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2008/7/2  0:40

485系「いなほ」:上野時代総集編 非貫通型  特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
昨日までのアクセス数は一体なんだったんでしょうか。謎です。
分析したら携帯電話からの異常なほどのアクセス。しかもハンパではない数で、何かしようとしているんではないかと勘ぐってしまうほどの件数でした。
今日はいつもどおり落ち着いたところで、眠くなる前にアップするとしましょう。

さて、過去ログで一度ご紹介させていただきました485系の「いなほ」ですが、例によってフィルムスキャンから大量に画像が出来上がりましたので、総集編として非貫通型特集をお届けいたします。


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昭和52年頃 上野駅にて

非貫通型で文字マーク時代の写真はこの1枚だけでした。当時はまだ青森車だけで運用されていたんじゃないかと思います。なので、貫通型が多かったような気がします。
荷物ホームに行列する郵便輸送用の台車も懐かしい、地平ホーム18番線です。


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昭和54年頃 東北本線 蕨〜南浦和間にて

53・10改正からイラストマーク化されました。このころから自分で現像するようになったため、モノクロ写真が多くなります。
今ではこの区間も高い金網に遮られ、脚立が無いと撮ることができなくなってしまいました。


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昭和55年頃 東北本線 川口駅にて

趣味誌に掲載する写真の撮影を依頼され、苦し紛れで沢山撮りました。しかし、結果はみんなボツ。確かにこんな映りじゃ・・・。


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昭和56年頃 東北本線 蕨〜西川口間にて

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昭和56年頃 東北本線 蕨〜西川口間にて

全く似たような写真ですが、撮影した日が違うようです。
編成がキレイに整っていることから、両方とも秋田区の1000番代ではないかと思われます。
当時は1日2往復の「いなほ」が設定され、秋田行きは秋田車、青森行きは青森所の編成が運用され、秋田区は食堂車を除き全て1000番代に統一されていました。


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昭和56年5月 東北本線 蕨〜南浦和間にて

またまたこちらは南浦和間ですが、カラーで撮っています。
併走する京浜東北線のスカイブルーも今となっては懐かしいですね。


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昭和56年5月 東北本線 西川口〜蕨間にて

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昭和57年1月 東北本線 西川口〜蕨間にて

また全く同じような構図ですが、撮影した日がかなり違うようです。
上の写真はイマイチ判別が利きませんが、下の写真は後部の方にAU12(キノコ型クーラー)を積んだユニットが連結されていますので、青森所の300番代のようです。


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昭和57年6月 東北本線 赤羽駅にて

高架化前の赤羽駅大宮方の跨線橋から撮った写真。当時は京浜東北線だけが土盛り高架で、ホームの切れた直ぐのところに大踏切がありました。
このホームは傾斜が付いて踏み切りにすり合わせしてあり、3・4番線ホームの名物であったミルクスタンドに運ぶ牛乳をリヤカーいっぱいに積載して上り下りしていたものです。


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昭和57年11月6日 上越線 湯檜曽〜水上間にて

1週間後に上越新幹線の開業、さらには「いなほ」の上越区間の廃止を目前にした日に撮影に行きました。あまり良く憶えていないのですが、非常に天気が悪かったようで、大変写りの悪い写真になってしまいました。
せっかく有名撮影地で撮ってもこれじゃね。


オマケ画像

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昭和61年9月9日 奥羽本線 鷹ノ巣に近いところ(多分)

ハンパに1枚だけ残ってしまったので、新幹線アクセス特急転身後の姿をアップしておきます。
今となっては貴重な、前後にクハ481-1500番代を連結した編成。この頃の運用は良く分かりませんが、新潟・秋田・青森の車両が入り乱れて運用されていたのではないかと思います。JRになってからは、「つばさ」にも1500番代が運用されていましたので、どの時点で何処に1500番代が居たのか良く分かりません。

つい先頃、新潟の1508番が国鉄色に復活したのは嬉しい話題ですね。青春18で新潟まで撮りに行っちゃおうかな・・・。

さて、「いなほ」は貫通型もそこそこ枚数が出てきておりますので、何れまたアップしたいと思います。

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