鉄道コム

2008/3/17  3:30

581・583系「なは」 永遠のさよなら・・・  特急型電車(交直流・交流)
ダイヤ改正が実施されて新たな1週間が始まりますね。
時刻表的にはそんなに変化の大きかったダイヤ改正とも思えないのですが、歴史ある名門急行「銀河」、九州連絡夜行を支えてきた最後の寝台特急「なは」「あかつき」の廃止、「日本海」「北斗星」の縮小、そして東日本では元サロンエクスプレス東京のお座敷「ゆとり」、近未来の夜行列車の在り方模索した試作車「夢空間」の廃止など、客車列車を取り巻く非常に厳しい時代がクローズアップされた改正となりました。この数ヶ月間、私も含めてですが、少しでも消え行く彼らの姿を記録に収めようと奔走されたファンの方も相当いらした様子がうかがえました。

さて、この間私もあちらこちらと出没しては、東日本のみですが撮影及びその報告を行って参りましたが、国鉄ファンの私としては西日本にも触れないわけにはいきませんので、今改正で惜しまれながら廃止されてしまった寝台特急「なは」に関連した記事をアップしたいと思います。

もう各誌でその歴史等を紹介されているので今更というのもありますが、簡単に説明させていただきます。

特急「なは」は、昭和43年10月、それまで「かもめ」として運転されていた新大阪〜西鹿児島間のキハ80系による気動車特急を分離独立して誕生しました。誕生時は新大阪〜宮崎を結ぶ気動車特急「日向」を併結しています。
昭和48年10月の改正で鹿児島本線電化にやや遅れて電車特急となり、「日向」と分離運転され、昭和50年3月のダイヤ改正(新幹線博多開業)まで昼行電車特急として九州連絡の役目を担いました。
同改正により山陽の昼行特急が全廃になり、廃止になると思われた「なは」ですが、その名称を与えられた経緯から存続することになり、改正前まで京都〜西鹿児島を結んでいた581・583系寝台特急「きりしま」のスジを引き継ぐことになり、ここに新たな電車寝台特急「なは」が誕生することになります。

誕生当初は、583系独特の黄緑色で「なは」の文字マークが使用されていましたが、昭和53年10月のダイヤ改正から他の電車特急と同様にイラストマークが採用され、その後の客車寝台特急化、機関車のヘッドマーク復活時におけるマークデザインの礎となりました。

今日は、実質は1度しかあったことのない583系時代の「なは」の画像をご紹介いたします。

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昭和55年8月 京都駅にて クハ583を使用した寝台電車特急「なは」

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同日 583系の行先表示

私的には「きりしま」という名前の方が好きだったので、「なは」に愛称が決まった時点で『なにも乗っ取らなくても良いのに・・・』なんて思ったものでした。
高校2年のとき、EH10やキハ181系「やくも」の撤退を知ったときに強引に撮影を挙行し、夜行乗り継ぎがてら関西の列車も出来る限り撮影してきました。この写真は、そのときの1コマです。
昭和55年ですので既にヘッドマークはイラスト化されたものです。
横サボは関西特有の発駅と着駅を一緒に表示するタイプで、東日本の着駅のみの表示とは趣が異なります。

私が所有する「なは」の写真は、残念ながらこれだけなんです。
本当は、昭和49年に大阪に行った際、485系ボンネット型の「なは」を撮影していたのですが、露出不足のためにプリントアウトされず、諦めて放ったらかしにしていたネガもいつの間にか紛失していました。ボンネット型の輪郭が判るくらい写っていたので、今の技術だったら何とか復活させられた可能性もあったのですが、今となっては後の祭りということですね。35年以上も前の話ですが、未だに悔しい思い出です。

沖縄の日本復帰の願いを込めて生き長らえてきた特急「なは」。そんな願いをもってしても廃止の運命となってしまった今の時代。切ない、寂しい以外の何モノでもありません。
このとき以来、逢うことは出来なかったけど、『長い間良く頑張った!お疲れさん。』と彼に告げてあげたい・・・。
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