【婚外子の祟り】
結婚前にお付き合いした女性との間に子が生まれることがある。この場合も、家庭をつくってから生まれる第一子に悪影響が及ぶとされる。沖縄文化(古代日本文化)では、父無し子として育つ婚外子の怨念があるという意味で、生邪魔(イチジャマ)あるいは生因縁(イチイニン)と呼んでいる。
このような祟りが発生するのは、夫・父親となる男が、早くから女遊びに耽ってしまう場合である。早くから女遊びに耽る男の生い立ちは、母の愛情を得ることができない中で育った男である。第二次性徴発現後に、母親の代わりとしての女性を求めてしまうのである。つまり、相当の「甘えん坊」であるということだ。
このような男と結婚した女は、もう、甘えられてしまって大変だ。自分ですればいいことなのに、何でもわざわざ「やってくれ!」と頼んでくる(「甘え」の定義)。母親にやってもらいたかったことを妻にしてもらおうとするのである。新婚当時は、許せても、子供が二、三人できる頃には、妻は「もう、好い加減にしてくれ!」と言いたい心境になっている(女の七つの天罰)。
婚外子を妊娠した女性は、中絶(自然、人工)してしまう場合もあるが、生んで育てていく場合もある。特に、フェミニズムが浸透し、シングル・マザーも肩身の狭い思いをしなくて済むようになってきているので、この傾向はますます強くなっていくものと思われる。このような問題に対して、心理学もちゃんと答えを出すべきである。
前号に述べたように、婚外子の祟りとして、その子の生邪魔や生因縁が、次の家庭の子供達に降り懸かることがあるという。本当にこのようなことが起こるのだろうか。実際には、東南アジア諸国には、日本人男性との混血児が、わんさといるという。その男性が帰国してつくる家庭の子供達には、何らかの厄が起きてしまうことになる。似たようなことは、私が住む沖縄県では、米国人との混血児が存在しているので、この手の問題は、極めて身近な問題なのである。
この「祟り」は間違いなく存在する、と考えて良い、と、少なくとも私の臨床事例からは結論できる。それは、次のような心理機制を持って生じる現象である。
早くから「女」を求める「男」は、母の愛情に飢えており、極度の「甘えん坊」であると前号に述べた。結婚すると、妻に「甘え」ていくので、妻は、やがては<女の七つの天罰>の状態になる。イライラし、ヒステリックになりながらの子育て、家庭経営となる。このような状態の母親が、第一子に対してどの様な養育態度をとることができるか、それは言わずもがなであろう。
通常、第一子は第二子に母をとられるということを経験する。これが同胞コンプレックスである。第二子に嫉妬しながら色々と母親の手をわずらわせる行動をとるとき、母親は「アンタはお兄ちゃんでしょ!」といって、どうしても怒りをぶつけてしまいがちになる。そんなことが、婚外子がいるという状況の場合には、水子の場合と同じように、より強く現れてしまうのである。この場合、その夫婦は、婚外子の存在を知る・知らないには無関係にであることに注意しよう。沖縄では、子供に問題発生したとき、ユタ(シャーマン)のもとへ相談に行くことが多いが、その様な婚外子がいることを指摘されて慌てることも結構多いのである。もちろん外国との間だけでなく、日本人同士の方も結構多いのである。「まさか!」と思って調べてみたら、「ウヒャー!」となる場合が殆どである。
さて、このような「祟り」は、どうやって防げばよいのだろうか。根本的な問題は、男の子とその母親との間の愛情関係にあるということは明らかであろう。
あるいは、できてしまった場合にはどうすれば良いのだろうか。それは、夫となった「男」が「甘えん坊」であることに由来するわけであるから、ここに対処することとなる。「甘えん坊」を治すには、「甘えさせる」しか方法はない。我慢させるようにしたところで、やがてはキレてしまうので、根本的な解決とはならない。
現代沖縄の精神文化(祖先崇拝)では、夫の婚外子を妻が第一子として認めるという方法を採って解決している。自分の子は第二子、第三子として。婚外子の存在が明らかになったとき、夫の妻に対するバツの悪さは大変なものであるが、妻が「何をいってるの? 私の大好きな貴方の子供なのだから、当然のことよ!」といって受け入れてしまえば(甘えさせてしまえば)、夫(男)は、母親に甘えられなかった分を妻(母代理)に甘えることで、かなりおとなしくなるものである。臨床例から見れば、それまで妻に暴力を振るってばかりの夫(いわゆる家庭内暴力、Domestic Violence, DV)が、急に「良い亭主」に変身するほどである。
ここで、「男の生き方」なるものをいうことができる。結局は、男は、自分の子に対しては、どの女性の子であろうと、父親としての責任を果たすことが必要である、ということになる。しかし、これは「妻」という「女」の理解無しには、果たし得ないことである。言い換えれば、男は女によってしか男になれない、ということになる。

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