山間をノンビリ走るDE10牽引のリゾート車。雪景色に溶け込みながら、マッタリとした鉄道旅行を楽しめそうです。

撮影しているこっちは大変ですけどね。
0

2008/2/13  1:20

EF60牽引:貨物列車  国鉄・JR機関車(直流型)
昨日までの最新の情報から一気に遡ってみましょう。

今日ご紹介いたしますのは、EF60の基本番代です。
以前、当ログで元特急列車牽引機の500番代を特集したことがありましたが、0番代は生まれつきの純然たる貨物機です。
東海道本線のEF15の置換えや、山陽本線の電化延伸とともにその勢力を西へと伸ばしていったF形新性能機の始祖たる機関車です。
貨物機が本来の姿ゆえ、EF65の基本番代と同様に、東海道・山陽本線のみを根城とし、その活躍は地味でありました。特に、東京から北への運用が無かったので、東北本線沿線住民の私としては、無縁な貨物機でありました。

しかし、首都圏に残る旧型機であるEF10〜EF13の老朽廃車に伴い、西から東へとその勢力分布が変化し、私の地元でも見られるポピュラーな機関車となりました。
とは言いましても、その活躍は終始地味なものであり、数年の後には59.2貨物の大合理化の憂き目に逢い、イベント用として今なお活躍を続ける19号機以外はあっさり廃車となってしまいました。

私的にも特に好きだったカマというわけではありませんが、元特急牽引機の500番代や、新性能車初期に見られた1つ目など、何となくそそられるものがあったことも事実です。

地味な機関車であっただけに、撮影した枚数も非常に少ないですが、現時点でスキャニングしてあるものだけを取り敢えずご紹介させていただきます。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴〜根府川間にて 白糸川橋梁を渡るEF6017牽引貨物列車

初期の1つ目車。新性能車初期のオリジナルなイメージをそのまま持っていました。
この頃は未だシールドビーム改造は一般的に行われていないため、殆どがオリジナルのデカ目でした。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年3月頃 東北本線 西川口〜蕨間にて EF6028牽引貨物列車

この頃になるとシールドビーム改造車が増え始め、当機のみならず初期の新性能車のほぼ全般に伝染していきました。
したがって、オリジナルビームのカマに出会うことも稀になってきているため、興味のなかったEF60にもカメラを向ける機会が増えてきたように思います。


クリックすると元のサイズで表示します
昭和58年5月16日 山陽本線 八本松〜瀬野間にて EF60107

既に陽が翳り、写りが厳しくなってきた山間の線路。振り返るとEF60が目前にせまってきました。EF66を従えた雄姿は、「まだまだ高速だっていけるんだ!」という自信に満ちて見えました。


EF60自体もそうですが、雑多な貨車をランダムに連結して走る貨物列車は大変興味深く、力強さを表現するにも恰好の被写体でした。
しかし、そんな魅力を知ったのは、国鉄に入社して貨車の入換を担当するようになってからなので、入社後2年で貨物輸送はコンテナ列車中心の輸送体系となり、さらにその1年後には最後部を引き締めていた緩急車(車掌車)の連結も原則廃止となり、貨物列車のスタイルが大きく変化してしまいました。
そういう意味では、コンテナばかりの現在の貨物列車は魅力がかなり落ちてきたような気がします。が、国鉄型電機が最後の活躍を続けられるのが、貨物列車あってこそであるということも変わりありません。
EF60型はほぼ全滅となっていますが、旧国鉄型電機の行く末を見守りたいと思います。
0


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ