鉄道コム

2008/3/16  2:58

20系寝台急行「十和田」  ブルートレイン:機関車・客車
今日は、先日アップした20系急行「銀河」の中で話題に上がってきました20系時代の「十和田」についてアップしたいと思います。

私が写真を撮り始めた昭和40年代末期の頃、長距離の移動手段は高額な航空機ではなく、鉄道が当たり前の時代でした。北海道への連絡も勿論、割安な国鉄の需要が圧倒的であり、スピードと車内設備を重視した特急に加え、リーズナブルな夜行急行列車も多数運転されていました。

線路容量の関係と思われますが、青森への夜行は常磐線経由の方が運転本数が多く、寝台特急「ゆうづる」が5往復運転されている中、これを補完する夜行急行「十和田」も季節列車を含めて5往復設定されていました。(後に「ゆうづる」は「十和田」を格上げして7往復まで成長。)
昭和50年代初頭までは、「十和田」は5往復とも旧型客車により組成されており、編成は寝台重点のものや座席重点のものなど多様に設定されています。

昭和51年、24系25形100番代が登場するようになると、20系客車淘汰が加速度的に早まり、急行列車にも20系客車が充当されるようになります。
そして、昭和52年9月、「あさかぜ」「瀬戸」及び新大阪〜下関を結ぶ寝台特急「安芸」に25形100番代が投入されると、この捻出された20系が客車が急行「十和田2号」に充当されることになりました。資料によれば、20系客車を使用した急行列車としては「銀河」「天の川」「新星」に続き4例目となるようです。
上記3列車は寝台専用急行であったため、編成をそのまま充当されましたが、「十和田」の場合は寝台専用列車ではなかったため、ナロネ21を座席改造したナハ21を編成中3両連結し、旅客の便を図りました。20系誕生以来、座席車を寝台化したことはありましたが、寝台車を座席化したのは初めての例でありました。

そんな経緯から誕生した20系寝台急行「十和田」ですが、ヘッドマークもテールマークも用意されていなかったため、あまり興味の湧かない列車ではありました。が、偶然にも撮影していたものがありましたので本日アップいたします。


写真はいずれも昭和52年〜53年初頭頃 上野駅にて
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EF80に牽引され上野駅20番線に到着した20系「十和田」 カヤ21

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最後部のナハネフ22

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1号車に連結されたナハ21のサボ

「銀河」の登場時と同様に、テールマークは「急行」でした。
資料を調べたところ、「十和田」が20系寝台客車で運転されていた期間は意外に長く、昭和57年11月(上越新幹線開業)でした。その際、「十和田」は12系座席車化されています。
この20系編成はそのまま「津軽」に転用されましたが、座席車が少ないために苦情が多発、わずか9ヵ月半で季節急行「おが」に使用していた14系客車と交換され、以降廃車となるまで「おが」に使用されていました。

同様の編成で、昭和53年10月に誕生した急行「だいせん」がありました。
過去ログでアップしていますのでご覧下さい。→http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/msgsearch

この20系急行「十和田」には残念ながら乗る機会はありませんでしたが、「だいせん」には乗車する機会があり、元ナロネ21の乗り心地を味わえたことは幸運でした。
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2008/3/15  7:30

クモユニ74(東戸塚回想)  旧型国電
ネガからスキャニングしている中で、この間「富士ぶさ」を撮影してきた東海道本線東戸塚付近における写真がゴロゴロ出てきましたので、今日はそのうちのクモユニ74をご紹介したいと思います。

20数年ぶりに訪れた同区間は、景色の変貌も激しいほど高層のマンションが建っており、海側になだらかにあった丘陵も「削ってしまったんかな?」と思うくらい面影がなくなりました。
何となく昔から変わらなかったのが、横須賀線と東海道本線の間にある建設業者(かな?)の土地やトンネル付近の風景ですかね。

そこで話題にしたのが、この線の撮影の際、行ったり来たりに便利であった踏切がなくなっていたことです。そこに非常に不自然さを感じたわけです。
普通、踏切がなくなっても周辺の状況から何らかの痕跡が残るものですが、ここにその面影がありませんでした。

あまり信じてもらえて無いような様子もあったので、せっかく見つけた踏み切りの写真、どうぞご覧あれ!


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昭和56年9月28日 東海道本線 東戸塚付近にて

この間私たちが撮影していた側とは反対側から撮影したものですね。拡大していただくと、バックにトンネルがあるのがお判りいただけると思います。
swallow angelさんが撮影していたのが、このクモユニ74の陰になる反対側辺り。この踏切を渡ったところあたりが私が撮影していた場所だと思います。


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昭和58年7月24日 東海道本線 東戸塚付近にて

バックに見えるのが東戸塚駅で、画面右手の見えないところ辺りがlineさんの撮影していたところだと思います。

この頃は柵の整備もイマイチな感じで、架線柱の外側であれば撮影はOKだったんですね。現況は如何にも「一切近づいてはならん!」みたいな金網柵まで張られてしまい、非常に撮影しにくくなりました。
安全対策の観点から仕方ないんでしょうね。現実、撮影者の事故が無いわけではありませんし、昨今は配線のおかしい人が線路内に立ち入って列車を止める事件も頻繁に発生していますから。

撮影者本位の鉄道ではありませんので、時代の流れで不便になるのは仕方の無いことですが、何より撮影の対象となる魅力のある列車自体がなくなってしまうことが一番悲しいですね。
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2008/3/14  18:51

明日の「夢空間」設定取り消し  写真無しの情報など
携帯から緊急アップです。
今月号のダイヤ情報を手に入れたのですが、15日・16日と予定されていた「夢空間」の団臨の設定が取り消しとなっていました。
あくまでもDJ情報ですので、信じるかどうかは各人次第ですが、遠くから撮影に来られる予定の方は、運転されないことを視野に入れておいた方がよろしいかと・・・。
明日は天気も回復しそうですし、気合も入っていたので残念です。(;_;)
月末に再設定されましたので、そちらに賭けるとしましょう。
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2008/3/14  6:30

さようなら急行「銀河」:20系時代(その2)  ブルートレイン:機関車・客車
またまた0時前にダウンし更新できませんでした。まだ撮影の疲れが残っているのかなぁ。チョットヤバイな。

ということで、更新を楽しみにされていた方、申し訳ございません。
さようなら急行「銀河」:20系時代(その1)の時に、次回(その2)で20系イラストマーク時代をお届けするご案内をしておりましたが、これは「急行」表示時代の写真が見つからなかったための予告でした。しかし、今回スキャニング作業をしている中で、「急行」表示をしていた時の写真が出てきましたので、急遽予定を変更したいと思います。

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昭和52年頃 品川客車区にて ナハネフ22「銀河」

この頃はあまりモノクロネガを使っていなかったのですが、おそらくコスト的に安いところもあって、何の面白みも無い入換中の列車を撮ったものだと思います。
品川駅では、臨時列車や貨物列車、そして入換えによるブルトレの写真など多種多様な列車を撮ることができるので、それこそ本当に1日中いても飽きませんでした。

当時は未だ20系特急の「あさかぜ」「瀬戸」も残っていましたし、上野口では「北星」「北陸」もありましたから、20系自体は珍しくありませんでしたが、急行列車に使用される20系は「銀河」が唯一であり、それまで無地だったテールマークに「急行」の表示が入っただけでも画期的な出来事だったような気がします。

ブルトレにイラストが入るようになったのが昭和54年下期くらいからでしたので、「銀河」も昭和55年くらいからイラストが入るようになったと思います。

何のインパクトも無い写真ですが、「銀河」が他の急行と格違いであることを主張していた1コマでした。


予定が狂ってしまいましたので、(その3)でイラストマーク時代をお届けいたします。
準備までもう少し時間をください。
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2008/3/13  6:58

平成20年3月9日 Fe4撮影記録:「さよならゆとり」篇  写真撮影
またダウンして更新が遅れてしまいました。歳かな・・・夜に耐えられなくなってきた・・・。

さて、Fe4の撮影もラストの行程となりました。残すは「さよならゆとり」です。
伊東線への撮影に向かう途中、提案のあった早川〜根府川間をロケハンしながら列車に乗っていました。この区間は過去に数回来たことがあるので、ポイントは探しやすいです。しかし、沿線を見ると既に午前中から鉄チャンがかなり張り付いていて、高いテンションが伺えました。
その後、何気にロケハンを続けていたのですが、かなり高いところから撮れそうなポイントを発見。しかも、発見後直ぐに湯河原駅に到着したので、歩いてもそんなに距離が無い雰囲気。何となくここに的を絞りました。

伊東線での撮影が終り、湯河原駅に到着。駅前の観光地図で念押しの確認後、現地に向かいました。地図ではかなり近く10分くらいで行けそうだったのですが、実際に歩いてみたらかなり距離がありました。

そして、山のふもとの線路脇道路は、既に多数の鉄チャンがいましたね。でも、人が集まるだけに、まあまあのロケーションでした。

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貨物が来たのでテストショット。下からだと普通のカーブなので少し上から撮ったのですが、手前の上り線の架線が顔に掛かってしまいます。

悩んだ挙句、「ゆとり」まで時間もありましたので、車内ロケから確認したガードレールのところまで移動することにしました。かなりの高低差があるので、到達まで30分くらい掛かるかな?と思ったのですが、意外、10分も掛からなかったです。しかし、それだけ坂がキツイということで、運動不足の中年オヤジは心臓がバクバク。動悸が治まるまで10分以上掛かったような気がする。全てアルファルト舗装で歩きやすいのですが、クルマで登れるのか?というような坂道でした。あのような坂には、EF63を常駐してもらわないと。

既に先に移動していたlineさんhttp://diary.jp.aol.com/qegbrh4/もこちらに居ました。で、眺めはこんな感じです。

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下り列車には、上り列車の架線が邪魔になるようなアングルなのですが、あまりに遠すぎて逆に気になりませんでした。つまりOKということで。
こういう大パノラマな風景の中でノンビリ列車の往来を見ていると、最近は忘れてしまった昔のゆったり鉄をしていた頃のことを思い出します。良い時間を過ごしました。

海とは反対方向を見ると、東海道新幹線が見えます。防音壁が高く絵にはならないのですが、ついこの間まで夢中になっていた500系が通り過ぎていきました。

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「ゆとり」の通過に近い時間でしたが、既に暗くなっていましたので映りはダメダメですね。

このところの天気は、夕方になると丹沢方面からかなり黒い雲が発生しているようで、先週は1週間毎日このような天気でした。そして、この日も同様に黒い雲に覆われ、日没近い時間に輪を掛けて暗くしてくれましたよ。

そしてやってきました「ゆとり」です。

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シャッタースピードは1/125程度。望遠側にしたのでピンもアマアマです。この明るさじゃね。カメラの性能も落ちますわ。テストショットと比べて極端にコントラストが落ちているのがお解かりいただけると思います。
せめてもの救いといえば、この直後に上りの普通列車とカブってしまったので、上からはその危機を逃れていたことでしょう。皆さん、下の方では大変な騒ぎだったのではないでしょうか。

そして返しの上り「ゆとり」ですが、ISOを200に増感。それでも開放で1/80ですよ。もう、どうにでもなれです。

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こっちはもうブレブレでした。気象が相手じゃ仕方ないですね。これで元「サロンエクスプレス東京」改め「ゆとり」ともお別れです。長い間お疲れ様でした。

撮影を終え、lineさんとともに登ってきた急坂を下りて、下でそのまま撮影していたswallow angelさんhttp://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/、シービーさんと合流、湯河原駅へと向かいました。

早朝からの撮影で疲れ&眠い筈なのに、新橋まで誰一人寝ずにいましたね。皆さん大した体力&精神力ですよ。このあと、さらに新橋で2時間も語っちゃうんですから・・・。
打ち上げの模様はシービーさんhttp://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/MYBLOG/yblog.htmlがレポートしていただいているので是非ご覧下さい。

Fe4のみなさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。
そして、現地でお話させていただいた鉄なファンのみなさん、お疲れさまでした。

それぞれのオジサン方が各々違った視点で撮影されています。比較するのも良いかもしれません。文中リンクをクリックして是非訪れてみてください。
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2008/3/12  20:50

平成20年3月9日 Fe4撮影記録:これはっ!篇  写真撮影
今日はメッチャ早く帰ってきたので1本アップしておきます。

しっかし、今日も低調な伸びですな。でも、点数を入れていただいて本当に有り難いです。

さて、別に大したことではないのですが、Fe4撮影行での移動途中でチョットしたものを撮ったので、記録としてアップしようと思いました。

まずはこれです。

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小田原駅で、列車乗り継ぎの際に足元に発見したものです。これもあと4日で不要になってしまうんですね。寂しいことです。
ところで、見ただけではただそれだけの写真なのですが、なんか変だと思いません?
これはわざわざ逆さまに撮ったわけではないんですよ。ちゃんと黄色い線の内側に下がって撮ったのです。つまり、表示が逆で、降りる人から見て正位置に表示されているんです。なんで逆にしちゃったんでしょうね。
ちょうど乗り継ぎの電車が入線してきてしまったので、他の車両の分までは確認できませんでした。


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さて、こちらはその小田原駅から熱海駅まで乗車した車両です。サハ211のトップナンバーでした。新たに加わったカメラの性能を確かめるためにもお遊びで撮ってみました。
スタンプラリー以外は滅多に乗らない東海道本線ですので、こうした車両に出逢うと何となく嬉しいです。


で・・・?  まぁ〜、その〜、それだけなんですけど・・・。
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2008/3/12  1:47

平成20年3月9日 Fe4撮影記録:伊豆急車篇  写真撮影
昨日は、このところのアクセス数からは想像できないほど低調だったので、非常にな気分。どうもゴールデンタイムのAOL接続がグダグダだったのが原因ではないかと。
それに反比例するように、ブログ村のポイントを沢山いただきました。ありがとうございました。

さて、またまたFe4コラボ撮影の続きです。

東戸塚駅を後にして、一行は東海道本線を西へ下ることになります。「ゆとり」まで時間がタップリあるので、次の目標を定めます。案としては伊東線内でリゾートの撮影、そして、御殿場線松田付近で小田急を兼ねた撮影などがあったのですが、いずれも本数が少なく、あまり油断していると「ゆとり」を逃す危険もあったため、取り敢えず伊東線網代へ行ってみることにしました。

ここでの行動は、地の利のあるswallow angelさんにお任せです。むかしブルトレの撮影をしていたときに、EF5861牽引の臨時「踊り子」を撮りに来たり、慰安旅行の際に伊東駅付近で撮影をしたことはあったのですが、網代駅で下車するのは初めてでした。

熱海駅から接続の元東急8000系改造の車両に乗り込み、網代駅へと向かいます。
日曜の昼近くというのに、車内は非常に混雑しています。

網代駅に着くと、交換列車でリゾート21が早速のお出迎えです。

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ホームがかなりカーブしており、普通に駅に停車している写真としては絵になりやすいですね。前後はトンネルに阻まれているので、走行中の写真を撮るには工夫が必要かもしれません。


丁度お昼でしたので、4人で昼食を摂った後、線路沿いにロケハンをします。候補はあったのですが、構図的に無理があったのでswallow angelさんお勧めの国道歩道橋上からの撮影です。


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まず最初に来たのが、国鉄115系改造の200系。一番遭いたくなかったという感じですが、今となっては貴重な車両です。塗装がチョットね。好みの問題もありますが・・・。


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次にやってきたのが、185系「踊り子」です。日曜日だけあって、1日に何回見るか分かりませんね。私的には飽きの来る車両ですが、今となっては貴重な国鉄型です。

そして、同じ場所で沢山撮っても仕方がないので、ここからやや熱海寄りにあるSカーブの踏切の所へ移動してみました。あちらこちらか角度を変えて見るのですが、思ったより非常に難しい場所でした。
どうしようかと迷っていたら踏切が鳴ってしまった。構図も決まらないのでパスして見送ろうと思ったら、何と!黒船君じゃござんせんか!
構図を決めてなかったので、ファインダーを覗いたまま「切れそうなところで切る」ことだけを考えて追ってみました。

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望遠でワンショット、引いてワンショットです。遮断棒の外側から撮るのに丁度良い場所に障害検知器のセンサーが飛び出しているんですよ。これが無いだけでも絵になるんですがね。後追いは架線柱に阻まれ、撮ることはできませんでした・・・。

折角逢った黒船君だから、もう片道撮りたいところですが、余りにも時間が掛かり過ぎま
す。網代駅方向に向かいながら、もう1往復の列車の撮影場所を探します。
しかし、築堤が高い場所にあり、しかも山陰ときているもんだから絵にしづらい。適度な足場も無い。

こういう時は、思い切ってハメを外しますよ。

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まずは185系「踊り子」。国道の歩道にあったもう既に時期の遅い河津桜を小道具として無理矢理フレームイン。
ゆっくり走ってきてくれたので、先頭車と最後尾の2ショット、角度・構図を変えて撮ることができました。


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そして、この区間のシメはこちら。「スーパービュー踊り子」です。この車両、特に好きなわけではないので、開き直りの構図です。どうでも良かったので。


運転本数が少ないため、あっという間の制限時間となりました。機材を片付けつつ網代駅へ戻ります・・・あれ?シービーさんがいない・・・。

網代駅へ到着。シービーさん、「スーパービュー踊り子」が来るのを覚えていなかったんですかね。先に駅に帰ってしまったらしいです。

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帰りはまた元東急ですか・・・リゾートに乗りたかったなぁ。

ここで他に撮影に行く時間がなくなってしまいました。あとは「ゆとり」を撮るだけです。
一行4人は、次なる目的地であ湯河原駅へと向かうのでした。つづく・・・
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2008/3/11  6:50

平成20年3月9日 Fe4撮影記録:「富士ぶさ」篇  写真撮影
ヤバイヤバイ!更新しないで寝てしまったー!

では、急いで。

東京で銀河撮影のあと、車内から横サボを撮った列車にそのまま集合地である川崎駅へ向かいます。集合時間の7:20ちょうどに到着。すでにswallow angelさんhttp://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/ 、シービーさん http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/MYBLOG/yblog.html は改札口でお待ちでした。
でも、一番近い筈のlineさん http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/ はいらっしゃいません。
早朝出発のため朝食を摂っていなかったので、この待ち時間を利用しておにぎりを2つほおばりました。
7:35にlineさんが到着、何でも有楽町で「銀河」回送まで撮っていたらしいです。なんだ、自分も撮ればよかった・・・。

で、今後の予定が全てクリアな4人取り敢えず西へ向かいます。予定がないといっても、ここにいるってことはやはり「富士ぶさ」でしょうから、どこにしようか話し合います。
で、戸塚〜藤沢付近の案もあったのですが、この付近では昔一番メジャーだった東戸塚付近にすることに。
私もここへ来るのはおそらくEF58の荷物列車が撤退してから20数年振りだと思うので、柵の状況などどうなっているか分かりません。でも、東海道本線の車内から見た限り、金網は張っていなかったようでしたので、撮影可能と判断、戸塚まで行って折り返し、東戸塚まで戻って参りました。


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まずは反対側となる下り列車を撮影。20数年前を思い起こしながら。ちょうどこの211系が登場して間もない頃だったかな・・・。


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今度は本番となる上り列車側。185系の「湘南ライナー」が来た。これも土日の運転が確かなくなってしまう筈だと思ったが・・・。

むかし「つばめ」の復活や「あまぎ」がなくなる頃に良く撮ったアングル。バックはどんどんうるさくなってきましたが、基本的構図は今もむかしも変わりません。
ただ、ここで問題に気付かされました。顔にワイヤーロープがカブっていたのです。半逆光でファインダーが反射していたため気が付かんかった・・・。場所を調整していざ本番へ。


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あちこち歩き回ったが、基本的には構図が変わらないので、障害物のないこの場所に落ち着きました。
いつもそうなんですが、「銀河」は寝坊して自分が遅れたり、列車そのものが遅れたり、まともに撮れないのですが、「富士ぶさ」だけはいつも良く撮れるんです。何でかなぁ〜。

さて、無事「富士ぶさ」を撮影した一行は、予定もないまま東戸塚駅へ向かいます。
さぁて、どうしましょ・・・つづく
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2008/3/10  0:52

平成20年3月9日 Fe4撮影記録:寝台急行「銀河」篇  写真撮影
いやぁ〜疲れました。朝早いのはキツイですな。帰りは京浜東北線で危なく爆睡するところでした。

おなじみFe4のメンバーで、昨日は「銀河」、「ふじぶさ」、「さよならゆとり」などの撮影に行ってまいりました。
今日は非常に眠たいのですが、頑張って「銀河」篇だけでもお届けしたいと思います。

メンバー集合は川崎駅ということで、朝一の行動である急行「銀河」の撮影は各々自由行動となりました。

出鼻を挫かれ、蕨駅で乗車のタイミングを逃し10分のロス。いきなりやられます。
眠いのを我慢しながら、有楽町、新橋、浜松町とロケハンをしながら京浜東北線に乗って行ったのですが、何かイメージが湧かなくて結局田町駅で下車。しかし、10分ロスが効いてしまったか、田町駅のポジションは鉄でいっぱい。混んでいるのはキライなので、浜松町に戻り、何とか撮影できそうなところへ・・・。

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南行電車に遮られた陰から、いきなりやってきてしまいました。しかも結構スピードを出しています。
急いでファインダーを覗いたらビーム柱の嵐。ドギマギしている間にここしかないと言うところでシャッターを切ったのですが、手ブレ+被写体ブレ。最後の「銀河」なのに悲惨な結果に終わってしまいました。

集合時間まで余裕がありそうなので、仕方なく東京駅まで引き返しました。
しかし、案の定ホームは大変な混乱状態。とてもまともに撮影できるような状況ではありませんでした。

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まあ、このような状況のときに撮影すること自体好まないのですが、見てお解かりのように、撮影の仕方がバカ以外の何者でもありません。
先頭の方の客車に一番近いヤツが身体を乗り出したり、携帯片手に手を伸ばしたりするわけですから、後ろから撮ろうとする人はその状態が変わるまで身を乗り出し、さらに後ろにいる人はその待っている人をさらに待っている状態。
こんなことをしていれば混乱するに決まっています。前に出ずにさっさと撮ってさっさと退けば良いんですよ。あきれ返って撮影を止めました。

となりのホームは、私が集合場所までの移動に使う東海道の普通列車が既に入線しており、「銀河」の姿を完全に遮っています。他の乗客が乗っているのに、こちらの列車の窓を開けて撮影しているヤツがさらに順番待ちまでしている。みんなまとめてクタバッテちょーだいな。

せめて方向幕だけでも撮ろうと車内を歩き、窓越しに撮っておきました。もう2度と撮ることもないでしょうし。

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そしたら、8号車だけこんなのもありました。

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「つるぎ」って相当前に廃止されているから、黒幕になってからは1回も走っていないと思うんですが。用意されていたってことは、復活する可能性もあったということでしょうか。でも、「銀河」さえ廃止されようとしている時代、絶対が付くほど有り得ない話なんでしょうね。

さて、廃止が発表されて以来「銀河」には最後まで嫌われ、仕事以上のストレスを背負ったまま、Fe4の集合場所である川崎駅に向かいました。

つづく
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2008/3/9  1:05

旧客を牽いたEF651000番代  国鉄・JR機関車(直流型)
今日は撮影に出掛ける日。あと4時間も寝られないじゃん。サクッと1つアップして寝ます。

過去ログで少し触れたことがありましたが、旧型客車を牽くEF65のお話。
旧型客車は、自前で暖房装置を搭載していないので、機関車から暖房源を貰わないと冬は暖房ができません。蒸気機関車の頃は、全ての蒸気機関車が暖房源であるボイラーとスチームを持っていたわけで、客車を牽こうが貨物を牽こうが問題なかったわけですが、電気機関車が進出を始めると、元々電気で動くわけですから、熱源を持っていないという問題が生じることになります。

EF55までの昭和初期の旅客機は、自前の暖房発生装置を搭載していなかったので、冬になるとマヌ34等の暖房車を連結する必要がありました。
EF56になると、機関車自体に蒸気暖房を起すためのボイラーを搭載するようになり、暖房車の連結無しに客車列車を牽くことができるようになります。
EF57は当初は蒸気暖房搭載でしたが、北日本の電気暖房化施策によって、電気暖房発生装置(EG)に切替え工事が行われています。
EF58は、広範囲に運用を持っていたため、西日本車は蒸気暖房、東日本では電気暖房車を配置していました。転属によって運用範囲が変わると、地域にあった改造を行っています。

さて、新性能車の場合、EF60までは貨物用又は電源車を持つ20系ブルトレ用として登場しているため、暖房装置を持っていません。その後、EF58の後継機として誕生したEF61は蒸気暖房装置を搭載し、EF62とEF64は東日本の配置だったため、電気暖房装置を搭載しています。
EF65は、EF60の後継機として誕生しており、各番代ともEF60と同じく暖房装置を搭載していません。ですから、本来暖房装置を必要とする旧型客車を牽くことは基本的には無かったのです。

やっと本題ですが、ここでイレギュラーな列車をご紹介したいと思います。

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昭和53年10月1日 東北本線 西川口〜蕨間にて 福島行き 125列車

53・10ダイヤ改正で消滅した東北本線直流区間の客車普通列車です。
それまではEF57やEF58が黒磯まで牽いていた客車列車ですが、改正前日の運転最終日、なんとEF65の1000番代が牽引してきました。中学の時、友人と一緒に撮影していたのですが、これには一同驚きを隠せませんでした。
暖房装置云々の知識は無い頃ですが、EF651000というのは、「あけぼの」や「つばさ」などの特急専用機という概念があったため、ありえない出来事だったのです。
今から考えれば、そういう問題ではないイレギュラーな運用であったわけですが、おそらく、鉄道ファン向けに考えられた最後を飾るためのサプライズだったのでしょう。
国鉄も粋なことをしてくれました。


そして、もう一つあります。

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昭和60年7月28日 東北本線 栗橋〜東鷲宮間にて EF651000牽引の団体列車

この列車は、宇都宮駅100周年を記念して運転された団体列車で、廃車目前の旧型客車をかき集めて組成した編成のようでした。
季節的には暖房が必要ないため、どんな機関車が牽いても基本的に問題はないのですが、国鉄時代は原則として季節に関係なく必ず暖房が可能な機関車の運用を限定していました。
ですから、この列車はあくまでもファン向けに仕組まれた編成・運用であり、特殊な例と言えるでしょう。


DD13のときにも述べましたが、あくまでも原則論がある中での特例であるわけですから、運転距離・時間が極端に短いなどの運用上支障が無い場合の他は、このような編成はありえません。ですから、現役時代も殆ど見ることが出来なかった光景として貴重なものであると思います。
 
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