鉄道コム

2008/3/16  2:58

20系寝台急行「十和田」  ブルートレイン:機関車・客車
今日は、先日アップした20系急行「銀河」の中で話題に上がってきました20系時代の「十和田」についてアップしたいと思います。

私が写真を撮り始めた昭和40年代末期の頃、長距離の移動手段は高額な航空機ではなく、鉄道が当たり前の時代でした。北海道への連絡も勿論、割安な国鉄の需要が圧倒的であり、スピードと車内設備を重視した特急に加え、リーズナブルな夜行急行列車も多数運転されていました。

線路容量の関係と思われますが、青森への夜行は常磐線経由の方が運転本数が多く、寝台特急「ゆうづる」が5往復運転されている中、これを補完する夜行急行「十和田」も季節列車を含めて5往復設定されていました。(後に「ゆうづる」は「十和田」を格上げして7往復まで成長。)
昭和50年代初頭までは、「十和田」は5往復とも旧型客車により組成されており、編成は寝台重点のものや座席重点のものなど多様に設定されています。

昭和51年、24系25形100番代が登場するようになると、20系客車淘汰が加速度的に早まり、急行列車にも20系客車が充当されるようになります。
そして、昭和52年9月、「あさかぜ」「瀬戸」及び新大阪〜下関を結ぶ寝台特急「安芸」に25形100番代が投入されると、この捻出された20系が客車が急行「十和田2号」に充当されることになりました。資料によれば、20系客車を使用した急行列車としては「銀河」「天の川」「新星」に続き4例目となるようです。
上記3列車は寝台専用急行であったため、編成をそのまま充当されましたが、「十和田」の場合は寝台専用列車ではなかったため、ナロネ21を座席改造したナハ21を編成中3両連結し、旅客の便を図りました。20系誕生以来、座席車を寝台化したことはありましたが、寝台車を座席化したのは初めての例でありました。

そんな経緯から誕生した20系寝台急行「十和田」ですが、ヘッドマークもテールマークも用意されていなかったため、あまり興味の湧かない列車ではありました。が、偶然にも撮影していたものがありましたので本日アップいたします。


写真はいずれも昭和52年〜53年初頭頃 上野駅にて
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EF80に牽引され上野駅20番線に到着した20系「十和田」 カヤ21

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最後部のナハネフ22

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1号車に連結されたナハ21のサボ

「銀河」の登場時と同様に、テールマークは「急行」でした。
資料を調べたところ、「十和田」が20系寝台客車で運転されていた期間は意外に長く、昭和57年11月(上越新幹線開業)でした。その際、「十和田」は12系座席車化されています。
この20系編成はそのまま「津軽」に転用されましたが、座席車が少ないために苦情が多発、わずか9ヵ月半で季節急行「おが」に使用していた14系客車と交換され、以降廃車となるまで「おが」に使用されていました。

同様の編成で、昭和53年10月に誕生した急行「だいせん」がありました。
過去ログでアップしていますのでご覧下さい。→http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/msgsearch

この20系急行「十和田」には残念ながら乗る機会はありませんでしたが、「だいせん」には乗車する機会があり、元ナロネ21の乗り心地を味わえたことは幸運でした。
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