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2008/3/25  1:32

381系0番代「しなの」  特急型電車(直流)
今日はお疲れモード。スゴク疲れました。

さて、スキャニングの途中ですがこれで終了!というネタがありましたのでご紹介したいとおもいます。
中央西線を代表する特急「しなの」です。

元々特急列車の走っていなかった中央西線木曽路で、「しなの」は急行列車として誕生しています。中央西線ならではの山岳路線でスピードアップが難しかったため、キハ82系の誕生により四国を除く全国に拡大した特急網も、中央西線は手付かずになっていました。
そこで、非電化・山岳路線におけるスピードアップの実現のため、強馬力エンジンを搭載した急行形気動車キハ90・91が試作誕生し、急行「しなの」に充当されるようになります。
この試作データで手応えを得た国鉄は、さらに改良を加えたキハ181系が産声を上げ、ここに特急「しなの」が誕生します。昭和43年のことでした。

そのわずか5年後の昭和48年、中央西線の全線電化時において、日本初となる振子式特急形電車381系が誕生し、曲線の通過速度を向上させ、電車化とともに大幅なスピードアップを図ることになりました。なお、暫くはキハ181系2往復が存置されていました。

私的には縁のなかった中央西線の特急ですが、若干数の写真がありましたのでアップいたします。


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昭和52年3月30日 名古屋駅にて 文字マーク時代の「しなの」

生涯初めて遭遇した381系「しなの」。53・10改正以前の姿ですので、文字マークとなっています。オートハーフでしたので案の定ブレブレです。
このときは、もーまんさんも一緒でした。


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昭和56年8月 東海道本線 山崎〜神足(現長岡京)間にて

キハ181系時代より、1往復は大阪まで顔出していました。381系化後のキハ181系が存置されていた時代においても、何故か大阪「しなの」は気動車のまま残っていました。
初めて大阪に行ったとき、運がよければキハ181「しなの」が撮影できたはずですが、その時間に朝食を摂りに旅館に帰ってしまったらしく、結局1度も遭うことはありませんでした。
上の写真は先頭をリバーサル、後部をモノクロで撮影しています。リバーサルの方は感度が低かったせいか、ブレてしまっているのが残念です。


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昭和58年1月12日 長野駅にて 489系「白山」との競演

実は、飯田線の撮影の帰りに何故か信越経由で帰ってきたことがあり、そのとき1度だけ塩尻〜長野間で「しなの」に乗ったことがあります。わずかな乗車区間でしたが、正直気持ち悪くなって、あと20分も乗っていたらリバースしたかもしれないです。

ほんのわずかな付き合いしかなかった特急「しなの」。キハ181系にも、その後増備された非貫通型100番代にも逢えず終い。何故かこの4枚の0番代だけが記録に残っています。
中央西線の国鉄色の381系も残すところ1編成。有終の美を飾ってもらいたいですね。
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