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2007/8/14  1:30

ローカルな風景 第26回 (国鉄小海線:キハ52・58)  ローカルな風景
今日は、ローカルな風景シリーズの第26回目で、国鉄時代の「小海線」をお届けしたいと思います。
小海線といえば、鉄道の中でも最も標高の高いところを走る高原鉄道としてあまりにも有名です。観光地を控えながらも、自分的には「良く廃止対象にならなかったな。」と思う路線のひとつです。
その昔、私が小学生の頃は、長野から篠ノ井・中央東線・小海線を経由して長野の戻る急行「すわ」と、反対廻りで長野から信越本線・小海線・中央東線を経由して長野に戻る急行「のべやま」という一風変わった列車が走っており、関心はあったのですが、あまり訪れる機会はありませんでした。
そして、昭和60年に友人のクルマでドライブに行くものの写真は全く撮っておらず、翌年の8月にDD16牽引の「パノラマ八ヶ岳号」なるものが走ることになったため、改めて同線を訪れています。

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3枚とも 昭和61年8月 小海線にて キハ52が活躍していた頃

両勾配のある同線だけに、2エンジン車のキハ58やキハ52が活躍していたようで、撮影する列車が来るたびに、両形式が混合で連結されていました。キハ58は冷房車が投入されているにも拘らず、電源を供給するキハ28が連結されていないために冷房が使用できないようで、窓全開で走っていましたね。まあ高原列車ですから、新鮮な空気をいっぱいに吸い込んで旅するのも良いことでしょう。

小海線には、いよいよハイブリッド車が走るなど、明るい話題も出ています。写真のような「国鉄」の油臭いディーゼルが走っていたのも遠い過去の話になってしまいそうです。

せっかく訪れた小海線でしたが、なぜかこの時の撮影記録が全く無く、何処で何日に撮影したのかも判らず、入場券すら購入していません。暑かったかどうかまでも思い出せない、忘れられてしまった記憶の中の風景となってしまいました。
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2007/8/9  1:03

ローカルな風景 第25回 (国鉄大隅線:キハ25)  ローカルな風景
昨日は思わぬ残業で、帰ってきたのが23時過ぎてしまいました。本当はもう1本アップしたかったのですが・・・。

今日はローカルシリーズの第25回目で、国鉄「大隅線」をお届けいたします。
国鉄「大隅線」は、昭和47年に日豊本線「国分」から「志布志」を結ぶ路線として開業しました。私は全線乗ったわけではないのですが、鹿児島湾と桜島を望む風光明媚な路線でありました。

私が訪れたのは昭和57年、国鉄職員の正職員になって初めて全国パスを交付してもらえる資格を得た直後でした。しかし、同年10月に資格を得て、直ぐに全国パスが廃止されてしまったので、先輩とこの九州旅行に来たのが最初で最後の全国パスの使用でした。

短い期間で九州をほぼ1週したため、ローカル線をゆっくり撮影する暇もなく、鹿児島からフェリーで桜島へ抜け、桜島の付け根にある「垂水」という駅から、小倉へ向かうべく国分までと、乗車したのはわずかな区間だけでした。

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昭和57年11月25日 大隅線 垂水駅にて キハ257+キハ47?

このとき乗ったのは、タラコ色のキハ20系と40系の2両編成でした。
正直このタラコ色というのは好きになれず、このころあまり写真を撮りたがらなかったのですが、折りしも「国鉄解体」「赤字ローカル線の切捨て」の声がかなり大きくなっていた頃でしたので、2度と訪れることも無いと予測して写真を撮っておきました。バス窓の初期車でしたし、もうチョットキハ20系らしい写真を撮っておけば良かったと後悔しています。

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同上 キハ25 7 のナンバーとサボ

この頃からローカル線はこのような写真を撮るようにしていました。駅名標などが丁度入る場所にないと、何線だったかも判らなくなってしまうので、記録用としての最後の手段でした。特に、当時でも相当貴重となってきたキハ20系でしたので、バス窓と初期ナンバーは垂涎ものでした。

記録によれば、同「大隅線」はその後の経営改善も見られず、奇しくも私が国鉄を去ることになった昭和62年3月31日をもって廃線となりました。
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2007/8/3  7:25

ローカルな風景 第24回 (豊肥本線:キハ55)  ローカルな風景
今日はアップの時間がなくなってしまいましたので、取り急ぎ1枚もので。

中学の卒業旅行で九州に行ったとき、高千穂線から高森線にバスで抜けて、豊肥本線の立野駅で撮った写真です。

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昭和54年3月26日 豊肥本線 立野駅にて キハ55138

当時、キハ55系の存在は知っておりましたが、首都圏では既に常磐線くらいでしか見ることが出来なくなっていたと思います。高校生時代に上野駅でアルバイトをしていたとき、臨時にの「ときわ」「奥久慈」の中間に連結されていたのを見たことがあります。
しかし、中学時代は水郡線のようなローカル線には行ったことがなかったので、初めて間近で見るキハ55に感動した記憶があります。

その後も高校生時代は西日本より北日本方面に興味を持ってしまったので、元々北日本には配属していなかった同車と逢う機会も無く、結局ちゃんと撮れたキハ55系の唯一の写真となってしまいました。
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2007/7/25  6:05

ローカルな風景 第23回 (札沼線:キハ27等)  ローカルな風景
おはようございます。
昨夜は更新の準備をせずに寝てしまいましたので、早朝からのアップになりました。
楽しみにされていた方、申し訳ございません。

今日は、久しぶりのローカルシリーズで、北海道の「札沼線」をご紹介したいと思います。

札沼線は、札幌から函館本線の滝川に程近い新十津川を結ぶ路線です。正式には、函館本線の分岐点である「桑園」が始点になり、その昔、留萌本線の「石狩沼田」に接していましたが、新十津川〜石狩沼田間は廃止となり、バスに切替えとなりました。「札沼線」の名前も「札幌」「沼田」の頭文字に由来するものです。

北海道には何回も行っておりますので、札沼線自体は札幌駅で何度も見たことはあるのですが、撮影には行ったことがありませんでした。そんな中、函館本線に「C623」が復活し撮影に行った際、運転の合間を縫って1回だけ訪れました。

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3点とも 平成2年9月6日 札沼線 釜谷臼〜石狩太美間にて 石狩川の橋梁を渡る札沼線
※ 3枚目の写真は、列車が画像からとんでしまったため、濃さを加工しています。

郊外に大学ができるなどして、超ローカル線だった札沼線も、近郊線区としてかなり発展いたしました。途中からは相変わらず昔のままのようですが、札幌口から見てみると、初めて訪れた昭和55年頃とは駅設備も車両も列車編成も比べ物にならないほど変わっていますね。
平成2年当時は、北海道カラーの車両は未だ札沼線には進出していなかったようで、タラコのキハ40と、数はかなり減ってきてはいましたがキハ27・56が活躍していました。

現在ではタラコ色でさえ見ることのできなくなってしまった北海道の気動車ですが、古い写真をほじくり出して見ては、古きよき時代に想いを馳せるのでした。

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2007/7/13  0:48

ローカルな風景 第22回 (福島交通:モハ5319)  ローカルな風景
今日は久しぶりにローカルシリーズです。

第22回目は、1度だけ訪れたことのある「福島交通」です。

以前から「福島交通」には興味を持っていたのですが、行き先が飯坂温泉という貧乏鉄には縁遠い(宿泊料金が高い)ところでもあり、まず近寄ることのない路線でした。

東北新幹線の開業を目前に控え、特急「やまびこ」の最期の走りを撮影に行ったとき、当時国鉄に就職して給料をもらうようにもなっていたので、1泊だけ泊まることになりました。そして、やっと同線に乗ることが実現したのでした。

撮影が終わった時間も夕方ですし、翌朝の出発も早かったので、同線をゆっくり撮影するようなことはできませんでしたし、路線延長も短く、ロケーションもあまり感動できるところはなかったので、結局福島駅で撮ったこの1枚だけになってしまいました。

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昭和60年6月21日 福島交通 福島駅にて 折返し待機中のモハ5319

車輌は、日本車輌製の標準型電車のモハ5319です。同僚の5318と手を組み、2両編成で往復していました。現在ではこのような私鉄車輌に興味を持っているのですが、当時は国鉄型車輌しか興味を持っていなくて、あまり積極的にローカル私鉄の写真を撮ったりとか、乗ったりとかしていませんでした。そういった意味では、たった1枚の写真ですが、私の活動記録としては貴重なものになっています。

あと、今回のアップに伴って調査した結果判ったのですが、東急7000系に変わった後、栗原電鉄(→くりはら田園鉄道)に移籍したらしいですね。その後非電化路線に切り替わり、つい先頃とうとう廃止されてしまいましたが。
そして、現在同線を走っている元東急7000系も3年以内くらいに置き換わってしまうらしいですね。もう1回行ってみようかな・・・。
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2007/6/24  1:58

ローカルな風景 第21回 (筑波鉄道)  ローカルな風景
今日は、すご〜く久しぶりなのですが、ローカルな風景の第21回目として、筑波鉄道の風景をご覧いただきたいと思います。

以前にもお話させていただいておりますが、旧型国電の終焉とともに、興味の方向は年に1・2度のSL(当時は山口線)や身近ではEF58と、ローカル私鉄などには向いていなかったのですが、撮り鉄の悲しい性で、「廃止になる」とか言われるとあとで後悔したくないもんだから、最初で最後の撮影に行ってしまうんですね。

筑波鉄道もそんなローカル私鉄の一つで、運転免許をもっていなかったこともあり、交通不便な茨城県内の私鉄は敬遠していたと言えましょう。
そして、運転免許を取得して1年半、初めて茨城県方面に出撃することとなりました。

撮影は、すべて昭和62年3月22日 筑波〜常陸小田間にて。
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筑波鉄道のオリジナル車504。モヤに霞む筑波山を横目に、土浦へと道を急ぐ。

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元国鉄キハ30型のキハ301単行。

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筑波駅での交換風景。両方の列車とも廃止を惜別するヘッドマークを付けています。筑波駅は、国鉄からの直通列車が乗り入れていたため、ホームの有効長にかなり余裕があり、停留するための留置線も備えていたようです。

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キハ761。国鉄のキハ20型に類似した外観ですが、元雄別鉄道の車両ということです。

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2連のローカル列車が夕暮れ迫る彼方に向かってひた走る。
元国鉄キハ10型のキハ821。遠くから見ても一見してキハ10系と判る姿が非常にうれしかった記憶があります。その昔、キハ10系に何回か乗ったことがあるにも拘らず、当時あまり興味がなかったために、現役時代の写真を全くといって良いほど撮っていなかったからです。


冒頭に述べたとおり、最初で最後の筑波鉄道となってしまいました。生まれたのが少し早ければ、国鉄からの乗り入れ快速「筑波」や元キハ04も撮りたかったですね。
筑波鉄道の廃止は昭和62年3月31日、折りしも国鉄の最期の日でした。
私も1月の終わり頃には既に国鉄の退職が決まっており、受入れ先の研修を受けるなど退職・転職のための準備をしていた頃で、その1週間前に撮影に行っているなんて、それどころではなかった筈です。おそらく、どうしても筑波鉄道が撮影したかったと言うより、本意ではなく退職しなければならなかった自分の気持ちを紛らわせるため、何かをしていなければ耐えられなかったのかもしれません。
あれからもう20年ですか・・・。
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2007/5/31  1:25

ローカルな風景 第20回 (日立電鉄旧型車)  ローカルな風景
こんばんわ。

今日は、昨日に引き続き「ローカルな風景」シリーズの第20回目、「日立電鉄」をお送りいたします。

日立電鉄は、私にとってはなじみの無い路線でした。旧型車が多く配置され、関東のローカル線では注目を集めていたようですが、茨城県方面の私鉄はあまり縁が無く、撮影に行くことは滅多にありませんでした。
今日お送りする写真は、485系「ひたち」のボンネット型初期車(九州から広域転配で来た車輌)を撮るために常磐線を訪れたとき、寄り道して撮影したものです。あまり枚数がありませんが、ご覧ください。


撮影は、すべて平成元年3月12日です。
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常北太田駅にて 側線に留置中の351形(元静岡鉄道)

同社の中では最新鋭の車輌と言えるのでしょうか。他車に比べて大型で、しかも2連を組んでおりますので、おそらくラッシュ時のみ使用されていたと思われます。
さらにバックに留置中の複数のモハ9型も懐かしい。

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常北太田駅にて 折返し待機中のモハ9型 モハ10

同鉄道の旧型車として最後まで走っていたモハ10。短い車体と地方鉄道らしい塗装がローカルな雰囲気を醸し出しています。

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久慈浜〜南高野間にて トンネルをくぐるモハ10

トンネルといっても常磐線とのアンダークロス部。日中は単行の小型車が活躍。といいつつも、利用者はかなり少ない。

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小沢〜常北太田間にて 鉄橋を渡るモハ14(元相模鉄道)

鉄橋を渡る1両編成の電車は、ローカルな風県に一番ふさわしい。
このモハ14形は、元相模鉄道(といっても現JR相模線の前身)で使用されていたディーゼルカー。地方私鉄がディーゼルカーを客車に改造するケースは多々見受けられますが、気動車の電車化は珍しいのではないでしょうか。電車化に際しては食パン顔になりましたが、気動車時代は両端流線型のスピード感あふれる形状をしていました。


この後間もなく、旧型車は営団銀座線の車輌に置換わってしまい、少しのリンク期間があったものの、旧型車は全廃されました。
置換え後は、あまり良いセンスの塗装ではなかった(あくまでも個人的な意見)ため、写真を撮りに行く気もせずそのままにしておりましたが、まさか廃線になるとは当時は思いもよりませんでした。
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2007/5/30  1:18

ローカルな風景 第19回 (一畑電鉄)  ローカルな風景
しばらく振りになります「ローカルシリーズの第19回」。
今日は「一畑電鉄」をお送りいたします。

私は旧国鉄派の人間ですので、特にひいきしていたり執着している私鉄は無いのですが、旧型車は食指が勝手に動いてしまうので、ローカル私鉄は寄り道程度に撮影に行くことがありました。(今回の鹿島鉄道は随分気合を入れていたので例外ですが。)

59・2ダイヤ改正により、その時勤務していた「大宮操車場駅」のハンプ入換えが廃止となり、余剰人員として何もすることが無くなってしまい、同期の同僚と旅をすることにしました。以前のローカルシリーズでご紹介いたしました「国鉄大社線」を訪れたとき、帰り際にチョット立ち寄ってみました。


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昭和59年2月12日 一畑電鉄(当時名称)出雲大社前駅で折返しを待つデハ3

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昭和59年2月12日 出雲大社前駅を発車し鉄橋を渡るデハ3

駅に立ち寄らないうちに線路に出てしまい、停車中の電車を見つけました。
何時発車するか分からないし、ローカル線のことですから次の電車まで待たなければならない不安もあったので、発車してくるのをひたすら待っていました。この旅行のときは雪又は雨の天候で、非常に寒かった記憶があります。

当時はあまり貴重な車輌とも思っていませんでしたので、オレンジ色をした車輌も見かけたのですが、写真には撮りませんでした。せっかく時間があったのですから、もう少し乗るなり撮るなりしておけば良かったと悔やまれます。
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2007/5/2  23:55

これってどこの駅でしょう?解答?  ローカルな風景
こんばんわ。

クイズ、あまり面白くなかったですか?回答の少なさに少し。

ということでして、一応状況の説明をしておきますと
手前のクハ85と車掌さんで前面が隠れてしまっているクハ86は東海道本線です。これは皆さんお分かりかなと思います。70系は中央本線の電車です。

もう、的は絞れましたよね。正解は、

              ↓ ↓ ↓
              名古屋  駅でした。


昭和52年3月30日の撮影と、そんなに昔の話ではありません。(20代の方達からすれば昔々という感じでしょうが・・・。)
このころ、既に東京駅では80系電車は見られなくなっていますし、70系も両毛線や上越線まで行かないとありませんでしたから、特急列車の撮影後にホームでこの並びを見たとき、タイムスリップしたかのような風景でした。当日は雨天でしたのでホームの雰囲気が暗く、朝早い時間でしたので活気も伝わってきませんが、乗客がいなかっただけに3つの列車を納めることができたわけです。

103系や113系、115系が都心(名古屋地区も)から撤退してしまった今となっては、2世代も前の華々しき時代の一コマでした。
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2007/5/2  2:05

これってどこの駅でしょう???  ローカルな風景
突然ですが、これってどこの駅か判りますか?

わかった方は、コメントに入れておいてください。

別に当たっても商品はありませんけど。

答えは、ん・・・そうですね。今日の24時くらいにしておきましょうか。

では、おやすみなさい。

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