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2008/3/24  2:25

とうとう全廃!東日本455系:思い出のグリーンライナー  その他電車
お彼岸20日に雨の中お墓参りに行ったからでしょうか、何か疲れてます。天気の良かった2日間、出掛けたのは昨日の夕方、念のためにと灯油1缶買うついで、あまり乗らないクルマに久々の給油をしに行ったくらい。他は延々と続くスキャニングに時間を費やしてました。

スキャニングは疲れますが、35mmリバーサルを多用していたのは25〜30年前くらいなので、懐かしい思い出がマルでつい数年前のことのように蘇ってきます。

そして、たまに手を休めて他の方のブログを拝見したり、鉄道の情報を探したりとしているのですが、その中でJR東日本最後の455系がさよなら運転を行った記事がありました。

455系といえば、母親の実家に行くときは、455系急行が最初の頃の主な手段で、まだサハシを連結している頃に随分乗りました。ただ、小学3年か4年の頃、早朝出掛けにコーヒー牛乳を飲んだ際、満員で座ることも出来なかったときに酔ってしまい、通路でリバースしてしまったトラウマからか、乗る機会が減ってしまいました・・・。

そんな出来事も今は思い出、あのローズピンクをまとって本線を13・12両で駆け抜けていった455系急行への憧れはなくなることはありませんでした。

昨年の2月、455系が仙台地区から撤退ということで、まだ写真のスキャニングを始めたばかりの頃、 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/26.html で彼らを見送ったつもりでいたのですが、あれから1年、まだ頑張っていた編成があったのですね。
そして、とうとう『全廃』という悲しい現実を受け止めなくてはならなくなってしまいました。

今日は、そんな彼らが急行列車の地位から陥落し、地域の足として活躍していた晩年の写真をご覧いただこうと思います。

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昭和62年11月23日 磐越西線 翁島〜猪苗代間にて

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昭和62年11月23日 磐越西線 翁島〜磐梯町間にて

急行列車の地位から陥落したのは東北新幹線の開業の頃。短編成化・近郊改造や塗色変更などされてから、もう25年も経つんですね。ちょうど私が国鉄に就職した年ですから、晩年というにはまだ早過ぎる頃です。
まだ初期の頃はシールドビームに改造されていない車両も多く存在しました。
写真は、分割民営化間もない頃。磐越西線は、勾配抑速ブレーキを備えた455系にふさわしい活躍の舞台でした。


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平成5年2月2日 磐越西線 磐梯町〜翁島間にて

平成になると、復活したD51498が毎冬磐越西線を走るようになったため、グリーンライナー化された彼らを撮る機会も増えたかもしれません。
あくまでもD51の露払い的存在にしか見ていませんでした。やはりグリーンライナーという塗装と、似合わないライトのボックス化が気持ち的に彼らを拒否してしまったと思います。


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平成13年7月8日 東北本線 須賀川〜安積永盛間にて

これもSL撮影のついででしたね。仙山塗装の車両も見えますが、これも仙山線から撤退後で、東北線や磐越西線にも顔を出していました。
今改めて見ると、3両編成の普通列車はデッキまで立席が出ており、むかしED71や75が12〜3両の客車を従えて走っていた頃とは、比べることさえナンセンスな感じです。


彼らがこの世に誕生してから約40年。長きにわたり時代の発展に貢献した彼らに惜しみない拍手を送りたい。
まだ他では同僚が頑張っている地域もありますが、とかく思い入れの強い東北急行を勤めた彼らを永遠に忘れることはないでしょう。

現在スキャニングが終わっていない過程の中で、これからまだまだご紹介できる彼らの活躍シーンがあります。今後はそんな活躍シーンをご覧頂きながら、皆さんと回想していきたいと考えております。

お疲れ様でした。455系たち・・・さよなら東北急行のスターたち・・・
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